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2013年1月19日 (土)

今どきの在宅医療11 「彼」を救う一枚の紙

Medium_2264878048_2(「彼」の写真は本人にもきちんとお話ししています。個人が特定できない配慮をすることを約束しました)

僕が「彼」の話を書くかどうか、今でも迷っています。「彼」の毎日の生活を想像すると、正直とてもやりきれない気持ちになります。そして、医療の担い手である医師として何ができるのか、目に見えない大きな存在が僕を試しているような気がするからです。そして、医療しかできない自分は何もできないと無力感に苛まれるのです。「彼」の援助がしたいと思っても何から手をつけたらよいのか分からない。そんな敗北感に支配されるからです。でも、「彼」に無関心になることはできない、自分は援助したいから援助しているんだと自分の欲望に素直に、一度「彼」を皆さんに紹介したいと思います。

 「彼」と出会ったのは去年の夏。とても暑い夏でした。僕は、4月から10年ぶりの在宅医療の勘を取り戻すために、一足先に開業した先輩のクリニックを手伝い始めました。自分が得意とする、がん、緩和ケアの患者さんをはじめ、神経難病や、脳梗塞の後遺症の方々を診療していました。久しぶりに診療するがん以外の患者さんは、僕にとってとても新鮮で、脳の中にある長らく使っていなかった引き出しを開けた気分でした。今どきの在宅医療の特徴として、患者さんが関係各所から紹介されて始まることが多いということがあります。開業して長く診療しているうちに通えなくなった患者さんを往診(在宅医療)に切り替えるということではなく、新しい患者さんをはじめから往診(在宅医療)で診ていくのです。そして、新しい患者さんがクリニックに紹介されてくるのには、2つのルートがあります。

一つは市民病院や大学病院といった大きめの病院からの紹介で、「これ以上長く入院できない」から、もしくは「できるだけ入院しないように」、在宅医療を始めるという患者さんです。主に重病の方々がほとんどです。そしてもう一つのルートは、地域のケアマネージャー(ケアマネ)からの紹介です。通院困難、独居、認知症といった社会的に孤立した患者さんがきちんと医療が受けられるように紹介されます。

「彼」はその地域のケアマネージャーからの紹介でした。

 「彼」の住居は、神戸を象徴する夜景の写真の中にも映っています。でも「彼」の住まいは光のない黒い部分、暗い闇の中です。写真を見る人には、気づかれない、まるで明るい都会的な光を際立たせるためのブランクに「彼」は住んでいます。僕は初めて「彼」に会った時、その滑稽なほど古びた階段、直線がない壁、低い天井、そして狭く足の踏み場もないほどの狭い部屋に圧倒されてしまいました。そこに住む「彼」にも長年の垢と汚れを感じ、その姿は一瞬近づく事すら躊躇するほどでした。生活保護で、高齢の「彼」は、その風貌と年齢に似合わず頭のしっかりした方でした。自分の今までの人生を語りました。人をだますことなく、一生懸命に働くことはなかったかもしれないが、港湾地域で日雇いの労働をしていたこと、また労働者を募る役割をしていたこと、かつては奥さんがいたことを古ぼけた写真を見せて教えてくれました。



足が弱り、家の外に出ることもできず、狭い部屋の隅に置かれたポータブルトイレ(据え置きのトイレ)で用をたしていました。最近ではトイレまで立ち上がるのもおっくうになり、洗面器に排尿しポータブルトイレに捨てている生活です。部屋の隅に置かれた冷蔵庫まで歩くことすら面倒になり、這って動く気力もなく、中にはいつから入っているか分からない生卵が二つ並んでいます。小さな机には、恐らく共同の洗面所からくんできた水の入ったやかんがあり、お湯だけは電気ポッドでわかしてありました。食べ物といえば、出入りするヘルパーが買ってくる、コンビニのスナックパンとインスタントうどんのどん兵衛。いつ行っても同じものばかり。そして10円玉が目立つ小銭だけ。



「いつからここに住んでいるの?」と聞くと「もう10年以上、いやもっとかな。前は別の部屋だったんだけどある日急に大家にこの部屋にされた。私ら自由はないんですわ。大家が勝手に部屋をかえてしまうんです」足の悪い「彼」は1階に住んでいるが、もう外出する力はない。週に1回だけ近くのデイケアで入浴しまともな昼食を食べるのが、唯一の外出で人らしい生活ができる日。「最近は、ヘルパーも来るはずの日に来なかったり、またケアマネージャーの人に言っても、とりあってもらえない。生活保護のお金は自分は受け取りに行っていないから一体誰が受け取っているのかも全く分からない」「彼」が受け取るはずのお金がどこに消えているのか、「彼」にも分からないのです。 

