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2011年10月11日 (火)

ナイトランナーと将来の不確実性

Night_runner 今年7月に急に思い立って以来、毎日4kmを30分ぐらいでジョギングしています。家の前に流れる川沿いにはきれいに整地したジョギングコースがあり、朝も昼も夕もそして深夜も、老若男女が集っています。最初はすぐにやめてしまうかとも思いましたが、体重も順調に落ちて、またシューズやらウエアやらを買い集めているうちに、いつのまにか3ヶ月以上走り続けて、出張先でも走るような毎日の習慣になりました。走り始めた頃は、仕事が早く終わることも多く、夏でしたのでまだ明るい午後7時前に走っていましたが、家族との夕食の時間を楽しんで、子供たちの宿題につきあったり、お風呂につきあったりする間に、ジョギングの時間は遅くなり、ついには、夜の9-10時に走ることが増えてきました。いわゆるナイトランナーになったというわけです。最初は悪い人に狙われるとか、夜中にごそごそ走るなんてかえって身体に悪いとか、根拠もなく考えていましたが、毎日夜中に走っていると逆に気がついたことがありました。

それは、休日の夕方や平日の明るいときに走る時と違って、夜中に走ると、当然視界に入ってくる景色が違います。夜中の方が圧倒的に景色の色彩がなく、遠くまで見渡せないのです。そして走るという時には単純なその行為の途中には、喜びのない修行が、視界の色彩がなくなり遠くが見えなくなることで楽になるところがありました。明るいときに考えた「ああ、あそこまで走れば終わりだ」とか「ああ、このあたりはいつも辛くなるところだな」とかを全く考えなくなりました。夜の暗さで見通しが立たない分、今走っている自分に意識は集中していきます。今よりも十歩先に走る自分を絶えず追いかけるような、そんな昼間の走り方とは異なり、ただひたすらに今に集中できるのです。今よりも先の時間は、夜の暗闇の中で周りの色彩のない風景に埋もれています。自分の心の前景はなくなり、振り上げた足の着地の瞬間の感覚に意識が集中していきます。

毎日こういうジョギングを続けているうちに気がつきました。視界が開けて、情報が多いと、今走っている自分、今の自分の考えに全く集中できなくなる。いつも少し先の時間の自分をイメージし、現実の身体の実体と、少し未来を空想する脳のイメージとを重ねていく。少し先の計画を実行しながらも、計画を達成した瞬間を味わうことなくすぐに新しい次の計画を追いかける。いつからかそんな生活をしている自分にも気がつきました。将来の不確実性は人間を不安にし、情報を集め同じような道をかつて通った人達から多くの情報と経験を聞こうとします。そして不安の一部は解消してもなお、新たな不安が心に浮かぶことを確かに実感します。こうして不安の変形と連鎖が続きます。僕は自分自身の今までの経験からも、自分が先の不安を感じたり、今に集中できないときは、なかなか自分の心を落ち着かせて鎮めることは難しいと感じていました。転職する前、新しい仕事を始める前、どこかへ旅行に行く前、大事な友とどこかで食事をする前、何か新しいものを買う前、ついつい調べすぎてしまいます。そして結局は迷って決断できなくなるのです。現実に今考えていることが目の前に現れた時、その大事な瞬間を味わえなくなっていくのです。ナイトランナーとなってからの数ヶ月の体験は、自分自身の体重の減少とわずかな筋肉の増加だけでなく、そんな、満たされない気持ちを整理する、という大切なことを気づかせてくれました。それは、あえて視界の色彩を減じて、情報を減らすことで得られる、今という時間に対する集中力の高め方です。今の身体で感じる感覚に自分が研ぎ澄まされることで、将来の不確実性を期待と共に引き受けられる気がするのです。今夜もそんな自分を保つために今から走ってきます。

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