« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月17日 (月)

専門家に宿る、オタクな目の光

081209_millionaire_main テレビで、京急(京浜急行)の本物の職員と、一般の鉄道マニアいわゆる「オタク」、ただし京急専門という偏ったオタクの中のオタクの3人がクイズを出題し合うという、牧歌的な番組をたまたま見かけた。おおよそ神戸人の僕には全くわからない些末な知識を、真剣な眼差しで力説していた。そして、新聞に目を落とすと、経済の専門家がおおよそ医者の僕には分からない単語を並べて、欧州危機の深い考察を解説していた。自分が使わない単語を愛おしく用いる彼らを見て、自分にも彼らと同じ情熱があるのかとしばし考えました。自分と遠く離れた世界を見て自分の心に何か留まり、どこか知性の歯車が高速回転する時、いつも好奇心が最大限にオープンします。また京急や欧州危機といった遠く離れた縁のないと思う世界の特別な事象であっても、必ず自分の手の届く世界に相似な事象があるはずだと思うのです。こうして遠い世界と近い世界がつながろうとしたとき、いつも知性の歯車が楽しく回り始めます。

こういうことは他にもありました。妻は僕の全く知らないブランドの、全く知らないアイテムを見て、その名詞を的確に頭脳に収集しています。子供たちは仮面ライダーの様々な登場人物や、アイテムをこれまた的確に頭脳に収集しています。オーケストラの友人は、僕の全く知らない作曲家の全く知らない曲を的確に頭脳に収集しています。

 

そこで、自分はどうだったか、どうなのかと、過去に思いを馳せてみました。一番古い記憶では、小学校低学年に集めたウルトラマンの怪獣カード。なかなか手に入らないカードをどうやって手に入れるか、幼稚な頭で考えていました。そして、記念切手。カタログに載る様々な切手の種類を膨大に覚えていました。当時は近くの大きなスーパーに、古銭と切手を扱う店があり、そのショーウインドウに並ぶ、カタログでしか見ることのできない切手を、実際に見てしまうと「欲しい、手に入れたい」という欲望以上に、その物質に対する愛情を感じました。その切手に描かれた行事や、植物、建物が何であるのかといったいわゆる基本情報や、何年に発行されたのか、どれくらい貴重な価値を持つのかといった、いわゆるメタ情報も、驚くほど頭に入ってきました。プロ野球年鑑を見て、選手のあらゆる情報を把握することもそうです。人によっては、他人が知らないようなプロ野球選手の小さなエピソードや、実家の家業と言った周辺情報まで知っています。人はそういう小さなエピソードを話すとき、何かにとりつかれたように饒舌に楽しそうに話し始めます。

 

無謀にも医学部を受験しようと思った高校2年生の終わりから、しばらく忘れていた僕の熱狂が始まりました。自分が入りたいと直感的に思った大学の過去問を解き続け、もう問題を見ただけで何年の何番だったか分かるくらいになっていました。そしてあらゆる問題集と模擬試験の複写を手に入れて、毎日図書館で「勉強という名の収集」をしていました。勉強しながら、特に好きだった社会科の倫理・政経ではあらゆる問題パターンを記憶してしまい、新しいパターンの問題をどこかの模試の片隅に見つけると、その創造性と挑戦に、知性の歯車が高速回転し始めるのです。そして、「オタク」と言われる人達が、自分の偏執する情報と名詞を収集する、天使のような無垢な熱狂に満ちた目つきに変わるのです。その目つきは、ハンターや肉食獣の獲物を捕らえる鋭い眼差しとは全く異なる、人畜無害な傍目には眩しいほどの純粋さです。こうして、僕は受験勉強を問題を収集し、そのメタ情報まで(どの問題集か、どこの大学の何年の出題なのか)愛でる偏執な受験マニアになったのです。最早大学に受からなくてはならないといった世俗の目標は忘れ、知らない知識に触れてアカデミズムを発揮することや、なんとしても大学に受からなくてはと言う悲壮な受験勉強でもない、小さな子供が自分の好きなものを集めて枕の周りに並べるような、そんなどこか幸せな受験勉強でした。

