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2012年5月 2日 (水)

今どきの緩和医療4 においと文化について

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4月から久しぶりの往診を始めたのですが、先日の文章で、僕は昼間の明るさと日の光の心地よさを新しい仕事を始めた高揚感で、「心地の良い町のにおい」と書きました。しかし、真実はその心地の良いにおいは移動中のにおいなのです。往診をしていると移動中が我に返る時間、そして頭を整理し、休憩の時間です。いわば、舞台袖のような場所です。そこで感じる周囲の空気は、本当はプライベートなもので、自分の心の状態が反映されてどんなにおいも良い香りに格上げします。でも、本来仕事のにおいは、その移動の前後です。いや、移動は本来の仕事の時間ではなく保留された状態です。舞台の上で感じるにおいというものは決して心地よいものだけではありません。今回はそのことについて書いてみようと思います。

各家庭への往診をすると分かります。多くの患者さんは自分の家から出て行くことができないため、往診を受けることになるのです。ということは、自分の力がほとんどない。自分の力がほとんどない状況になるとまず部屋が散らかってきます。掃除や整理整頓にも力がいるのです。ある方は、真夏にこたつ布団もそのままで生活し、ある方は、何に使うのか分からないような道具や置物に埋もれ、ある方は、手に取るもの全てがベッドの周りに散乱し、またある方は台所に洗い物が山積みになり原形をとどめないほどです。もちろん、ヘルパーの方々もいらっしゃって、洗い物はしていることが多いので、作った料理が何ヶ月も鍋に入ったままで放置され異臭を放つなどということはありません。ただ、「ものを捨てる」ことは本人にも、そして身近な援助者であるヘルパーも、「片付けることができないなら、片付けてあげよう」「捨てられないのなら、捨ててあげよう」と、いくら相手のためとはいえ、各家庭の整理整頓は、自分の判断だけではできないのです。とにかく往診先でいつも感じるのは、どの家庭にもものが多い。「いつか使うかもしれない」と思うのか、「かたづける気力すらない」のかよく分かりませんが、何から手を着けたら良いのか分からないほど散らかっています。

この散乱した室内についての考察は、ケアをひらくシリーズで精神医の春日武彦先生が面白い考察をいくつかしていらっしゃいます。春日先生が指摘したように、この散乱した室内と病んだ家族は両軸です。しかし、どの家庭もそれぞれは小宇宙で、その家庭にしか通用しないルールとバランスが存在します。一見散らかった居間、ものにあふれて寝る場所もないほどのベッドにも、彼らの侵しがたいルールがあるのです。もちろん、皆さんの職場にも片付かないデスクの上司や、家庭に帰れば、片付けられない妻と生活している方もあるでしょう、またあなた自身が片付けられない人かもしれません。その混沌とした状況にもルールがあり、「ああ、あれはここよ」なんて話しながら、名人芸のように、書類の山からお目当ての紙切れを探し出す、超人的な検索能力に舌を巻くこともあると思います。

そして、この散らかった部屋にはそれぞれ固有のにおいがあり、各家庭のまた患者さんのにおいと混ざり合っています。しかし、そのにおいは、患者さん限らず皆さんが小さいときから誰かの家に遊びに行ったとき、玄関をくぐった瞬間にかぐあの「自分の家とここはちがう」というにおいと同じものです。そのにおいは時に自分にフィットし心地よく、また多くは、散らかった部屋と共にやや不快なものとして感じられます。このにおいは純粋に嗅覚だけに由来するものではなく、散らかった部屋の視覚にも影響を受けたにおいなんだと思います。

自分の職場を振り返って考えてみると、同じ病室が並んだホスピス病棟にはなかったにおいです。ホスピスの病棟では、やはり無臭の空間です。各部屋は患者さんが退院すれば、(亡くなれば)次の人のために明け渡されます。誰も決して口にしませんが、一つの部屋一人の患者さん、家族に独占されず、時と共に多くの人たちに使われるのです。最近もある方と話して気がつきましたが、無臭な空間に文化は生まれないのです。そこは医療の部屋であって、暮らしていたにおいに満ちあふれた家ではないのです。

僕は、自分の全てをかけて働いた、ホスピスや病院での生活や看取りを否定する訳ではありません。ただ、無臭な部屋と病棟には文化は生まれないと言うことです。どれだけボランティアや、レクリエーションを工夫しても、それはどこか恣意的なにおいを漂わせ、活動が終わるとすぐに消えていくにおいです。いつまでも、そのにおいを閉じ込めようと写真を撮ってベッドサイドに飾ってもすぐににおいという文化の化身は消えていきます。

僕の往診先には、集合住宅、マンションも多く、昭和の公団住宅にもよく行きます。その公団住宅は、すでに外壁も朽ち果て、エレベーターからは異臭とも言うべく鼻をつくにおいが発せられています。汗のすえたようなにおい、恐らく野良猫のし尿のにおい、食べ物が腐ったようなにおい。また独居の高齢者マンションには、尿が床に水たまりを作り、異臭を放っています。余りのにおいに息をこらえて、往診することもありますが、不思議とその風景に自分がおさまり5分も経てば何にも感じなくなってきます。においほど順応しやすい刺激はないのではないかと思うほどです。この、病院には決してなかったにおいはそのままその家庭の文化です。また、日本が高度成長を経て、物質的に豊かになっていく過程の中で、あふれていくモノの数々が、各家庭の風景とにおいを形成しています。このにおいとは患者さんの体臭というだけではなく、それぞれの家庭を小宇宙を識別するコードのようなものではないかと思うほどです。


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病院に勤務しているときには、患者さんをにおいでコードし、記憶することはありませんでしたが、今は往診の移動中に次の家のにおいを自分の鼻に予感しながら移動しているのです。町のにおいとは、決して心地よいものだけではなく、時にはかなり不快なものです。しかし、このにおいこそが実は文化の源であり、自分のにおいとの差異を自覚することが、相手の家庭と生活を尊重し、相手の生活の質(QOL)を感じる第一歩なのではないかと、今の僕は考えているのです。

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