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2012年4月14日 (土)

今どきの在宅医療 1 訪問診療はじまり

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今日から、10年ぶりの訪問診療。10年前三重県の病院に勤務していたときは、農村部の病院だったので、自分の外来に来ることができなくなった方には、自分が往診をしていました。当時は介護保険が丁度始まった頃でした。
新しく病院の駐車場の中に開設されたプレハブ造りの訪問看護ステーションのベテラン看護師さんとの共同作業はとても楽しく、色んな制約がある中でもどうしたら一番その状況で良い方法が達成できるか、知恵を絞って考えていました。まさにブリコラージュな医療です。当時僕は20代で、まだ体力もあり、緩和医療を知ってその魅力に興奮していました。食べられなくなったら、大容量の点滴が必要になる。だから、家に帰ってその点滴ができないとなると、何か十分ではない、できることを怠っているとそんな罪悪感にさいなまれる、そんな状況でした。緩和医療の本を読むと、腹水や浮腫があれば点滴はやめた方が良い、点滴は少なくした方が症状が少ない、そんな内容でした。十分なことが家ではできないのではないかという疑念を根底からひっくり返す知見で、「こうしなくてはならない」という自分の考えを柔軟な方向に導いてくれました。

しかし、こういったものには科学的な吟味はなくて、あくまで経験的な実感に基づいたものが多く、どちらかというと現在まで行われている医療に対して反対の立場をとる教義的な内容になることもありました。つまり「末期の患者に点滴するのはおかしい」「亡くなる間際まで化学療法するのは、患者を苦しめることだ」そして、「亡くなった瞬間から蘇生行為を始めるなんて、非人道的な事だ」
こんな教義的なフレーズは、行われている医療に疑問を感じていた医師や看護師、薬剤師の間に共感を生んで徐々に広がり、当初は「現代医療に対するアンチ」であることが緩和医療やホスピス・ケアである証のような状況でした。このような中、僕もだんだんホスピスへのあこがれが強くなり、神戸のホスピス(緩和ケア病棟)で働き始めることになりました。

そして10年のホスピスの勤務医時代は、「現代医療に対するアンチ」のやり方で働いていましたが、徐々にそれではうまくいかないことに気がついてきました。ホスピス、緩和ケアが通常のがん治療の対局(アンチ)であるということでは、何かをあきらめた人だけがホスピス、緩和ケアを受ける選択権を持つようで、そこに限界を感じたのです。ホスピス病棟から離れて他の病棟へ行っても、痛い、食べられない、息苦しいと多くの人たちは苦しんでいました。彼らに必要な医療が届くようにするには、ホスピス・緩和ケアが「現代医療のオルタナティブ」に脱皮する必要があると感じました。「早期からの緩和ケア」とか「がんになったら緩和ケア」とか言われる価値観の流布を始めたのです。でも、実際病気をした患者さんの側から見れば、自分に必要な治療を受けたい、苦しい思いを軽減したいという思いに対応して欲しいと言うだけで、「早期」とか「診断時から」とか、「緩和ケアチーム」とかそういう医療者の操作的、業務的概念は特に関係ない事なんだとつくづく思います。「私の痛みをとるのには、『緩和ケア』の人たちにお願いしないといけないの?」これが切実な本音だと思いました。

そして次第に、ホスピス・緩和ケアの人たちは、がんを扱う全ての人たちにレクチャーを始め、徐々にその広がりを見せています。僕は、ホスピス・緩和ケアの発展とアンチからオルタナティブへの変化を見守りながらも、一度「ただの医者」に戻ってみたいと思うようになりました。10年前に感じた在宅医療の良さと言うよりも、新しいことを始めてみたい、今まで培ったことはひとまず横に置いておいて、もう一度医療の原点を見直してみたいと思うようになりました。今どきの在宅医療が10年前と何が違うのか、今どきの緩和ケアが一体どうなっていくのか、また考えていきたいと思います。


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