 

無事望む大学の医学部に通り、僕は楽しかった受験勉強を手放します。そして再び医師国家試験に臨むとき、あの熱狂を再び思い出します。無事試験にも通り、その後は医者となり心身を鍛えながら、社会の一構成員として、急に登場した交代選手のように、来たボールを必死に誰かにパスし、時にはどう振る舞うのか分からず立ち止まりながらも進む生活でした。そして、熱狂を再び封印します。

そして、ある時予告もなく、自分の専門分野に出会います。僕には確信がありました。自分が専門分野を選ぶ時は、再びあの熱狂を感じるときだと。そして、専門分野に邁進しある日10年の総括のようなある日を迎えます。ある日の出来事は、前回のエントリーで書いたように、先日のシンポジウムでは緩和ケア医のおかれている悲痛な現実を話すと共に、「専門とは、まずその分野が好きで好きでたまらないということです。然るに、専門医を取得するということは、好きであることを内外にアピールするものです」と非常に周囲に受けの良い発言をしました。しかしその本心は、自分が幼少期と受験勉強の時に感じた、あの熱狂を再び思い出した告白だったのです。つまり緩和ケアに関する論文、知識、そして薬の効果といった医学知識と共に、それが何年のどのジャーナル(雑誌名)に掲載されたのか、どの教科書に書いてあったのか、どの国のグループが行った研究なのかといったメタ情報が、以前のように喜びと共に頭脳に整理されているのです。そして、病院外の仕事として緩和ケアの情報を統合したり、自分の喜びと共に整理した知識を開陳したりする機会を無上の幸せと感じるようになりました。「お忙しいところすみません」とか、「ちゃんと仕事して素晴らしいですよね」と言われる度にも、「ありがとうございます」と言われてもピンと来ない。僕にとっては、「ねえ、この仮面ライダーの人は何に変身して、どういうポーズで、何が必殺技なの」と尋ねると、話を止めるまで話し続ける子供たちと同じ目をして、自分の好きな分野を話すことだからです。専門とはそういうものなのではないでしょうか。心臓の専門、移植の専門、感染症の専門。何でもよいのです。他人は理解できなくても、その分野の事実以上に、メタ情報まで、自分自身の好奇心を満たす知的な刺激物として取り込んでいく人、そういう人達が「専門家」なのではないでしょうか。そういう目で彼らを観察すれば、発言する彼らの目に何か違う光が宿っていることを、あなたも気がつくはずです。

 

冒頭に述べた、京急のオタクも、新聞の欧州危機の解説員も、自分の好きな言葉を自分で反響する喜びに満ちています。扱うテーマが些末な趣味の話であっても、目を覆いたくなるほどの深刻な現実の問題であっても、何か人の心に届く爽やかな風をそこに見つけることができるはずです。

今まで述べてきたように、僕の考える本物の専門家とは、自分の扱っているテーマに一番詳しく、専門分野に対して社会的な責任を負った人ではありません。本物の専門家は、周囲が彼の仕事を理解しなくても、評価しなくても、自分の心の欲望に従順に突き進んでいきます。周りの評価を気にしながらおそるおそる前に進むのは、本物の専門家ではありません。

 

さて、あなたは何の専門家ですか?

| | コメント (0)

2011年10月11日 (火)

