終末期の鎮静 前編 「建前」
先日、「終末期の鎮静」の事について神戸の病院で講義をした。簡単にレクチャーの内容を記しておこうと思う。終末期の鎮静に関しては、緩和医療学会から「苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン」が2010年に改訂され出版された。その改訂の過程に参加したため、内容を概略しつつ、ガイドラインに書かれている、いわゆる「建前」と、実際の経験から感じている「本音」とを織り交ぜながら解説する。
まず前編の「建前」編から。
現在、ホスピス、緩和ケア病棟をはじめとする病院で、「がん患者」の終末期鎮静は実施されており、また各国で研究されている。その内容について解説する。
国内でも2005年に、聖隷三方原病院の森田達也先生が中心となって、学会の他職種メンバーでガイドラインを発表した。2010年に改訂され、その過程に私も関与した。内容は全てWeb上に公開されている。
終末期の鎮静は、安楽死と明確に区別される必要がある。医師の独断で安楽死が実行されることを憂慮して対応する必要がある。しかし、経験と知識がない状態で終末期の鎮静を実行すれば、安楽死との区別がつかなくなる。
さらに、一定数のがん患者は、苦痛なく亡くなることができない。全ての苦痛が緩和されるわけではないという現実もしっかりと認識する必要がある。
それでも、建前と本音の乖離が大きく、ガイドラインの内容を忠実に守ろうとしても、よい実践ができない。
終末期の鎮静は、「苦痛の緩和」を目的とする。薬物は、眠ることができる種類、量を選択して投与する。また、「苦痛緩和のために投与した薬剤によって生じた意識の低下」を維持することも該当する。これはつまり、鎮痛薬で眠気があり苦痛がないのであれば、その眠気を許容して見守っていく行為を指す。「患者の死」を目的とする安楽死とは区別される。
鎮静の様式、水準つまり目的も分類されている。一日中ずっと、亡くなるまで「持続的」であるのか。夜だけ、今日だけと「間欠的」であるのか。また、呼びかけても目を覚まさないほど「深い」のか。呼びかければ目を覚ます程度の「浅い」ものであるのか、で区別される。
終末期の鎮静を実行する上で、必要な要件は4つある。
医療者の意図とは、定義と同じく何を目的に鎮静を実行するのかということにある。ここで安楽死との相異を、実行する医師が明確に意識する必要がある。
ガイドラインの出版以降、最も最近の論文の内容と照らし合わせながら解説する。
この論文でも、がん患者の終末期鎮静は、過去の研究を集計すると、15-67%、日数も0.8-12.6日とかなりばらつきがあることが分かる。臨床に関わる医師の信念や、医療チームの慣習が影響していることが予想される。
鎮静をしなくてはならないほどの、大きな苦痛とは、「せん妄」「呼吸困難」「精神的な苦痛」であることが分かっている。これはどの研究でも大きく変わらない。また終末期、人が亡くなる前にはほとんどといっていいほど出現する「せん妄」が半分を占めることから、鎮静=せん妄の治療であることがわかる。つまり「終末期せん妄」の状態、対応にも習熟する必要がある。
投与する薬剤は、半分がドルミカム、次にセレネースであることがわかる。またドルミカム以外のベンゾジアゼピン系薬剤の頻度も高く、終末期の鎮静=ベンゾジアゼピン系薬剤といえる。安楽死で用いる、バルビツール系薬剤や、筋弛緩薬ではない。
本人に意志決定能力があるかどうかが問われる。「今が苦しいから眠らせて欲しい」という意思があるかないかで、医療チームの対応が分かれる。
もしも本人の意志決定能力なければ 以前の本人の意思や、家族の意思も参考にする。
相応性とは、患者の苦痛緩和において、鎮静が最善と判断されることである。つまり、患者の苦痛が耐えがたい苦痛で、治療抵抗性であるという判断である。苦痛に対して薬物、ケアを含むありとあらゆる方法で、まだ他に何らかの介入方法があるのなら、鎮静は選択せず他の治療を優先する。
そして、鎮静を実行するには、医師が独断で実施することを予防するべく、医療チーム全体でのカンファレンス、また他の医師や専門職へのコンサルテーションを必要とする。こうして鎮静が安全に実施されることで、不要な鎮静、危険な鎮静を減らせる。
(中編へつづく)
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