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2011年11月

2011年11月29日 (火)

時空を超えるメッセージ

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「こんなとき皆さんはどうしているのですか?」
時々、患者さんや家族からそう尋ねられます。今日もある方から同じ質問を受けました。以前はどう答えるか迷いました。なぜ迷うのか考えてみると、色んな事に気がつきました。
今日はこんな状況でした。ある患者さんにあらゆる薬を使って、痛みや吐き気、そして夜に眠れないというつらい症状を抑えることに成功しました。とても薬に敏感な患者さんで、薬の副作用が出やすく、普通の使い方ではかえって状況が悪くなるため、一つ一つの薬の量、種類を自分の知識を総動員して調整しました。

薬の調整の過程は患者さん本人や家族にも理解しやすく、何に毎日取り組んでいるのかお互い一つの目標が見えることもあり、信頼と期待はおのずと盛り上がり、成果が出た喜びを共有する医師、患者にとっては、いわば蜜月になります。患者さんが昨日悩んだ痛みが、医者の昨日の智恵で、二人の今日の笑顔になる。そして、成果が得られた時、患者さん、家族の信頼を医師は勝ち得ることができます。この達成感に医師は緩和ケアの確かな手応えを感じ、さらに興味、関心を増幅させます。もちろん、緩和ケアにとってとても重要なのは、症状を抑えて苦痛を取り除くことです。苦しみなく穏やかに過ごしたい、どの患者さんも家族もそして医師も望むことです。でも、本当に患者さんと向き合っていれば、蜜月はじきに終わることを自覚しておく必要があるのです。患者さんは、薬で全て症状を抑えることができた時、全ての苦痛から救われるのではなく、次に必ず向き合わなくてはならない新たな苦痛がやってくる、その現実に気がつくのです。それは、動けなくなること、自由に体が動かなくなることです。痛みがなく、少し食事が出来るようになり、吐き気が治まり、眠れるようになっても、自分の体に残ったエネルギーを増やすことは、治療や薬では出来ないのです。体のエネルギーをもし増やせるとしたら、それは休養を十分にとりひたすら自分の体の神秘的な能力、自然治癒の力に委ねる必要があるのです。しかし、多くのがん患者さんは、毎日少しずつその力を奪われていきます。どう考えを変化させても、どう治療をしていっても、この力が失われてゆく事実にはなすすべがないのです。

この時蜜月は終わり、それまで薬の調整とその成果で信頼を維持していた医師、患者関係は音を立てて崩れていきます。崩れるのはまず医師の心の中です。成果を出せない自分の状況に自分自身が向き合うことが出来なくなるのです。僕の経験では、患者さん、家族は、自分に熱心に接してくれた医師の信頼を簡単に忘れることはありません。ですから、成果を出せない医師に対して「あの先生は役に立たないから主治医を別の方にして下さいます?」という要望は患者さん本人からはほとんど聞かれません(時に言われてしまうととても落ち込むのですが)。それでも、医師の心の中でまず崩れてしまう関係、そして努力しても状況が悪くなる現実を目の当たりにして、患者さんに向き合えなくなります。つまり否認が始まります。「もしかしたら、自分が知らないだけで他に方法があるのではないか」と謙虚な姿勢で医療に臨む医師は、別の医師に相談することでしょう。それでも魔法の名案が簡単にみつかるわけではないのです。この、「衰退していく状況でもなお患者さんから逃げ出さない」覚悟は医師にとって相当重要な心構えとなります。魔法の名案を夢想しつつも、現実何かできる小さな事をこつこつと積み上げ続ける。日々何かを喪失していく患者さんに向き合い、決して「もういい加減にあきらめて下さい」「もう私にできることはありません」と逃亡の宣告をせず、患者さんの部屋に立ち尽くす自分の姿から逃避せず、看護師や他のスタッフからくるその患者さんの不調の報告に苛立たず、自分の視界から消滅させるべく転院を迫らず、そして無関心を装うかのように自分の心のカーテンを(雨戸を)閉めずに向き合うにはどうしたら良いのでしょうか。