絶滅危惧種の緩和ケア医

Istock_000015431219xsmall 先月、職場の上司に開業したい旨話し退職を告げた後、自分が一番長い時間を過ごした病棟の看護師全員の前で6ヶ月先の退職を明かしました。その後、目に触れやすいネット上で自分の退職を告示しました。
こうして自分から早めに話を拡散していくのには理由があるのです。まず一つは感謝の気持ちを表明したいこと、そして不満や職場での不仲が退職の原因と誤解されたくないことです。僕は今の職場に10年、自分が飛躍する大きなチャンスをもらいました。良い仲間に恵まれており、何の不満もありません。現状に満足した状態でありながら、その場所を去るのです。そのわかりにくい行動の理由については、前回のエントリーで書きました。もう一つの理由は、去る職場の新たな船出を祝したいという思いなのですが、自分が去った後、一日も早く誰かにこの場所に新たな仲間として参加して欲しいと思ったからです。そこには、緩和ケア病棟、ホスピスで働く医師が少ないという深刻な問題があるのですが、少しでも早く新たな人を探す時間を作るには、早く自分が辞めることを公開した方がよい、そう思ったわけです。
8月に、ホスピス協会の20周年記念大会という催しが東京で開かれました。その時に、ありがたくもシンポジストして、若手(と呼んでもらえるぎりぎりだと思いますが)の専門医として意見を述べる機会を得ました。祝祭ムードの中、専門医としての考えを無難に話そうと直前まで考えていたのですが、もう本音で自分の思うとおりに話してしまおうと思い、次のような事をお話ししました。
「一人の医者が辞めるだけで病棟の運営が不確定になるような状況が、全国のホスピスの現実です。緩和ケアの専門性を考える前に、まず同僚を増やす実効的な方法を考える必要があると思います。現状では、緩和ケアの医師は、ある時急に「キミ緩和ケアの医師を担当してくれたまえ」と任命される『やらされ医師』と、僕のように急に思い立って緩和ケア医になる、『突然変異医師』のどちらかです」と発言しました。この発言で、一部の先達には皮肉のこもった小言や、反対にいたずらっぽい賛辞を頂きました。しかしある意味本質だと自分には思えるのです。これはなにも緩和ケア医に限ったことではありません。また他の職種にも相通ずるものだと思います。

医師も含めて人間の転機は分かりません。案外自分が考えもしなかったような仕事をある時与えられ、大きな力を発揮し、振り返ればこれが最善の道だったんだと思えることもあるでしょう。自分自身だって自分の特性を理解していることはほとんどないのです。好みや行動の規範はあっても、「自分がどういう医師に向いているか」といった切実な内向きな問いに、自分も含めて誰も答えてはくれません。しかし、おおむねほとんどの医師は、自分の専門分野を自分で決めます。自分の事を自分で決める、これがプロフェッションの自覚であり特権でしょう。それはつまり、外科医として活躍していた医師があるとき急に院長に呼び出され、「あ、キミ悪いだけどね、来月から眼科で力を発揮してくれないか。キミならできると思うんだよね」ということは決してない、ということです。臨床でプロフェッションを発揮するときには、明日からの生活を変えてしまうほどの偶有性は、仕事の内容の変化としては少ないと言えます。それでも急に転勤させられることもありますが、転勤先でもほぼ同じ仕事を続けることを期待されていることがほとんどです。
医師でも基礎研究の期間は、偶有性の不思議に出会う機会が多くあります。基礎研究とは、病気の正体や新薬の開発といった、細胞や動物で実験をしながら未来の医療を切り開く分野です。ある研究をしていても、別の研究の手伝いをしているうちに、最初の目的とは全く違った研究内容や、研究所に移ることも稀ではありません。思いもよらない不確実性に、どこかで不安を感じ、どこかで期待を感じながら過ごしていることでしょう。

