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2012年3月

2012年3月14日 (水)

「心の映像」 ホスピスでの10年をふりかえって

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間もなくこの病院で働いて10年になります。そしてその10年を節目として、この病院を去る決心をしました。今後は開業医としての生活を始めます。人生の夏である30代を背伸びしながら、休むことなくほぼフルスピードで走ってきたホスピスでの10年。20代の終わりに憧れていたホスピスで働き始めた時の期待感を思い出し、10年経った今、自分が何を大事にしてきたかを考えてみました。

ホスピスで働く前の内科医時代、がんの患者さんは自分にとっては巨大な恐怖の対象でした。がんという言葉自体の恐怖、そして診断していく過程に生ずる「もしも自分が誤診をしてしまったら」という恐怖、治療の過程に生じる「もし自分の検査、処置で相手を傷つけてしまったらどうしよう」という合併症への恐怖、そしてもっとも大きな恐怖は「死を見つめ続ける」つまり衰退に向きあう恐怖です。「死は敗北ではない」と、いくら医療に対する着眼点を変えようと思っても、それはいわば臨床の現場を離れて一息ついたときに自分の高揚した心を鎮めるためのフレーズに過ぎません。実際の患者さんを前にすれば多くの経験から導かれた先人たちの金言、例えば「死は敗北ではない」とか「キュアよりケア」とか「doingよりbeing」とかは、いわば目的を果たして帰ってきた者たちが輝かしい遠い目で語る共通感覚です。まだ、苦悩のまっただ中にある自分には、遙か遠い金言でした。

ホスピスは普通の人達にとっては、毎日のように人が亡くなるところ、亡くなる直前に過ごすところです。
「亡くなる人を毎日見続けていたら、自分が変になるんじゃないの?」
「毎日どうやって気持ちを立て直すの?」
よく他人から聞かれました。かつての同僚からも、心配そうな表情で「大丈夫か?」とよく声をかけてもらいました。ホスピスで働き出した自分にとっては、こういう質問を聞くといつも感じることがありました。なるほど、ホスピスを外から眺めれば、死の恐怖と真っ正面から向き合った状況で、医師と患者は大きな信頼と一種の連帯の中、まさに手と手を取り合って死別を繰り返していると想像されているのだと。ホスピスを外から見るまなざしはある意味正しく、またある意味で現場とは異なっていました。意味が異なる一番大きな理由は、働いている医療者と実際の病者に「会っていない」から知り得ないことだと思いました。それは10年間の自分と全く同じ地平です。実際に死の床にある病者の側に仕えていれば気がつきます。彼らは一人一人違う人生を生きて、違う家族を持ち、違う顔をした、自分と同じ個性豊かな人間なんだと。「肺癌のステージ4,骨転移があって、腰痛があり、モルヒネを服用している」と符号化したときに見えなくなる一人一人の人生と顔。「妻と二人暮らし、子供は遠方、年金収入だけ」と符号化したときに見えなくなる、一人一人の家族の歴史と通い合う情。ほんの数分でも会って話せば、すぐに顔と人生、情の一端を汲み取ることができるはずです。その一端は、見慣れた変わり映えのしない病室であっても注意して病者の手をとれば、必ず汲み取れるはずです。何も特殊な能力が必要なわけではありません。実際に病者の手を取って、あなたの心に伝わるもの、あなたが感じたものがそのまま丸ごと、たった今の病者の人生のかけらです。汲み取るのは相手の人生だけではなくて、あなたの心の映像です。符号化した患者の情報からは、自分の記憶の中にある誰かに、自分のノートの何ページにあてはまるのか分類することしかできません。あなたの心に浮かんだ映像と言葉は、その時一回限りの、分類できないほどぼんやりとした、形を結ばない霧のようなものです。業務の電話や、たまたま映し出されるテレビの映像、急かす心の声(次の部屋へ早く行かないと間に合わないよ)で、あっと言う間に消えていきます。