そんなことを僕はホスピスで10年間ずっと考えてきました。以前も書きましたが、毎日喪失していく日々の中で何を創造することができるのか、その挑戦をずっと続けてきました。そんなある日、一つの光明を見つけるきっかけがありました。それが冒頭の質問です。ある患者さんから「こんなとき皆さんはどうしているのですか?」と問われたのです。その質問に、「そうですね、こういう苦しい状況で、今まで出会った患者さんは、ただ静かに耐えていました」とか「苦しい状況の中でも、ご家族と一緒の時間を大切にしていました」ときれいなフィクションを話すのも不誠実です。また、「少し前に出会った女性の方は、こういう苦しい状況になったときには、家族に泊まって欲しい、淋しいからそばにいてほしいと率直に頼んでいました。家族の支えがあってどうにか過ごすことが出来ました」などと克明な事実を話すのも、尋ねられた患者さんの自尊心を損なうのではないかと恐れました。この自尊心とはつまり、「苦しい状況にあるわたし、このわたしの苦しみは誰とも共有できるものではない。ましてや、誰と同じものでもない。わたしを別の患者や別の誰かと比べるのはやめて!」という気持ちです。医師のどこか決めつけたような言い方に、患者さんや家族はかえって不快に思うのではないかと考えてしまったのです。 わたしと他人は全く別の人格、わたしを「大勢のがん患者の一人」として扱うのはやめてほしい、わたしの考えは他の誰でもないわたしだけのもの。こういうonly oneな自己の確立を今の世の中では推奨します。わたしは何者であるか本当は、わたしにもわからない、でも本当のわたしはどこかにいる。その本当のわたしを確信して、わたしは探し続ける。探し出したわたしはonly oneのわたし。交換不可能な他の誰とも違うわたし。こういう考えは今の世の中にはびこり、自分探しの旅を続ける一生の旅人となることを宿命づけられている。
僕が海外にほんの数ヶ月遊学に出た学生時代、巷にはそんな若者があふれていました。日本を離れて、海外を旅すれば本当の自分を見つけられる、そんな自分探しの旅をする若者です。僕も実際に自分探しをと意気込んで、旅をして分かったことは、「自分はこの窮屈で不自由な等身大の自分を引き受けるしかない」という諦めでした。でも今から自分の若い頃を思い出せば、本当の自分、only oneという幻想に、自分の自尊心が今よりもずっと肥大化していただけだと、今から考えると分かります。

それでもなお、僕が「こんなとき皆さんはどうしているのですか?」の問いに答える時、どう答えても、その患者さんにはかえって自尊心を傷つけてしまうのではないかという恐れを感じる理由もわかっていただけると思います。
それだけではありません。「本当の自分、only one」という幻想は、患者さんにとって強い現実の否認(病状の否認)にもつながっていきます。今こうして病気で苦しんでいる自分は本当の自分ではない。何かうまい方法、薬、治療方法があればすぐに明日から本当の自分を手に入れることが出来る、そんな風に考えるのも当然です。もちろん、不自由な体、耐え難い苦痛を患者さんは体験しているのですから、簡単に自尊心の肥大化を指摘するのは早計で、また失礼です。患者さんは、どう考えても引き受けられないほどの困難と苦痛を背負って毎日を送っているのですから。これが、本当の病者の苦痛ではないかと僕は考えます。モルヒネに代表される薬で緩和できる具体的な苦痛は、本当は患者さんの全体の苦痛ではなく、局所的な苦痛に過ぎないことに思い至るのです。
話を戻します。「こんなとき皆さんはどうしているのですか?」の質問を受け取ったとき、そうか、患者さんや家族は医師である僕にこの質問をする他ないのだということにも気がつきました。つまり、同じ境遇の患者さん同士が、「あなたはどうしているんですか?」とか、家族が「こんな時どんな風に看病していますか?」と誰かに尋ねることは出来ないのだということに気がついたのです。病院の中を見渡せば同時多発に、同じ苦痛が発生します。でもその患者さん同士が知り合うことは、まずないということに気がつきました。聡明で色んなご縁のある患者さんや家族は、患者会やネットで情報を得るかもしれません。でも僕の経験から、「今、ここ、まさに困っていること」に関する情報にアクセスする力は、本当に困っている人にはもう残っていないことがほとんどなのです。もし、アクセスできたとしても、自分とは違う、肉声のない情報には、患者さん、家族はあまり関心を示さないのです。いつも困っていること、苦しんでいること、悩んでいることは個別性が高く、また断片的です。「むせてしまうけど、持ってきた手作りの卵焼きを食べてよいか」、「歩くことは出来ないけど、どうしても家に帰りたい。数時間で帰った方が良いか、それとも一泊しても大丈夫なのか」、「食欲がない夫に、どういう料理を作ったら食べてくれるのか」こういう日常に発生する悩みに、的確に答える事はとても難しいのです。ある闘病記の何ページ目に同じ話が載っていました、ネットで患者が語る、この場面に似ていますよねと相似する箇所を指摘するよりも、多くの患者さんと時間を共有してきた医師である自分が、いわば生き証人として、すでにこの世にいない患者さんたちを思い、彼らの声を目の前の患者さんに伝えることが、自分にとってとても大事な役割なのではないかと考えるようになったのです。治療者としての自分の技能が及ばない患者さんの“喪失”に対しては、死者の声を真摯にこの目の前の患者さんに自分の肉声で再現すること、これこそが自分が天から授かった使命なのではないかとも考えるようになったのです。自分の目の前を通り過ぎて、先に天に戻った多くの患者さんの体験を活かす、そしていま目の前にいる患者さんたちの声を注意深く聞き、自分の記憶の石板に確実に刻むことが、未来のまだ見ぬ患者さんに捧げることができる大切な助言になるのではないかと考えたのです。その時から、僕は患者さんと向き合うことが出来るようになりました。不老不死が得られない以上、あらゆる医療という行為はいずれ限界を迎え、患者と医師の蜜月は、どの分野であってもいつか必ず終わります。それでも、なお患者さんと向き合い、喪失の中から何かを創造できるとしたら、それは健康な自分が病者に諭すような不遜な行いではなく、懸命に生きそして見えなくなった多くの病者の言葉に再び命と存在を与えることだと今の僕は確信しているのです。