しかし、緩和ケア医の場合は、決して全員がそうだとは言えませんが、自分で望んで手を挙げて緩和ケア医になりますと志願した人ばかりではありません。病棟を作ることが先に決まり、次に責任者を誰にするか病院内で決めるときに、誠実で人当たりが良く患者に優しい医師が、科を問わず院長に呼び出され、「あ、キミ悪いんだけどね、来月からオープンするこの緩和ケア病棟で働いてはくれないかね」とそういう話になることも多いのです。なぜこんな状況になっているかというと、緩和ケアに従事する医師を安定して供給する場所が日本にはないからです。僕も元々は脳外科に1年、その後は内科の修行をしました。大学の医局というところに入りますと、例えば内科の医局に入れば、そこでは内科医としての教育を受けて訓練されます。また、市中の大きな病院で研修をしながら、自分の目指す科を決めて、修行を積む医師も居ます。
緩和ケア医には、この二つの大事な要素がありません。一つは大学や市中の病院に組織がありません。せいぜい数人、僕の職場では2人の医師が緩和ケアを担当しています。大学の医局のように何十人と人が居るいわば「緩和ケア医の巣」のような場所がどこにもないのです。もう一つは、教育が受けられる体制が整っていません。緩和ケアに限らず、どのような医師であっても、先輩医師について訓練を受ける必要があります。そのように訓練を受ける場所が非常に限られているのです。緩和ケア医はどこでも不足していますが、どの病院でも運営は厳しいものがあると思います。今すぐ緩和ケア医として働いて欲しいという病院はあっても、まだ未熟なあなたのためにちゃんと教育するから、うちの病院にいらっしゃいというところはほとんどありません。

こういう事情ですので、自分が今の職場を離れた時点で、すぐ次の新たな志をもった医師がどこかから派遣されたり、公募に応じて医師がやってきたりことはなかなかないと思われます。緩和ケアを「やってみたい」医師はいても、緩和ケアを「できる」医師がなかなかいない。まさに、緩和ケア医が一人いなくなれば、病棟の状況が大きく変わってしまう、そんな現状です。僕も退職を決意するまで、その事が一番気がかりでした。自分が辞めた後、自分が情熱を注いできたこの病棟はどうなるのかと考えると、心から悩みました。

最近では、産科医は激務であることと訴訟リスクが高い故に、若い医師は産科を敬遠するといわれています。そしてそれによって、各地の分娩、出産の環境に大きな影響がありそうだという、いわゆる医師不足の深刻さが繰り返しレポートされてきました。しかし、全国の医大には産婦人科の医局はあるので、まだ「巣」があるだけ緩和ケアの現状よりもましではないかと思えてしまいます。「出産」と、「がんをはじめとする苦痛な症状への対処と全ての看取り」、どちらが社会的に重要かという議論に参加する気はありません。ゆりかごも墓場もどちらも大切な医療の分野です。産科に医局があるのに緩和ケアにないのは、どこかに“ゆりかごを重んじて墓場を軽んずる”人々の本心があるのかもしれません。未来のある者に力を注ぎ、治る見込みのない未来のない者には、無関心にふるまう。弱者を選別し始めれば、棄民される人々の悲しみが今よりもいっそう深くなる事は目に見えています。そんな社会にしないためにもこの絶滅危惧種である緩和ケア医の厳しい現状について知って頂きたいのです。

この絶滅危惧種を保護しながら、将来のひなを育てる、親鳥と巣がまず必要だということです。絶滅危惧種の保護は、緩和ケアを担う医師同士の友好的な連帯で。将来のひなを育てることには医学生や若い研修医に対する緩和ケアの教育で。ひなを育てる親鳥の教育は専門的な緩和ケア研修と地域の交流で。そして、ひなと親鳥が保護されながらもすくすくと成長する職場として、人の集まりとしての巣つまり病院がこれからも温かく活動できますように。僕の育った巣もこれからもひなを育てる温かい巣でありますように。

(参考: 医師不足として社会問題となった、小児科医は14,677人、産婦人科、産科医は10,594人 (産婦人科10,163人、産科431人) [1]、一方で緩和ケア医は、1施設の平均が2.0人 [2] 現在ホスピスは日本全国で、228施設 他の科との兼業ではなく、在宅も含めて緩和ケアのみをほぼ仕事としている医師は恐らく400-500人程度と推測される。これに比較的規模の大きい病院で、例えば外科と緩和ケアといった兼業している医師を含めても1000人には満たないと推測される)

1.    厚生労働省 医師・歯科医師・薬剤師調査の概況 2004. (available at http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/04/kekka1-2-3.html accessed on 11, Oct, 2011)
2.    Miyashita M, Morita T, Tsuneto S, Sato K, Shima Y. The Japan HOspice and Palliative Care Evaluation study (J-HOPE study): study design and characteristics of participating institutions. Am J Hosp Palliat Care. 25(3):223-32,2008.

