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2012年8月14日 (火)

いまどきの在宅医療8 「苦痛の共有」して生まれるもの

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今日で開業して10日が過ぎました。気がつくと10人の新しい患者さんを受け持つ事ができました。往診専門の医院では、患者さんがご自分で医院をみつけて診察に来ることはあまりないので、他の病院からの紹介を待つこととなります。そうなると、自分の努力だけでは患者さんを獲得することができず、紹介元の病院からの印象が大切になります。ここに、開業医の決心を惑わせる大きな問題が生まれます。それは、先方の紹介病院にどう自分をプロモーションするかという事です。僕は、がん、緩和ケアの仕事が長いので、そのような患者さんの紹介を受けることがこの10日間も多く、自分の力が発揮できる仕事を下さりありがたく思っています。そんな中、この地域で以前から開業していらっしゃる大変世話になっている先生の所にご挨拶に行った時に、変な噂を聞きました。「新城先生の所はもう、いそがし過ぎて患者さんを引き受けてくれない」という噂でした。開業して10日間、それほど仕事があるわけないのに、どこかで、こういう話を回している誰かがいるのです。地域からの洗礼とジャブが始まりました。でも、患者さんは頭を下げても、媚びても、愛想を振りまいても集まらないと確信しているので、こういう噂を聞くと人ごとのように、面白い!と膝を打って楽しみながらの毎日です。僕は、自然に集まるお互いがわかり合える患者さんに、自分の最大限の働きを捧げることができれば本当に良いと思っています。これは、全ての人にあてはまる診療ではないのかもしれません。自分の最高のパフォーマンスを、受け取って下さる患者さんに感謝しながら、たとえ少ない人数でも真摯に診療していきたいと、気持ちを新たにしています。

しかし、より多くの患者さんを診て行くには、「どのくらい選ばず患者さんを引き受けるか」という技量が問われます。ところで、いまどきの在宅医療の現場ではどのくらいの患者さんを受け持つと、どうにか経営的にやっていけるのでしょうか。

まず、紙の上で試算すると、僕の様に事務が2人位なら最低20人の患者さんを診察していれば慎ましく暮らして行けます。(月最低2回の訪問診療を実施して、処方箋あり、在宅時医学総合管理料を算定した場合)そして、開業までにいろいろな所を見て来た経験によると、僕のようにがんの患者さんが過半数という所では、せいぜい50ー60人が限界です。80人を超えると誰が誰か勘違いが起こるようになり、一人一人の処方を思い出せなくなります。そして緊急出動が増え、スケジュールが狂い、患者さん、ご家族からの苦情が増えます。そういった苦情は巡り巡って紹介元の病院に到達し、「あそこの医院に紹介すると患者さんの苦情が多い」と悪評が立つことになります。また、受け持ちの患者さんの中でがんの患者さんが1割程度の所では、1日に20人近くの患者さんを診察し、月に120人程度の患者さんを常時診察しています。100人近くの患者さんを抱えるところでは、医師を2名以上置いているところがほとんどでした。

実際、よい診療をしようと思うと、良いチームを作る必要があります。「あそこの医院はいつも同じ訪問看護ステーションと仕事する」とか「あそこのクリニックに依頼すると、自分の所の訪問看護ステーション、ケアマネージャーばかりだ」とか、色んな紹介元病院で耳にしました。でも、連携をしっかりとろうと思えば、場所の離れた、一人一人の顔と名前が一致しない訪問看護ステーションと連携することはとても難しいというのが実感です。特に、がん、緩和ケア、看取りに関わる医療やケアでは、身近でいつも連絡を取り合い、またお互い診療、看護中の意思を伝え、さらには患者さん、家族の思いを伝え合うことが、より大切です。これは僕がホスピスで働いていた時の実感です。
勤務医時代でも、いつも一緒に働く看護師一人一人の顔、看護助手の一人一人の顔がきちんとわかる職場では、どんなに夜遅く電話がかかってきても、何が行き詰まっているのか、どういう問題があるのかすぐに分かります。一方、ホスピスが満床で他の一般病棟に入院してしまった患者さんに問題が起こった時は、一般病棟の看護師さんから電話をもらうのですが、どうしても伝えられない部分、どうしてもわかり合えない問題をよく感じました。色々な医院、クリニック、訪問看護ステーション、様々な事業所と連携したいとは思っていても、顔を合わせる時間を日常的に持つことができないとどうしても心がつながりにくいのです。またこれは自分自身の経験知ですが、「会議、勉強会、研究会そして宴会だけでは、お互いの顔はわかっても本当に一緒に仕事するところには至らない」とつくづく思います。一緒の現場で汗を流さないと、お互いの胸の内は見えてきません。いわば、一緒の職場で働いていても、同じプロジェクトを共有し、苦労していない相手とは、なかなか顔見知り以上にはならないということです。そして様々な苦痛を共に体験することで、さらに本音を伝えられる相手へとなっていきます。ですから、長く一緒に働きたいと心から思う相手には、その職場にお願いしたとえ短い時間でも一緒に働かせてもらい、必ずカンファレンスをしてお互いの苦痛の体験を確認し共有してきました。