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「ここから逃げ出すことはできないかな」僕が聞いても、「彼」は「もういいんですわ。先生どこかええところ探して下さい。先生がええと思うところならどこでも行きますわ」と返事。その「ええところ」のあても全く思いつかず途方に暮れる。そんな「彼」の毎日を想像しながらも、聴診器をあてて診察する。何の病名もつけられず、何の処方もできず、何の処置もできない。医療や医学では「彼」の事を1ミリも引き上げることができない。今まで自分が診療していた、痛みに苦しむがん患者さんや、行き場のないがん患者さんに薬の処方や、病棟への入院を提供することで何かしら毎日の暮らしの手伝いができていると自負していました。でも目の前で布団に座る「彼」に自分が何ができるのか全く見つけることができず、ただ無関心にならないことだけを、「彼」と自分を試す“大きな存在”に誓うことだけです。

 クリニックの立場から言えば、生活保護の患者さんであれば治療費を全て国から徴収できます。「彼」の場合は、月に2回決まった日に往診することで(訪問診療)およそ月60,000円の収入がクリニックにはもたらされます。そして月に2回「彼」を診療する約束と引き替えに、24時間365日「彼」の要請があれば往診に出かける約束が医師との間で交わされます。その60,000円が先輩のクリニックに毎月振り込まれます。しかし、「彼」への診療がこの値段に見合うものなのかどうか、いつも心には小さな不快感が残ります。本当に僕(や先輩医師)という存在が「彼」にとって何らかの支えになっているのか。もしかしたら、端から見れば悪質なクリニックと同じく、生活保護の人達の診療費で荒稼ぎしている状況なのではないか。

 地域のケアマネージャーも、介護を提供するヘルパーも全て費用は国からまかなわれます。「彼」はケアマネージャーや、ヘルパーに大事にしてもらっているという実感が全くないと話しています。「彼」は介護を提供する人達の機嫌一つで対応が変わることに呆れながらも忍耐強く耐えています。機嫌を損ねれば食料が手に入らない、買い物に行ってもらえない、風呂には入れない。「彼」にとってはぎりぎりの生活が、さらに悪化することを恐れているからです。「もう生きているのもイヤになったよ」といつも「彼」は話しますが、それでも朝が来れば腹がへるのです。生きて生き抜かなくてはならないのです。

「彼」の消えた生活保護費、劣悪な環境から逃げられない事情、「彼」を支配する得体の知れない大家、「彼」に提供される手抜きの介護、「彼」に提供される生活を向上できない医療。全てが「彼」の心を絶望させていくのです。それでも毎日腹がへる。

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 僕は、胸騒ぎがして「彼」の所に診療とは関係なく行ってみました。「彼」はたった一本のスナックパンで1日を過ごしていました。いやな予感は当たっていました。それから数日迷いに迷い、コンビニでどっさり食料とバナナ、助六寿司とあったかいぶたまんを買い込み持って行きました。「こんなことしかできなくてごめんな」と僕は「彼」に言いました。僕の名前を覚えることができない「彼」ですが、「おお、ありがとうな、先生。また来てな」と長い眉毛と屈託ない笑い。そして僕は「彼」のへんてこな形の家を後にしました。

 多分、地域のケアマネージャーは、高齢の彼がもしもあの部屋で死んでいた時、どの病院に連れて行くのか、いやもしかしたら警察を呼ぶことになるのか、そんな厄介ごとを想像するのでしょう。そんな時、地域のクリニックから定期的に往診していたとしたらどうでしょう。クリニックの医師が「彼」を穏便に処置(いや処理)することができるのかもしれないのです。そんな依頼が、「今どきの在宅医療」には存在するかもしれないのです。

 医師としての僕(や先輩)は、かつてナチスに迫害されたユダヤの人々を、一枚の紙(ビザ)とサインで亡命させ、救命した杉原千畝のように、「彼」をあのぎりぎりの生活から亡命させることができるのかもしれません。貧困のまっただ中にいる「彼」を、医師である僕はどうしたら亡命させられるのでしょうか。その一枚の紙が、「彼」を避難させるどこかの病院への紹介状なのか、「彼」を安らかに送り出す死亡診断書なのか、そのことをずっと僕は考え続けているのです。いや、それ以前に一枚の紙のことしか思いつかない自分のアイデアの貧困をまず僕は悔やまねばならない。

そして、悩むこと約半年。「彼」の救出に成功しました。

Img_5209 市内某所で温かい暮らしが始まっています。そこに行き着くまで多くの人達の援助とそして妨害がありました。その妨害のほとんどは生活保護に関する問題でした。

それでも新たな生活は始まり人並みな生活が送れそうです。他人の援助の仕方は様々ですが、こういうやり方が良いかどうかは分かりません。よく「たった一人にお節介をやいてそれが何になるんだ」と言う方もいらっしゃいますが、「たった一人」を救うことで、自分の経験値とそして新たな人脈と社会の仕組みを学ぶことができます。「次の一人」はもっと円滑に援助ができるようになるのです。それでも今回のお節介はあまり良いやり方ではないとも思っています。これからも「彼」に会いに行こうと思います。それが僕に課せられたお節介の代償だと思っているからです。