一期一会とはよく言ったものです。その時ただ一回しか見えてこない幻のような霧もありました。翌日同じ病者の手を取っても、もう見えてこないこともありました。自分の心に(あの人、帰る前にもう一度会いに行った方がいい)と勝手に言葉が降ってくることが、度々あります。そんな時に、(早く帰って家族に合流しなきゃ)とか(明日もきっとあのベッドに寝ているさ)と考えるのはたやすいことです。そんな誰にも見つからないような小さな怠慢が、幻のような霧を消し去ります。そして、(会いに行った方がいい)と自分の心に浮かんだとき、病者の手を取るために病棟へ戻れば、そこには必ず何かが待っていました。時には、仕事を終えて見舞いに来たにこやかな家族と談笑する姿、時には、息をひきとりそうな小さな呼吸、時には、我を見失って混乱している怯えた表情、時には、啓示的な人生の重い告白。そして、いつも幻のような霧には、病者の感謝、(聞き届けてくれてアリガトウ)の感謝が添えられていました。こういう経験を数多くすることで、自分と約束したことがあります。自分の分からない世界、分からないことに出会ったとき、不安や恐怖を感じたとき、面倒だな後にしようかなと思ってしまったとき必ず「まず会って、あとはそれから」をモットーにしようと。

自分が緩和ケアの専門医であることから、色んな相談を受けるときがあります。医局(医者たちのデスクがある事務所)で、「こういう痛みなんだけどどの薬使ったらよいかな」、「こういう家族背景のある患者なんだけど、何かいい方法があるかな」と声をかけられます。その場ですぐ、符号化した情報を処理すれば、ある程度のコメントはできます。また、そうすれば相手もすぐに答えを得ることができて、話が早い。それでも、一通り話しを聞いてから、相手が研修医であっても、「一度患者さんに会ってからまた答えていいですか」と伝えて、答えを考えるようにしてきました。最近も、強い痛みの相談を受けました。すぐにその自分とほとんど年も変わらない、HIV陽性の男性の所へ行き、彼の手を取って彼の人生のかけらを感じ取ろうとしました。その瞬間彼の口からは、「早く死にたいこんなに苦しいことはない」という言葉と涙がたくさんあふれてきました。つないだ手は、言葉と同時に強い力で握りかえしてきます。その時、僕はこの方と最期を看取る約束をすることになると直感し、実際にその2週間後に緩和ケアの病棟で、ご家族と最期を看取りました。本当なら、医局で話しかけられたときに、医局にあるコンピューターから画像と病歴を見て、鎮痛薬を決めることもできたのです。状態から考えれば、緩和ケアの病棟に移る時期だったのです。また本人も家族も、相談に来た医者もそのつもりでした。でも、僕が実際に会いに行かなければ、この患者さんと僕の間に交わされる約束と、この方の心の霧は見えてこなかったと思うのです。心の霧は毎日少しずつ体積が増え、またその霧にはご家族と共有している霧も増えて、色と形ができていきました。

10年間、2000人近くの看取りに、直接、間接的に関わり、自分が一番大切にしてきたことは、「人と会って、それから考える」ことでした。病者の手を取って、自分の心に浮かぶ映像と言葉を探し、そこから次に自分が何をすべきかを考える。きっとこういうことの積み重ねを、人は経験と呼び、毎回謙虚に診察を続けることができる唯一の方法だと僕は考えているのです。ここまで書いた瞬間に、ホスピス病棟から電話が掛かってきました。とある患者さんが息苦しそうにしていると。原稿に集中する余り、電話で指示を伝えそうになりましたが、「すぐに診てそれから考えます」と答えました。さて、今から彼女の手を取り、自分に何ができるか、その方から何が伝わってくるかを探してきます。そして、自分が何を為すべきか考えます。そう、彼女を通して伝わる自分の心の映像を頼りに。

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