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2012年9月22日 (土)

医師と患者の対話 第2話 マターナリズムの時代

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2000年 (平成12年)マターナリズムの時代

1年半ほど奮闘した脳外科医生活を、自分自身の心身の疲労のため断念した私は、当時働いていた病院で大変お世話になった看護師(婦長さん)の助言もあり、内科に移る事となりました。そして、農村部の病院で、内科医として新たな気持ちで働き始めました。ここでは自分の専門を定めて仕事をするような働き方はできず、あらゆる疾患の方々を診療しました。ある日、外来に検診の結果胸部のレントゲンで異常がある患者さんがやってきました。レントゲンを一目見るとがんであろうことは容易に予測できました。患者さんには、「もう少し検査をしましょう。そして来週また検査の結果をお伝えします」と伝えました。CTの検査は即日完了しやはり進行した肺癌であることが分かりました。

当時は、まだがんを「告知しない」、特にがんの病名をはっきり告げることに躊躇のある時代でした。もちろん、病名をきちんと伝えてこそ、医師と患者の信頼関係は構築されます。つらいことでもきちんと向き合って話し、そしてつらい治療に臨むという医師もいました。しかし、農村部の病院では指導医も含め、まず家族を病院に呼び出して結果の説明をすることがほとんどでした。私もそれに倣って、まず診療の終わる時間日暮れ時に家族だけを呼び出しました。呼び出すときは、内科外来のベテランの看護師が心得ており「どうかご本人には内緒でいらしてください」とやや暗い声で、まるで悪い企みをするような声で電話してくれました。
そしてこの家族と対面し、検査の結果、肺癌であること、進行していること、治療の方法がかなり限定されることを話しました。そして、いつものように言葉を続けます。「本人に病気のことを告知しますか?癌だと伝えますか?」すると、どの家族もたった今聞いたばかりのことです。受け止めきれない事実にたじろぐのは当然です。落ち着く時間もない状況では「いえ、決して本人には言わないで下さい。落ち込んで生きていくこともできなくなりますから」と答える方がほとんどでした。
この患者さんは、ある日抗がん剤の治療のため入院しました。「肺にできたばい菌の塊を注射の薬で治す」と、予めどういう嘘をつくか家族と打ち合わせたとおりに、私も説明しました。「薬で病気を治しましょう」と話しました。家族も、そして入院した病棟の看護師達にも打ち合わせ通りの嘘を共有しました。まだ本人は肺癌の症状もほとんどないため疑うことなく、病気の治療が始まりました。しかし、ばい菌を殺すための注射ではなく、抗がん剤の注射です。当然副作用で身体がだるくなり、吐き気もありました。「おかしい、この注射はおかしい。どんどん調子が悪くなる」と不審がる患者さんに、「薬が強いので最初は身体がつらくなるのです」とさらに嘘を上塗りしていきます。こうして、抗がん剤の治療が続きました。残念ながら全く治療の効果もなく、病状は悪化する一方でした。退院できることもなく衰弱し、もう残った時間も少ないであろうと感じる頃、「本当は私は癌じゃないのか」と尋ねる患者さんに、家族も私も「肺のばい菌は思ったよりも強い」と嘘を続けました。家族とは無用な延命をしないことを話し合い、そのまま息を引き取る日がやってきました。延命をしないことの一番の理由は、家族も私も「もう十分病気で苦しんだ。楽にしてあげたい」という考えからでした。

日本では、2000年頃から、インフォームドコンセント、患者の権利が議論されるようになりました。しかし、患者の権利に先駆的であったアメリカでは、1950年代には「告知すべきかすべきでないか」、1960年代には「どのように告げるべきか」、1970年になると「告げた後にどう支えていくか」が議論されていました[2]。当時の日本では「ムンテラ」という隠語で患者説明がなされ、ドイツ語で"癌"を意味するKrebs(クレブス)の頭文字の"K"とカルテに書いたり、英語で"癌"を意味するcarcinomaを略して"カルチ"と患者の前では話したりしていました。不誠実であることは分かっていながらも、事前に家族と会って、本人への病名の告知を反対されれば、以後どう話してもなかなか覆らないことがほとんどでした。何故なら告知をしないということは嘘を重ねていく必要があるということで、どんどん真実を伝えることができなくなるからなのです。

それでは、当時告知をしない決定は何をもってしていたのでしょうか。今から思えば、医師の裁量と家族の愛情であったと思うのです。つまり、「この患者は告知に耐えられる人格であるのか」という医師の尊大な裁量と、「悪いことは少しでも先送りにしてあげたい」という家族の現状否認をはらんだ愛情です。医師は、初対面の相手の人格を瞬時にスキャンできるほど高い人間的能力はないため、正直に告白すると、自分の存在を神格化するような尊大な振る舞いで患者に臨む必要があった。そして、一緒に嘘をつく家族とは不思議な連帯感を感じていました。このいびつな状況を一番不快に感じていたのは、患者の側で看護する看護師達です。看護師は、患者の「本当はがんじゃないのかしら」「本当は私は治らないんじゃないのかしら」という本音を聞き届けることがあっても、家族、特に主治医から告知しない、さらには嘘の付き方まで打ち合わせている状況では、とても親身になって患者に応えることもできず、とても苦しんでいたはずです。こうした欺瞞に満ちたコミュニケーションではありましたが、患者の事を思うからこそ告知しないというマターナリズムに満ちた対応であったことは間違いありません。

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