「こんなとき皆さんはどうしているのですか?」
僕は、今日患者さんに答えました。「一人で抱えられる苦しみの量を超えてしまったとき、僕が前に出会った患者さんは、自分の家族を呼び寄せ一緒に過ごすようにしていました。家族に迷惑をかけてしまうと思う優しさもよく分かります。でもその患者さんは言ってました。『家族の愛情が今の自分を支えている』と」その事を教えてくれた患者さんは、この患者さんの部屋からわずかに離れた部屋で、すぐ近くにいらっしゃった方でした。この距離は近くても、決して交わることのない同じ悩みを持つ二人の患者さん。その二人をつなぐのは、他でもない彼らのために働く医師、医療者なのです。現在、過去、未来の患者さん同士をつなぐ存在である、時空を超えてメッセージを届ける医師の役割こそが、医師の仕事なのではないかと僕は確信しているのです。

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2011年11月28日 (月)

上機嫌な医師の、ノブレス・オブリージュ

この週末は熊本へ行き、4月に知り合った先生のクリニックにお邪魔しました。最近開業の先生を見渡して思うのですが、勤務医よりもずっと上機嫌に仕事をしていらっしゃいます。お会いした先生も部屋の間取りを我が子のように喜んで話していらっしゃいました。この上機嫌は収入とは恐らく無関係です。
医者の世界もインターネットによる情報の無配慮な開示で、隣の芝の色がただ青く見えていた時代から、本当の色が分かるようになってしまいました。でも、給与や労働時間、設備といったカウント可能な属性に過ぎません。上機嫌に働ける場所ということに、医者はもっと敏感になるべきです。

でも、僕が開業を決めたのは、今の職場の不満が募ったわけでも、毎日不機嫌に過ごしているからではありません。お金のためでも、自己実現のためでもありません。世の中格差は広がっています。それは医療の現場から見ても、誤魔化せないほどです。そして僕の考えていることにぴったりなその心は、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)だと思います。ノブレス・オブリージュとは、高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者にはそれに相応した重い責任・義務があるとする考え方のことです。ただ、これを貴族の余った金を誰かに恵んでやっているといったうがった見方では本質は見えてきません。そりゃあ、人に配れる、贈れるものを持っている奴は良いよな、オレなんてもう自分が生きるので必死よ。人の事なんて構っていられないという声もよく分かります。でも、僕の狭い世界をぐるっと見渡してみると、持っている財産の多寡に関わらず、誰もが自分の保持する財産と能力に、独占的でかつ利己的なのに気がつきます。

最近、格差が広がっていることを医師が一番よく知っているのに、「やれやれ、自分はこの時代の中にいて、うまくやり過ごせた。自分と自分の子供はどうにか良い暮らしができるだろう」とそんな風につい考えていたりします(僕だってそうです)。でも、そうやって自分が生まれた環境や、生きてきた環境を閉じていく作業は、要するに自分も階層化されていく世界の中で、自分という階層の間口を鉄の扉で閉めきって厳重にカギをかけることになるのです。こうして、自分が得た富や業績、名声を自分の成果として独占すると、その閉めきった扉の中で知らない間に自分の置かれた立場はどんどん低下していくことがほとんどです。自分の利益に、自分が利己的に独占すると通常は階層は下降します。周囲からの信頼を得ず徐々に孤立するからです。
自分の収入を、募金するとか、周りに配るとかそういうお金を配ることが自分の富の分配ではありません。自分の今まで得た幸福を感じる何かを通貨にして、周りに配る必要があるのです。医療はそういう自分自身が幸福に感じる何かを、技量という形にして、やむを得ず通貨と交換することでやっと成立するのです。ですから、幸福に感じる何かがない、不機嫌な医師からは、もはや技量を患者から消費される対象としてしか評価されることはありません。それはきっと医師にとってはさらに窮屈な状況に追い込まれることになるでしょう。
病院内のルール、既存の組織や、医療制度、厚労省の政策何に対してでもよいのですが、とにかく不機嫌に怒っている医師がいます。彼らの主張には整合性も、問題意識もあり、そしてあらゆる矛盾から患者を代弁した主張をしてるように一見見えることもあります。しかし上機嫌に問題点を主張できない医師には、その心の階層の独占、もしくは階層の上昇、出世の欲望が見え隠れしてしまうのです。僕が怒っている医師に耳を傾けないのはそんな理由からです。彼らは怒ることで、階層の間口を閉めようとします。「わからないやつは口を出すな、現場に干渉するな、役人はわかってない、素人は手を出すな」こういう語り口で必ず怒っています。一見、弱者をかばうような包装紙をつけていますが、その中味はどこか空虚です。「オレは、病院の医療を実践し、よく分かった。病院の医療には文化がない!病院で患者を看取ると言うことは不自然きわまりない。病院がダメだからオレは、開業して在宅医療をするのじゃ!」こういう語り口はどこか聞き手の心に爽快感を抱かせますが、怒る医師の手にかかれば、自分も相手も患者も階層(住む世界)は完全に固定化され、その存在は記号化される可能性があります。怒る医師は、自分の価値観を利己的に独占し、周囲の声が聞こえなくなるくらいしっかりと鉄の扉のカギをかけてしまいます。そして恐らく絶えず孤独でしょう。怒る医師、不機嫌な医師は絶えず自分と自分の世界が不当に扱われているという妄想から自由になれず、その上に孤独ですからさらに不機嫌を熟成していきます。

こうした不機嫌を避けて、上機嫌に自分の幸福を周りに配ること以外、自分には関心がないということが最近よくわかってきました。経営も成功も、子供の受験の合否も二の次です。

勤務医で働く以上、毎月の収入に大きな変動なく安全な場所から医療を提供できます。色々な不満はあっても、自分の仕事の多くはプロフェッションとして、自分の心の星、理想に照らし合わせて、自分の提供したい医療を提供できます。少なくとも僕にはそうです。自分の関心である分野、これを専門と言いますが、保証されます。緩和ケアに関心があるのに、1週間のほとんどを整形外科の病棟で過ごすようなことはないということです。プロフェッションとして、自分の理想となる医療の追求はとても幸せなことでした。しかし、それが利己的な動機と欲望を満たすという意味において、自分の富を利己的に保持することに疚しさを感じるようになってきました。それを強烈に感じたのが、やはり今年の大震災の後、ほんの短い期間ですが、現地でお手伝いをした経験からでした。こうして、自分が幸せに得たものを周りに配る方法を考えたときに、開業に行き着いたということに気がついた週末でした。

さて、この誓いの通りうまくいっていることでしょうか。1年後に見直してみます。

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2011年11月25日 (金)

同じ患者さんの訴えに、医師と看護師、また違う人は違うように考えます。

苫野先生との連載対談も、第3回目となりました。
写真は実は東京で楽しく飲みながらの写真なので、話題に合わず楽しそうにしています。

こちらからどうぞ。

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2011年11月17日 (木)

ホスピスはどこへ?

今日も外来です。
とにかく、どういう理由を考えたら良いのかわかりませんが、ホスピスの入院患者さんが減っています。紹介される患者さんの数は変わらないので、入院しない、したくない方が増えているのです。そして、入院しても日数が短く看取りを迎えます。
僕の病院では初診まで1ヶ月以内、入院は1週間以内です。「ここは混んでいるんでしょ?」と聞かれますが特に今年からはすぐに予約、入院ができるようになっています。

以前よりも、はっきりとした自分の意志でホスピスに入院する方はいなくなりました。「私は最期をホスピスで過ごすと決めていました」と言う方々です。また、痛みの治療を全く受けられないから入院すると言う方もいなくなりました。

期間病院からは、通院または往診の医師と、ホスピスの医師に同じ紹介状を2通渡して、紹介になっている方が増えました。
家に居れるうちは家にいたい、でも最期はホスピスでと言う方がほとんどとなり、在宅ケアを掲げる診療所でも50%は入院する現状です。
レスパイトケアを許可して歓迎してもほとんど利用者はありません。
病院内の患者さんは、やはりホスピスを忌み嫌うようになっています。普通の病室にいても、緩和ケアのチームが毎日のようにお伺いするからです。ホスピスの病棟には、部屋にトイレがあること、入浴ができること、環境面での利点と、熟練スタッフの存在をお話ししますが、「そんなところがあるのなら、すぐに移ります」とはなかなかお話しする方はいらっしゃいません。

ベッド差額料は値下げしました。5000円と15000円です。(全22床のうち、10床は室料無料です)
平均在院日数は20日台に入って来ました。病棟稼働率が70%を下回っています。

一体何が変わり、ホスピスはどう言う役割を求められているのでしょうか。
皆さんの意見もお聞かせ頂けるとありがたいです。

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2011年11月 8日 (火)

無関心の時間

Istock_000009941499xsmall 今朝いつものように新聞を読んでいると、先月中国でおこった2歳女児のひき逃げ事件についての記事に目がとまりました。これは、ひき逃げされた女児が泣いているのに助けようとせず通り過ぎる人達の姿が防犯カメラに映っており、結局この子は2回目のひき逃げで亡くなってしまったという、痛ましい事故の話でした。このニュースによると、実際に素通りした18人に聞いたところ、「自分が気づいていたら、きっと助けた」「気がつかなかった」(本当はどうかわからないが)というのです。これを最初に目にしたときには、中国の人々の心理に疑問を感じたのですが、自分の周りにもひょっとしたらこれは根が同じかもしれないと思うことがありました。

 

自分の職場の病院では、毎日のように、入院患者を訪れる人が詰め所に声をかけます。付き添いのご家族が、駐車券の割引サービスを受けるために立ち寄ることもあります。そんな時に偶然、顔見知りのご家族に出会うと、今日一日の出来事を話したり、患者さんと一緒に部屋にいるときには話せない家族への声かけをしたりします。患者さんの前では努めて明るく振る舞うご家族も、本当は心に闇を抱えています。家に帰る前に、詰め所に立ち寄る表情と、病室での表情とは全くちがうことも度々です。そんな様子を感じた看護師や僕は、時には声をかけ、ご家族の不安や心配をできるだけ言葉にして話してもらう最初のきっかけにすることも度々あるのです。声をかけた後、ラウンジの椅子に座り、毎日の看病の苦労を聞いたり、その方が家に帰ってから毎日どんな様子なのか話したりします。時には、残った時間の見通しを聞かれたり、本人の前でどう振る舞ったら良いのかといった家族の悩みに対応する事もあります。「こういう事は聞きにくいのですが・・・実際の所あとどのくらい生きていられるでしょうか」「毎日、急に病院から電話がかかってくると思うと、夜も眠れないんです」「本人にどんな顔をして毎日接したら良いのかわからないんです」

僕が10年ホスピスにいて分かったことは、患者さんには患者さんの、家族には家族の悩み、迷いがあり、それは同じではないということです。なにも家族は本人に聞かれないようにこっそりと裏で真実を知りたいということではないのです。本人を前に言い出せないこと、使えない言葉など、自分の言動を見張っていることでとても緊張している方も多くいらっしゃるのです。一つ一つの悩みを聞きながら、どうしたら良いのか一緒に考えていきます。しかしそれは諭すのではなく、今まで出会った患者さんから「どう家族は接して欲しいか」「家族に求めることは何か」を教えてもらったことを伝えたり、「家族として振る舞いを変えない努力」について話したりします。(過去のエントリーを参照)こういう一連の会話を「家族ケア」と呼びますが、僕は家族の方々が悩み迷うことにただ対話しているだけで、構えてケアをしているという意識はありません。たまたま詰め所のカウンターに座り仕事をしているとき、廊下を歩いてくるご家族の姿を視界に捉まえる。その時の家族の表情から、(ああ、今は話しかけた方が良い)と思ったときには、カウンターまで到着した時に話しかけるのです。「今日はどんな一日でした?

 

話しかける自分の心には、「患者の悪くなる状況を家族に理解して欲しい」「ちゃんと診療していることを家族に証明したい」「患者の事に関して後であれこれ言われないように予めちゃんと話しておきたい」という気持ちがどうしても起きるときもあります。自分の考えていることを、家族に伝えたい、理解して欲しい、これから起こる悪いことに備えて家族の気持ちを固めておきたいと考えると同時に、後から自分が責められたくないという利己心が生まれてしまいます。そんな時は気が重くなりますが、結局そういう思い気持ちを上回る「家族の悩みに対応したい」という信念が、話しかける勇気と微笑みを生み出してくれます。

 

それでも僕も人の子、どうしても勇気と微笑みが出てこないときがあります。仕事が立て込んでいるとき、仕事を早く終えて次の用事に向かわなくてはならないとき、自分の体調が今ひとつで心に余裕が持てないとき、休日出勤で気持ちが急くときそんな時は、視界に入ってくるご家族に気づきながらも、詰め所のカウンターに置いてあるコンピューターと格闘しながら、気がつかない「ふり」をして必死に仕事をしているオーラを周囲に発生させます。そして、いよいよ家族と自分の距離が縮まると、ご家族と目を合わせないようにしてしまう、そんな自分がいやだなと思いつつも心の中では、(僕以外の誰か、このご家族の対応をして!明日は絶対僕がするから、今日だけは許して、お願い!)と叫んでしまうのです。そして次の日にはもちろん真っ先に時間を作るようにします。しかし、その意図した無関心は自分の心に蓄積されます。

まだ時間が残されているときは、やり直す時間もあります。でも、ホスピスで過ごす短い生死のはざまの時間の中で「今この時」を見逃すともう二度と時間がないときだってあります。「ああ、今日は家族と関係のない話をしたい」「今までがんばっているご家族に一言ねぎらいの言葉をかけたい」そう思っても、小さな僕の利己心が意図した無関心の空気を作り出し、ほんのわずかな機会をやり過ごしてしまう。今までそんなことは何度もあったように思います。

 

ほんのわずかな時間ではありますが、この利己心が作り出す“無関心の時間”が自分にだってあるのです。この無関心が、きっと素通りした中国の18人の心にあったのではないかと考えるのです。何か理由を他人から問われれば、それらしい答えを無理にすると思うのですが、真実は「自分の事で頭がいっぱいだった」のだと思います。

 

僕がホスピスで、ある患者さんとそのご家族に朝から多くの接する時間があり、90%の仕事をちゃんとしたとしても、残りの10%が残ってしまういやな感触を感じるときがあります。それは人から見れば小さなことかもしれません。でも自分では、利己心と意図した無関心が残りの10%を作っていることを自覚しているのです。この10%を埋めるために、休日も時間外もプライベートも差し出すのか?と言われるかもしれません。でも違うのです。残りの10%を埋める時間は本当にわずかな時間でいいのです。詰め所のカウンターに現れるご家族と目を合わせて、「今日もお疲れさまでした、また明日」と微笑むだけで、もう残り10%のうち8%は達成できると思います。そのわずかな時間すらやり過ごそうとするこの無関心が、弱い自分にあると同時に中国の18人にもあったのではないでしょうか。悪意ある無視ではなく、小さな利己心からの無関心。それが重なり一人の幼い子供が亡くなるという大きな事件になってしまった、そんな気がしてならないのです。

 

百里の道は九十九里をもって半ばとす。本当にあと少しわずかな関心と言葉、そして微笑みが大きなケアの力になると僕はいつも思います。そして最後の一里の瞬間は、死を目前にした患者さんには、取り返しの付かない瞬間です。その瞬間を見逃さない千里の目、千里眼を身につけたいと希求するのです。

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