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2012年11月 5日 (月)

終末期の鎮静 中編 「死への過程」

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しかし、述べてきたようないわゆる「建前」だけでは、ほとんど現場ではうまくいかない。現実はもっと複雑で、状況も混乱しているからである。今まで私が臨床で経験してきた事を元に、もう一度今までの内容を見直してみようと思う。

ここからは、私の本音。
(この記事の内容は私の著書にも詳しく書いてあります。リンク

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まず、鎮静の定義は、「苦痛の緩和」と考えるよりも、「苦痛なく自然に亡くなることができない患者を、普通の(自然な)亡くなり方に誘導すること」と感じている。鎮静はおおむね、20%程度の患者にはやはり必要となる。つまり、80%の患者さん達は、自分の力で苦痛なく亡くなることができると考えてよい。現実、「つらい一日」は確かにあるが、その一日をどうやって乗り切るか考えるのが臨床的な対応といえる。

また、鎮静は安全にできるのか?眠りすぎて息も止まってしまうのではないか?という恐れに対しては、「苦痛が緩和されることで、通常、身体機能は最小限になる。(スリープモードになる)安静を保つことで、一番効率的に長く生きられる」と臨床的に実感している。つまり、苦しんで過ごすと早く亡くなることになるのではないかと感じている。苦痛は体力を消耗させ、気力を奪い、「早く死んでしまいたい」とその気持ちを追い込むから。

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それでは患者にとって「普通の亡くなり方」はどういうものであるのか。そういった教育が、医療の世界ではなされていない。太古の昔、まだ医療が呪術だった頃から、人々は繰り返し看取りに立ち会ってきた。医療、看護の観点からの症状ではなく、死とはどういう過程で、どういう現象の連続であるのか。そういった知識なくしては、普通の亡くなり方、自然な亡くなり方、また普通ではない苦痛を伴った亡くなり方の違いはわからない。苦痛を伴った亡くなり方の実態がわからないと、鎮静をどういうときにどんなときに実行するべきかは、医療者にも、ましてや患者、家族にも分からない。

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自然な亡くなり方とはどういうものなのか。臨床の実践で使用しているパンフレットを参照しながら考えてみたい。(パンフレットのリンクパンフレットを使った研究のリンク

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(がんの患者さんを想定してつくられています)1週間ぐらい前になると、だんだんと眠っている時間が、長くなっていく。そして、夢と現実をいったりきたりするような状態になる。大抵の家族は、患者がこういう状態になると「くすりで頭がおかしくなった」と思っている。医療者が、死に逝く患者の状況をきちんと説明できないと、家族との信頼関係にひびが入ることだってある。

さらに時間が過ぎていくと、いわゆる危篤の状態になる。声をかけても目を覚ますことが少なくなっていく。これは、まるで電池がもうすぐ切れそうな状態で、睡眠の間は体力を温存しさらに体力を増やそうとしている。つまり充電しようとしている。ある程度パワーが蓄積すれば、目を覚ます。すなわちその時間の流れ方は、周りの時計に合わせて生きている、力のある家族とは、ずれたものになる。当たり前である。そしてある程度の時間目を覚ましてパワーを使い切ればまた眠っていく

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また、亡くなる1週間前ぐらいになると、むせやすくなり、おしっこが少なくなる。さらに、布団を蹴飛ばしたり、服を脱いだりしたりという行動がたびたびみられる。これを終末期せん妄、不穏と呼ぶ。多分、患者さんは頭の中で普通に動いている映像、時間を体験しているのだが、体が弱っているので、ついてこれない。すると、自分にのっかった布団がまるで鉄の布団のように重く感じ、ついている点滴のルートはくくられたひものように、着ている服は拘束衣のように感じるのかもしれない。「動けるはずの自分が動けないのは、自分の周りにまとわりつくもののため」と思っているのかもしれない。(私は泥酔した方の体験に似ていると思っている。服を脱いだり、靴下を脱いだり)大抵は、トイレへ行こうという考えが頭の中でぐるぐる回っているのではないかと思っている。(勝手な推測だが)このせん妄、不穏はよく見られる現象なので、予め家族が知っていないと、「痛みで苦しんでいる」と誤認してしまう可能性が高い。家族だけではなく、経験がない医療者も。

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では、患者さんはいつまで意識がつづくのだろうか。患者さんの様子を観察した研究によると、(141人のがん患者、平均15日死亡)意識のない期間は、亡くなる前1.8日。また、亡くなる日に意識があった患者は34%であった。投与されている薬剤と意識のある時間には関連がなかった。元論文のリンク

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そして、危篤の状態になると特有な現象がある。まず「死前喘鳴(しぜんぜんめい)」と言われる現象である。のどもとでごろごろという音がする。呼気、吸気両方で音がする。これを痰が貯まっていると解釈して、何度も吸引すると患者を苦しめる。そして思ったよりも痰はとれず、音は消えない。こういう現象があるということ、そしてこの現象をうまく家族に説明できるかが重要なポイントである。何故なら、既に本人はこのごろごろとした音を苦にしていないからである。もしも、意識があり、咳き込みながら、喉がごろごろと音がすれば、それは「死前喘鳴」とは違う。

次に、下顎呼吸が出現する。時に目は仏像のように半開きになる。そして大抵はまつげに触っても瞬きをしない。この下顎呼吸の他に、よくみられるのは、呼吸の間隔があいていく呼吸である。息をしない時間を家族は不安と共に見守る。いや、見守るというよりも夜通し見張っている。下顎呼吸以前に見られることがほとんどで、まだそれほど命は切羽詰まっていない。脈をみたり、爪の色をみればまだ大丈夫かどうか判断できるということを家族に指導している。

そして、最期がいよいよ近づいてくると脈がふれなくなり、手の指、足の指は紫色に変わっていく。チアノーゼである。そしてまもなく死を迎える。死の瞬間には、最期に大きな息を吐いて終わるときが多い。しばらく息が途絶えた後に、大きな息をするときもある。

こうして、呼吸が止まると、まもなく心臓、脳も機能を停止する。どの法律にも根拠を示されていないが、瞳孔反射がなく、息をせず、心音がないとき、医師は社会的な「死」を、時間と共に宣告する。

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この死前喘鳴は平均、亡くなる57時間、下顎呼吸は7.6時間、四肢のチアノーゼは、5.1時間、椎骨動脈の脈が触知できないは、2.6時間で出現したと、患者さんを100人観察した研究で明らかになった。

つまり、死前喘鳴はおおむね2-3日前、下顎呼吸、四肢のチアノーゼ、椎骨動脈(手首)の脈がわからなくなるのは、亡くなるその日に起きると言える。言い換えれば、亡くなりゆく人を観察しているとどのくらいの時間が残っているか推測できる。亡くなりゆく人は、自分がいつ頃に亡くなるのかを、その体を通じて周りの人に教えてくれる。

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看取りの患者に有益な、イギリス生まれのリバプールケアパスウエイでは、この4つで最後の1週間に入ったとしようと定義している。確かに、臨床的な実感とおおむね変わらない。日本語版リバプールケアパスウェイのリンク

後編へつづく

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