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2011年11月28日 (月)

上機嫌な医師の、ノブレス・オブリージュ

この週末は熊本へ行き、4月に知り合った先生のクリニックにお邪魔しました。最近開業の先生を見渡して思うのですが、勤務医よりもずっと上機嫌に仕事をしていらっしゃいます。お会いした先生も部屋の間取りを我が子のように喜んで話していらっしゃいました。この上機嫌は収入とは恐らく無関係です。
医者の世界もインターネットによる情報の無配慮な開示で、隣の芝の色がただ青く見えていた時代から、本当の色が分かるようになってしまいました。でも、給与や労働時間、設備といったカウント可能な属性に過ぎません。上機嫌に働ける場所ということに、医者はもっと敏感になるべきです。

でも、僕が開業を決めたのは、今の職場の不満が募ったわけでも、毎日不機嫌に過ごしているからではありません。お金のためでも、自己実現のためでもありません。世の中格差は広がっています。それは医療の現場から見ても、誤魔化せないほどです。そして僕の考えていることにぴったりなその心は、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)だと思います。ノブレス・オブリージュとは、高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務があるとする考え方のことです。ただ、これを貴族の余った金を誰かに恵んでやっているといったうがった見方では本質は見えてきません。そりゃあ、人に配れる、贈れるものを持っている奴は良いよな、オレなんてもう自分が生きるので必死よ。人の事なんて構っていられないという声もよく分かります。でも、僕の狭い世界をぐるっと見渡してみると、持っている財産の多寡に関わらず、誰もが自分の保持する財産と能力に、独占的でかつ利己的なのに気がつきます。

最近、格差が広がっていることを医師が一番よく知っているのに、「やれやれ、自分はこの時代の中にいて、うまくやり過ごせた。自分と自分の子供はどうにか良い暮らしができるだろう」とそんな風につい考えていたりします(僕だってそうです)。でも、そうやって自分が生まれた環境や、生きてきた環境を閉じていく作業は、要するに自分も階層化されていく世界の中で、自分という階層の間口を鉄の扉で閉めきって厳重にカギをかけることになるのです。こうして、自分が得た富や業績、名声を自分の成果として独占すると、その閉めきった扉の中で知らない間に自分の置かれた立場はどんどん低下していくことがほとんどです。自分の利益に、自分が利己的に独占すると通常は階層は下降します。周囲からの信頼を得ず徐々に孤立するからです。
自分の収入を、募金するとか、周りに配るとかそういうお金を配ることが自分の富の分配ではありません。自分の今まで得た幸福を感じる何かを通貨にして、周りに配る必要があるのです。医療はそういう自分自身が幸福に感じる何かを、技量という形にして、やむを得ず通貨と交換することでやっと成立するのです。ですから、幸福に感じる何かがない、不機嫌な医師からは、もはや技量を患者から消費される対象としてしか評価されることはありません。それはきっと医師にとってはさらに窮屈な状況に追い込まれることになるでしょう。
病院内のルール、既存の組織や、医療制度、厚労省の政策何に対してでもよいのですが、とにかく不機嫌に怒っている医師がいます。彼らの主張には整合性も、問題意識もあり、そしてあらゆる矛盾から患者を代弁した主張をしてるように一見見えることもあります。しかし上機嫌に問題点を主張できない医師には、その心の階層の独占、もしくは階層の上昇、出世の欲望が見え隠れしてしまうのです。僕が怒っている医師に耳を傾けないのはそんな理由からです。彼らは怒ることで、階層の間口を閉めようとします。「わからないやつは口を出すな、現場に干渉するな、役人はわかってない、素人は手を出すな」こういう語り口で必ず怒っています。一見、弱者をかばうような包装紙をつけていますが、その中味はどこか空虚です。「オレは、病院の医療を実践し、よく分かった。病院の医療には文化がない!病院で患者を看取ると言うことは不自然きわまりない。病院がダメだからオレは、開業して在宅医療をするのじゃ!」こういう語り口はどこか聞き手の心に爽快感を抱かせますが、怒る医師の手にかかれば、自分も相手も患者も階層(住む世界)は完全に固定化され、その存在は記号化される可能性があります。怒る医師は、自分の価値観を利己的に独占し、周囲の声が聞こえなくなるくらいしっかりと鉄の扉のカギをかけてしまいます。そして恐らく絶えず孤独でしょう。怒る医師、不機嫌な医師は絶えず自分と自分の世界が不当に扱われているという妄想から自由になれず、その上に孤独ですからさらに不機嫌を熟成していきます。

こうした不機嫌を避けて、上機嫌に自分の幸福を周りに配ること以外、自分には関心がないということが最近よくわかってきました。経営も成功も、子供の受験の合否も二の次です。

勤務医で働く以上、毎月の収入に大きな変動なく安全な場所から医療を提供できます。色々な不満はあっても、自分の仕事の多くはプロフェッションとして、自分の心の星、理想に照らし合わせて、自分の提供したい医療を提供できます。少なくとも僕にはそうです。自分の関心である分野、これを専門と言いますが、保証されます。緩和ケアに関心があるのに、1週間のほとんどを整形外科の病棟で過ごすようなことはないということです。プロフェッションとして、自分の理想となる医療の追求はとても幸せなことでした。しかし、それが利己的な動機と欲望を満たすという意味において、自分の富を利己的に保持することに疚しさを感じるようになってきました。それを強烈に感じたのが、やはり今年の大震災の後、ほんの短い期間ですが、現地でお手伝いをした経験からでした。こうして、自分が幸せに得たものを周りに配る方法を考えたときに、開業に行き着いたということに気がついた週末でした。

さて、この誓いの通りうまくいっていることでしょうか。1年後に見直してみます。

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