| | コメント (0)

ナイトランナーと将来の不確実性

Night_runner 今年7月に急に思い立って以来、毎日4kmを30分ぐらいでジョギングしています。家の前に流れる川沿いにはきれいに整地したジョギングコースがあり、朝も昼も夕もそして深夜も、老若男女が集っています。最初はすぐにやめてしまうかとも思いましたが、体重も順調に落ちて、またシューズやらウエアやらを買い集めているうちに、いつのまにか3ヶ月以上走り続けて、出張先でも走るような毎日の習慣になりました。走り始めた頃は、仕事が早く終わることも多く、夏でしたのでまだ明るい午後7時前に走っていましたが、家族との夕食の時間を楽しんで、子供たちの宿題につきあったり、お風呂につきあったりする間に、ジョギングの時間は遅くなり、ついには、夜の9-10時に走ることが増えてきました。いわゆるナイトランナーになったというわけです。最初は悪い人に狙われるとか、夜中にごそごそ走るなんてかえって身体に悪いとか、根拠もなく考えていましたが、毎日夜中に走っていると逆に気がついたことがありました。

それは、休日の夕方や平日の明るいときに走る時と違って、夜中に走ると、当然視界に入ってくる景色が違います。夜中の方が圧倒的に景色の色彩がなく、遠くまで見渡せないのです。そして走るという時には単純なその行為の途中には、喜びのない修行が、視界の色彩がなくなり遠くが見えなくなることで楽になるところがありました。明るいときに考えた「ああ、あそこまで走れば終わりだ」とか「ああ、このあたりはいつも辛くなるところだな」とかを全く考えなくなりました。夜の暗さで見通しが立たない分、今走っている自分に意識は集中していきます。今よりも十歩先に走る自分を絶えず追いかけるような、そんな昼間の走り方とは異なり、ただひたすらに今に集中できるのです。今よりも先の時間は、夜の暗闇の中で周りの色彩のない風景に埋もれています。自分の心の前景はなくなり、振り上げた足の着地の瞬間の感覚に意識が集中していきます。

毎日こういうジョギングを続けているうちに気がつきました。視界が開けて、情報が多いと、今走っている自分、今の自分の考えに全く集中できなくなる。いつも少し先の時間の自分をイメージし、現実の身体の実体と、少し未来を空想する脳のイメージとを重ねていく。少し先の計画を実行しながらも、計画を達成した瞬間を味わうことなくすぐに新しい次の計画を追いかける。いつからかそんな生活をしている自分にも気がつきました。将来の不確実性は人間を不安にし、情報を集め同じような道をかつて通った人達から多くの情報と経験を聞こうとします。そして不安の一部は解消してもなお、新たな不安が心に浮かぶことを確かに実感します。こうして不安の変形と連鎖が続きます。僕は自分自身の今までの経験からも、自分が先の不安を感じたり、今に集中できないときは、なかなか自分の心を落ち着かせて鎮めることは難しいと感じていました。転職する前、新しい仕事を始める前、どこかへ旅行に行く前、大事な友とどこかで食事をする前、何か新しいものを買う前、ついつい調べすぎてしまいます。そして結局は迷って決断できなくなるのです。現実に今考えていることが目の前に現れた時、その大事な瞬間を味わえなくなっていくのです。ナイトランナーとなってからの数ヶ月の体験は、自分自身の体重の減少とわずかな筋肉の増加だけでなく、そんな、満たされない気持ちを整理する、という大切なことを気づかせてくれました。それは、あえて視界の色彩を減じて、情報を減らすことで得られる、今という時間に対する集中力の高め方です。今の身体で感じる感覚に自分が研ぎ澄まされることで、将来の不確実性を期待と共に引き受けられる気がするのです。今夜もそんな自分を保つために今から走ってきます。

| | コメント (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »