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2011年10月17日 (月)

専門家に宿る、オタクな目の光

081209_millionaire_main テレビで、京急(京浜急行)の本物の職員と、一般の鉄道マニアいわゆる「オタク」、ただし京急専門という偏ったオタクの中のオタクの3人がクイズを出題し合うという、牧歌的な番組をたまたま見かけた。おおよそ神戸人の僕には全くわからない些末な知識を、真剣な眼差しで力説していた。そして、新聞に目を落とすと、経済の専門家がおおよそ医者の僕には分からない単語を並べて、欧州危機の深い考察を解説していた。自分が使わない単語を愛おしく用いる彼らを見て、自分にも彼らと同じ情熱があるのかとしばし考えました。自分と遠く離れた世界を見て自分の心に何か留まり、どこか知性の歯車が高速回転する時、いつも好奇心が最大限にオープンします。また京急や欧州危機といった遠く離れた縁のないと思う世界の特別な事象であっても、必ず自分の手の届く世界に相似な事象があるはずだと思うのです。こうして遠い世界と近い世界がつながろうとしたとき、いつも知性の歯車が楽しく回り始めます。

こういうことは他にもありました。妻は僕の全く知らないブランドの、全く知らないアイテムを見て、その名詞を的確に頭脳に収集しています。子供たちは仮面ライダーの様々な登場人物や、アイテムをこれまた的確に頭脳に収集しています。オーケストラの友人は、僕の全く知らない作曲家の全く知らない曲を的確に頭脳に収集しています。

 

そこで、自分はどうだったか、どうなのかと、過去に思いを馳せてみました。一番古い記憶では、小学校低学年に集めたウルトラマンの怪獣カード。なかなか手に入らないカードをどうやって手に入れるか、幼稚な頭で考えていました。そして、記念切手。カタログに載る様々な切手の種類を膨大に覚えていました。当時は近くの大きなスーパーに、古銭と切手を扱う店があり、そのショーウインドウに並ぶ、カタログでしか見ることのできない切手を、実際に見てしまうと「欲しい、手に入れたい」という欲望以上に、その物質に対する愛情を感じました。その切手に描かれた行事や、植物、建物が何であるのかといったいわゆる基本情報や、何年に発行されたのか、どれくらい貴重な価値を持つのかといった、いわゆるメタ情報も、驚くほど頭に入ってきました。プロ野球年鑑を見て、選手のあらゆる情報を把握することもそうです。人によっては、他人が知らないようなプロ野球選手の小さなエピソードや、実家の家業と言った周辺情報まで知っています。人はそういう小さなエピソードを話すとき、何かにとりつかれたように饒舌に楽しそうに話し始めます。

 

無謀にも医学部を受験しようと思った高校2年生の終わりから、しばらく忘れていた僕の熱狂が始まりました。自分が入りたいと直感的に思った大学の過去問を解き続け、もう問題を見ただけで何年の何番だったか分かるくらいになっていました。そしてあらゆる問題集と模擬試験の複写を手に入れて、毎日図書館で「勉強という名の収集」をしていました。勉強しながら、特に好きだった社会科の倫理・政経ではあらゆる問題パターンを記憶してしまい、新しいパターンの問題をどこかの模試の片隅に見つけると、その創造性と挑戦に、知性の歯車が高速回転し始めるのです。そして、「オタク」と言われる人達が、自分の偏執する情報と名詞を収集する、天使のような無垢な熱狂に満ちた目つきに変わるのです。その目つきは、ハンターや肉食獣の獲物を捕らえる鋭い眼差しとは全く異なる、人畜無害な傍目には眩しいほどの純粋さです。こうして、僕は受験勉強を問題を収集し、そのメタ情報まで(どの問題集か、どこの大学の何年の出題なのか)愛でる偏執な受験マニアになったのです。最早大学に受からなくてはならないといった世俗の目標は忘れ、知らない知識に触れてアカデミズムを発揮することや、なんとしても大学に受からなくてはと言う悲壮な受験勉強でもない、小さな子供が自分の好きなものを集めて枕の周りに並べるような、そんなどこか幸せな受験勉強でした。

 

無事望む大学の医学部に通り、僕は楽しかった受験勉強を手放します。そして再び医師国家試験に臨むとき、あの熱狂を再び思い出します。無事試験にも通り、その後は医者となり心身を鍛えながら、社会の一構成員として、急に登場した交代選手のように、来たボールを必死に誰かにパスし、時にはどう振る舞うのか分からず立ち止まりながらも進む生活でした。そして、熱狂を再び封印します。

そして、ある時予告もなく、自分の専門分野に出会います。僕には確信がありました。自分が専門分野を選ぶ時は、再びあの熱狂を感じるときだと。そして、専門分野に邁進しある日10年の総括のようなある日を迎えます。ある日の出来事は、前回のエントリーで書いたように、先日のシンポジウムでは緩和ケア医のおかれている悲痛な現実を話すと共に、「専門とは、まずその分野が好きで好きでたまらないということです。然るに、専門医を取得するということは、好きであることを内外にアピールするものです」と非常に周囲に受けの良い発言をしました。しかしその本心は、自分が幼少期と受験勉強の時に感じた、あの熱狂を再び思い出した告白だったのです。つまり緩和ケアに関する論文、知識、そして薬の効果といった医学知識と共に、それが何年のどのジャーナル(雑誌名)に掲載されたのか、どの教科書に書いてあったのか、どの国のグループが行った研究なのかといったメタ情報が、以前のように喜びと共に頭脳に整理されているのです。そして、病院外の仕事として緩和ケアの情報を統合したり、自分の喜びと共に整理した知識を開陳したりする機会を無上の幸せと感じるようになりました。「お忙しいところすみません」とか、「ちゃんと仕事して素晴らしいですよね」と言われる度にも、「ありがとうございます」と言われてもピンと来ない。僕にとっては、「ねえ、この仮面ライダーの人は何に変身して、どういうポーズで、何が必殺技なの」と尋ねると、話を止めるまで話し続ける子供たちと同じ目をして、自分の好きな分野を話すことだからです。専門とはそういうものなのではないでしょうか。心臓の専門、移植の専門、感染症の専門。何でもよいのです。他人は理解できなくても、その分野の事実以上に、メタ情報まで、自分自身の好奇心を満たす知的な刺激物として取り込んでいく人、そういう人達が「専門家」なのではないでしょうか。そういう目で彼らを観察すれば、発言する彼らの目に何か違う光が宿っていることを、あなたも気がつくはずです。

 

冒頭に述べた、京急のオタクも、新聞の欧州危機の解説員も、自分の好きな言葉を自分で反響する喜びに満ちています。扱うテーマが些末な趣味の話であっても、目を覆いたくなるほどの深刻な現実の問題であっても、何か人の心に届く爽やかな風をそこに見つけることができるはずです。

今まで述べてきたように、僕の考える本物の専門家とは、自分の扱っているテーマに一番詳しく、専門分野に対して社会的な責任を負った人ではありません。本物の専門家は、周囲が彼の仕事を理解しなくても、評価しなくても、自分の心の欲望に従順に突き進んでいきます。周りの評価を気にしながらおそるおそる前に進むのは、本物の専門家ではありません。

 

さて、あなたは何の専門家ですか?

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