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2012年9月22日 (土)

医師と患者の対話 第4話 自己決定の時代

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2010年(平成22年)自己決定の時代

ホスピスでの仕事も充実し、医師として自分だけが患者さんに対する重責を負うのではなく、チーム医療に加わる様々な職種の人達、看護師、薬剤師、リハビリのセラピストとそれぞれの職業的特性と、それぞれの個性を発揮した働きに魅了されていきました。そして、2012年に開業するまでの10年間を、終末期医療 (end of life care)と緩和ケアの実践に没頭しました。特に終末期医療に関しては関心を持ち、いくつかの論文を書く充実した日々でした。そこでは、「悪い知らせを伝える」ことの系統的な教育を受け、ただ癌告知という事だけではなく、次なるコミュニケーションの模索をもしました。
ある日、これからホスピスに来たいという患者さんと外来でお会いしました。膵臓癌の患者さんです。その方に聞くと、紹介元の総合病院ではまず最初の診察で検査の結果を見た担当医に、「あなたは癌です」と急に言われたということでした。心の準備もないまま宣告されて頭が真っ白になってしまいましたと。そして「今は癌でも最初からきちんと伝える時代です。あなたも事前の問診票に『もしも悪い病気でもきちんと真実が知りたい』という所に○をしていましたでしょ」と言われたそうです。そして次には「この位癌が進行すると、化学療法をしてもほとんど効き目はない。それでも化学療法しますか?それともやめますか?」と聞かれたと話していました。その後しばらく考えて次の診察日に「化学療法の効果がそれほどないのであれば、やめておきます」と答えると、次に担当医は、「それならホスピスに紹介状を書きますので行って下さい」と告げられ、その病院の外来通院は終了してしまったと話が続きました。

私も診察すると、その患者さんはやせて食欲もなくなり、化学療法ができる状態ではないと分かりました。その患者さんは、「これから私はどうなっていくと思いますか」と言葉を続けました。そこで私は、「私も、色んな方を診療していますので、色んな事をアドバイスすることができます。でも、本当に悪い話でも真実を知りたいですか?」と尋ねると、「いえ、今日はやめておきます」と答えられました。その日はここまでで話をやめました。

そして、いよいよ入院する状況となりホスピスにいらっしゃいました。入院してしばらく経ってからのこと、何気ない会話の後に「あの時に聞かなかったこと聞いていいですか」と話されました。「本当に私にこれから起こることをどうか教えて下さい」と私に尋ねられました。そこで、今後歩けなくなっていくこと、痛みは十分とれること、多くの方は苦しまずに最期を迎えることを話していきました。また患者さんに、「最期は静かに見守って、心臓マッサージや人工呼吸器といった蘇生行為をしなくてもよいですか?」と尋ねると、「以前から私は、延命治療を受けたくないと思っていました」とはっきり答えられました。また命の見通し(生命予後)がどのくらいかを聞かれましたので、「それは分からないけど、会いたい人がいるのならしっかりしている今が一番いいですよ」と話しました。
その後数週間経って、徐々に動けなくなっていかれました。このホスピスで最期を迎えたいと入院中に話していらっしゃったので、そのまま痛みと苦痛がないように治療をしながら、穏やかな最期になるよう見守っていきました。身近な家族に囲まれた静かな看取りとなりました。

癌告知は時代を経て、特に治療の選択は患者の自己決定が基礎となっていきました。以前のように医師から病名や治療に関して嘘をつかれることはなくなりましたが、どのような病気も、専門的な知識のない患者が治療を自己決定しなくてはならない時代となりました。自己決定を短い時間の中で強いられることから、医療者の十分な説明を受けられないまま、患者は自分の望みが本当は何であるのか分からないままに物事が進むことも見受けられるようになったのです。

緩和ケアの中では、患者の自己決定を援助するためのコミュニケーションが模索され、SPIKESといわれるコミュニケーションの技法が紹介されるようになりました[5]。患者がどこまで知っているかを理解し、患者がどこまで知りたいかを理解し、情報を共有し、さらには、患者の感情や心配事に応答し、今後の予定を検討する。患者の自己決定を援助するだけではなく、医師と患者の関係をこういうプロセスを経て良好なものにしようとするコミュニケーションの技法です。