話は変わりますが、緩和ケア研修という土・日、1日半かかる医師向けの研修会があります。各地のがん拠点病院といわれる大きな総合病院は、年に1回開催しています。緩和ケアに関する講義や、ロールプレイ、グループワークを通じて各医師の知識の向上をはかり、緩和ケアの普及に努めます。多くの患者さんとのやりとりを通じて、とてもこの1日半の内容では緩和ケアは学べないというのはすぐに分かります。また講義の内容もある箇所は初歩的で退屈、ある箇所は難解で複雑で指導者も参加者も戸惑います。ロールプレイも医師にはとても照れくさく、顔見知りのいい年をした医師同士が、患者、医師役を交代しながら、気の乗らない寸劇をする姿を見ていると、教育的効果は半信半疑の事もあります。そして、指導者(講師)も時間的負担が大変です。僕も何度か手伝い、また自分の勤務していた病院でも企画しましたが、2日間の拘束だけでなくそのための準備にかなりの時間を要します。そして、各地でこの講師を担当してみても、内容はできあいのもので、何度も同じ講義を繰り返します。何度も話していると、徐々に言葉は力を失い、研修に参加した医師もばたばたと倒れて眠っていきます。

こういう研修会を繰り返して学んだことは、本質は教育というのはコンテンツ(内容)の伝播ではなく、そこに集まった医師に長時間同じ苦痛を共有させることで、普段得られないほどの深い心のつながりを作ることができるということでした。「あの時一緒だった」という医師同士で新たな関係が始まるのです。同じ病院内だけでなく、違う病院の医師同士、病院の勤務医と開業医の、それまでは所属と名前で記号化されていた関係が、新たな血の通った関係、「顔の見える関係」に変わっていくのです。このことは、自分自身の中学、高校の頃を思い出しても明らかです。授業の内容は先生には申し訳ないのですが、ほとんど覚えていない。それでもその合間の雑談、そして同窓会であれほどの心の連帯を感じることができる今の関係を見直せば、教育には主目的以外に大きな意義があることは誰もが体験していることだと思います。ですから、適度な苦痛な時間なくしては、人と人とは結びつかないのです。「緩和ケア研修会」と題して、ビールを片手に自分の思いをしゃべり合うのでは、全く人と人とは結びつきません。

脱線しました。今までの経験から無意味に頭を下げても、媚びても、自分が男芸者となって周りに愛想を振りまいても、自分の医院には患者は増やせない(顧客を増やせない)と思っています。なぜなら、そこには苦痛の共有がないからです。そして、色んな苦痛を周りと共有する心の準備をしています。最近の在宅医療では入院中の患者さんの紹介を受けるとき、先方の病院に出向き先方の医療チームと顔を合わせて話し合う、いわゆる「退院カンファレンス」(退院時共同指導)を実施することもちょくちょくでてきました。ここでは実際に受けている治療内容、医師、看護師から患者、家族への説明内容を引き継ぎ、いくつか意見を交わします。僕は、業務的なやりとりよりも、「今まで患者さん、ご家族で苦労してきたこと」言葉は悪いのですが、診療上の「苦痛」に焦点をおいて話をするようにしています。先方の仕事を引き継ぐのではなく、「苦痛」を引き継ぐことで、新しい関係を夢見ているのです。

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