協力して下さった皆様本当にありがとうございました。

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コメント

 依頼者のケアマネさんとよく相談するしかないのではないでしょうか?
 10円玉が目立つ小銭、本人が自己の財産を把握していない、先生の名前を覚えることができない、高齢などの事情から、何らかの認知症に罹患しているものと愚考します。大学病院の物忘れ外来の予約をして、まずは診断をつけるのはどうでしょう? 生活保護ならタクシーの利用ができるはずです。病名さえあれば訪問看護の指示を出すことができます。訪問看護師なら先生あてに報告書を送られるはずで、「手抜き」のヘルパーを掣肘することも可能なはずです。大学病院の診断があれば要介護度も上がるかもしれません。
 認知症に加えて廃用症候群が合併している事例と思われます。通所介護サービスの回数を増やせば体の動きは良くなる見込みがあります。ケアマネと相談して通所介護サービスを週5回以上利用できないか交渉されてはどうでしょうか? ヘルパーはあてにならないようなので、通所介護サービスが増える場合はヘルパーは減らしても構わないでしょう。
 財産管理の問題は、成年後見制度で解決すべきではないでしょうか? 日常の買い物もできていない状態なので、後見相当に該当するものと判断できます。司法書士に依頼すれば、手続きは円滑に進むと思います。このこと、ケアマネージャーに提案してみてはいかがでしょうか? 家庭裁判所に診断書を提出する必要がありますが、先生がお書きになれば何の問題もありません。
 以上、物忘れ外来受診、訪問看護、通所介護サービス増加、成年後見制度などの手を先生が既に打たれているのであれば、大変失礼なコメントです。そうだとすれば、どうかご容赦下さい。

投稿: ODA | 2013年1月20日 (日) 09時22分

私が彼の看護をすることになれば
もっとバランスのとれたものを
どっさり買っていくと思います。
看護師として、食事、排泄、清潔を
整えます
先生が書くべき紙は
訪問看護指示書
です

投稿: 市橋正子 | 2013年1月20日 (日) 09時35分

訪問看護については他の方がおっしゃっていますので、生活保護の側面から。
契約した部屋と違うところに住んでいる、となれば生活保護の実施機関(福祉事務所)が問題にすることはできます。
また、生活保護費が本人以外のところで費消されている様子があれば、これも福祉事務所が保護の実施上の問題として扱えます。
本人が過小にしか生活保護費を受け取っていない状況は、不正受給です。たくさんもらうほうの不正ではなく、基準に足りないと言う意味の不正。福祉事務所とはご相談されたほうがいいと思います。

投稿: にゃお | 2013年1月20日 (日) 20時01分

保護課への連絡
地域包括への連絡
デイケアの増加
地域での宅配弁当

お金の流れが分からなければ
保護課でプールし
保護課から
デイケアやお弁当業者への支払いもできます。

事業所がかなり手を抜いているような気がします。

各関係機関での話し合い。

主治医ならケアマネにケアプランの提示を求めてもいいのです。

隙間だらけです。

投稿: あくび | 2013年1月20日 (日) 20時59分

みんなすでに夫々の得意分野からの推察と対策かかれていますから、私は介護保険事業者として思うこといかに箇条書き。

1  行政の介護保険担当課に明日一番電話。

2  担当ケアマネと入っているサービス事業のウイークリーを見たいといいます。理由は経済的虐待または介護事業所のサービスに問題がありそうだから。フツウはつべこべ言うけどあなたはドクターだから教えてくれます。包括支援センターの担当者の連絡先も聞きます。

3 包括支援センターに訪問および調査の依頼。

4 引越しするのなら福祉事務所にも連絡。本人を訪問してほしい旨伝えます。

私たちの経験ではこのくらい電話すればとりあえず動き出します。

3

投稿: | 2013年1月20日 (日) 22時52分

他の方も書いていますが、生活保護費を本人が受け取っていないのなら、まずは自治体の生活保護課担当ケースワーカーに伝えるのが重要かと思います。まともなワーカーなら、ご本人の状況改善のために介護保険課や地域包括センター、介護事業者と連携取るはずです。
残念ながら成年後見制度は、費用面からして、生活保護利用者が使えるとは思えません。ヘルパーが入っているなら、日常生活の支援を厚くすることで生活改善を図るほうが現実的と思います。

投稿: 小林律子 | 2013年1月20日 (日) 23時59分

皆さん、色んなコメントを頂きまして、本当にありがとうございます。大家さんもその周辺の方々もいわゆる「まともではない」可能性もあります。その辺りを慎重に考えています。何とかしたいと思います。

投稿: 新城 | 2013年1月21日 (月) 14時50分

お疲れ様です。
皆様が書かれていることは私にもたいへん勉強になります。

あと、時間がもっと必要かもしれませんね。
いろんなことがわかってきたり、解決の糸口が見つかっていくのには。
また、その後の経過を教えていただければ幸いです。

投稿: 元クリニック所長 | 2013年1月21日 (月) 14時56分

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