そして、アドバンスドディレクティブ(advanced directive; AD) という概念も登場しました。これは自分が意志決定できなくなったときの医療行為と、代理意志決定者の選定が予め本人によって示されることです。またこのADを文書化したものをリビング・ウイルと呼びます。心肺蘇生行為をしない、延命をしないという事前意志を表明することであります。蘇生をするかしないかという意志決定を医療者は患者に求めるようになった。状態が悪くなってくると、担当医は患者、家族に予め医療情報と共に蘇生行為の有無を積極的に尋ねるようになりました。これは患者の意志を治療に反映したいという側面よりも、病院が蘇生行為をするのかしないのか決定する必要があるという意味において、医療者の対応を業務上規定するための記号になっています。こういった否定的な意見もあることから、さらにはアドバンスドケアプランニング(advanced care planning; ACP)という概念も登場しました[6]。ACPとは、ADと異なり「自分がこれから重篤な病気や状態になったときに、どこでどのようにどうやって過ごしたいかを話し合うプロセス」であって、特定の治療内容や行為を表明するものより広く表明するものです。看取りを目前にした蘇生行為の実施、不実施のみならず、どんな場所で(病院、自宅など)、どう過ごしていきたいのかを予め患者自身が決定していく。またその決定の援助には、医療者とのコミュニケーションが不可欠です。実際にACPを実施することで患者、家族のQOLは向上すると言われていますが[7]、ただ業務的に患者の意向を尋ねるだけなら何の意味もない対応でしょう。ACPの本質は、医療者と患者、家族が対話を通じてどうしていくのか探していくそのプロセスにこそ意義があるからです。すなわち、ACPが成立するには、患者と医療者との良好な対話が必要なのです。ここにACPの問題が伏流します。医療者が良好な対話、コミュニケーションができるかという問題です。結局ACPは、「最期は延命治療をするか」というADに加えて、「最期はどこで過ごすか」「食べられなくなったら胃瘻をつけるか」「呼吸ができなくなったら呼吸器をつけるか」というYes-Noで符号化される情報が増えただけの概念と誤解されている可能性があります。

さらに、このACPはADと同じく自己決定が基本となっているため、私が多く出会ってきた患者さんのように、「自分はどうしていきたいのかわからない」方々や、病状の進行によって考える力が低下した方々、ただ不安と恐怖におののく患者、家族とこれからどうしていきたいのかを考えるのには、ただコミュニケーションの時間が足りないだけではない問題の本質に、行き詰まる方もいらっしゃるのです。つまり、本当に人は自己決定をして人生を行き続けることができるのかという問題が提起されるのです。

加えて、自己決定はいつも自己責任がセットでつきまといます。医師は患者の治療を決定するというかつての重責、不快を、「患者の自己決定、自己責任」に転嫁することで軽減できるようになりました。「あなたが求めた治療を私は実施するに過ぎない」と、医師患者の人間関係は単なる契約関係に堕落していきます。そして、手術だけに興味がある医師、内視鏡だけに熱中する医師、心臓カテーテル検査だけに没頭したい医師といった、自身のアイデンティティを治療施術者としての技術の向上のみに執心する医師が増えたといっても過言ではない。こうして、「患者の自己決定」の追求の結果、医師は、患者、病人を含めた市民の聖職、そして人々の「師」であることを、自らやめてしまったのではないでしょうか。確かに患者が自分の人生に関わる決定を下す権利は大切で、患者が自己決定を達成する援助をすることは、医師にとってはとても重要な責務であります。医師は患者の人生の重大な決定にどう向き合うかいつも戸惑い続けている。現状は、私が医師になった頃も現在でも、医師と患者の非対称なまた交わることのない平行線は続いています。この平行線の間を結ぶ新たなチャンネル、つまりコミュニケーションや概念が開発されることを私を含む多くの医療者は心待ちにしているのです。

述べてきたように、医師が全能の振る舞いで患者の治療をしてきたパターナリズムの時代、医師が患者の人格の選別と家族の愛情を反映して治療してきたマターナリズムの時代を経て、患者自身が自分自身の治療を決定する権利を奪還した自己決定の時代を迎えてもなお、エンドオブライフケアのコミュニケーションを巡る問題は解決を見ません。10年単位で変化するコミュニケーションのあり方が今後どうなっていくのか、日常の臨床の現場の中で、自分がまだ気づいていない新たな次元と地平を汲み取ることができるのか、大きな好奇心を抱いています。そして隠れたコミュニケーションの秘密を少しでも解き明かしていきたいと決意を新たにしているのです。

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