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2011年9月 6日 (火)

リストバンドと、いつも不機嫌な医師

Photo 「ねえ、ホスピスでこれから看取りに向かう患者さんに、リストバンド付けて平気なの?」

僕は、職場では滅多に怒らず上機嫌で仕事することをモットーにしています。自分が上機嫌でいられるには、毎日どうしたら良いか、自問自答しています。今まで色んな医師に出会いましたが、忙しいだけが理由なのか他に理由があるのか、どうして医師はこうも不機嫌なのかと思うことがよくあります。職場で周囲の職員に怒り、時には患者に怒る。その怒りの根源が何であるのかは僕にもよく分かりませんが、とにかく僕は不機嫌な医師にはなるまいと自分を律しています。それでも今の職場に9年も働いていると、僕の性格も病棟の看護師には悟られていて、「あ、今日は機嫌が悪そう」とか「あ、今日は話しても大丈夫そう」とかきっと陰で話されているんでしょうけど。とにかく、職場では滅多に怒ることはないのですが、この件だけはどうしても自分の気持ちを鎮めることができませんでした。

お分かりでない方のために解説すると、リストバンドというのは、入院中の患者さんの腕に装着する柔らかいビニール製の名前とバーコードの書かれたバンドです。また、まだ名前のついていない乳児の足にも巻きます。目的は、薬剤の投与間違いや、患者取り違えを防ぐことです。点滴や、手術、検査の前には、必ずこのリストバンドについたバーコードをバーコードリーダーで読み取り認証し、本人の確認をした上で、実際の医療行為、処置を行います。僕の働く病院でも、つい最近、電子カルテが導入されました。(遅い導入ですが)それに伴い、それまではホスピスだけがリストバンドをしない暗黙のルールになっていたのですが、とうとうある日一斉にリストバンドが患者さんの腕に装着されることになったのです。
僕はこのリストバンドが大嫌いで、ホスピスに来た方は全て他の病棟で付けていたリストバンドをハサミで切って外していました。
ホスピスへの就職を考えたのは、9年前。亡くなり行く患者さんによい対応をしたい、親切にしたい、そんな動機からでした。そして、病院の管理的な側面をできるだけ日常の医療から排除することで、病棟に生活や、もし可能なら文化を採り入れたいとも思っていました。病院の景色の中で亡くなり行く患者さんに、少しでもいいから人肌を感じることができる医療を実践したいと真剣に考えていました。ホスピスで働く前は一般の内科医で、日々、高血圧、糖尿病のように、疾病を管理すれば「何か」を乗り越えられるという発想で日々の診療にあたっていました。慢性関節リウマチも、がんのような慢性的な経過をたどる疾患であっても、医療の力で管理することで、病気を鎮めることができる、そう考えていました。「死が敗北」と思っていたわけではありません。人は必ず亡くなるということは十分に分かっているつもりでした。むしろ「自分の管理が至らないから患者は死に向かう」と自責感の方が強く、そのような考えが根底にあると、日常の治療は厳密化、緻密化に向かいます。つまり、毎日のように治療を見直し微調整し指示を変えることになります。こうして、細かな軌道修正をくり返す治療は、膨大な作業を発生させ、自分の仕事量も周囲の、特に看護師の仕事量を増大させます。しかし、管理的な治療は必要だと考えている医師にとっては、一つ一つの軌道修正は神経症的なダッチロールではなく、病気の管理と克服という複雑な行程を正確に前進してゆくための緻密な作業と信じて疑いません。

  手術の名人や、治療手技の名人のように、含蓄深い細かな作業が流れるように進行する医療は確かに存在します。このような管理的な医療を否定することはありません。しかし危うい落とし穴があるとつくづく思うのです。治療の管理に熱中するあまり、その患者いうなればその人をも管理することになる、という落とし穴です。人を管理する医師は、いつも不機嫌で、患者さんの生活や生き方、人生観にすら口出しすることだってあります。僕が内科医のころ、隣の診察室から聞こえてきた、患者さんを叱り続ける医師の言葉を思い出します。「こんな生活をしていると、いつか脳梗塞になって半身不随になるよ」、「高血圧があるのに、やせられないなら、まあクスリ飲んでいてもいつか大変な目にあいますよ」、「もっとちゃんと生きないと、知らないよ」などなど。その言葉に、人間関係が成り立った上での愛情があるのなら、患者さんにも言葉を超えた何かが伝わると思うのですが、その医師は耐えず不機嫌に怒り続けていました。指導、管理を超えた呪いの力を感じ嫌悪していました。そして、患者さんも分かるのです。彼の目には自分は映っていないって。こうして、管理的な医療の実践は人を管理する思想に徐々に染められていく。

  話を戻します。ある日一斉にホスピスの患者さんにリストバンドが巻かれるのを見て、僕も一人で憤るのもおかしいと思い、病棟で看護師の面々に話してみたのです。すると、「今までだって他の病棟ではそうですよ」とか、「別に何も気にならないですけど」とか、「病院全体で決めたことなので仕方ないのでは」などと返事があり、僕はとうとう怒ってしまいました。といっても静かに怒っていたのですが。患者さんに聞いてみても「そんなに気にならないよ」「仕方ない」「いやだけど」「いや、かえって安全でいい。私は賛成」と色んな意見がありました。僕は、人を管理したくない。人を管理すれば人を支配する。人を支配すれば自分が傲慢になる。傲慢になった自分の目にはもう患者さんは映らない。そんな虚ろな自分にはなりたくない。リストバンドが管理の記号に見えて、ホスピスにこういうものを持ちこみたくないと思いました。自分の好き、嫌いですから、リストバンドの意義や、医療安全とは全く異なる次元の話です。僕はただ「これから看取りに向かう患者さん」にリストバンドを着けることができる、その知性の劣化と想像力の貧困を悲しんでいるんです。意識がぼんやりした患者さんは「いいよ」も「いや」も答えることは出来ない。また、話してわかり合える患者さんと、リストバンドをつけてもよいかと会話するのもまた滑稽です。

本来リストバンドは「患者さんの安全のため」であるのですが、それと同時に「医療者が間違いをなくすため」のものになっています。「安全」の大前提の前に、医療者が自分達のためにリストバンドを装着するというやましい気持ちがもしなくなれば、そこがたとえホスピスであっても、最早それぞれの心の中で患者さんは管理と支配の対象となります。リストバンドのある毎日の景色に慣れてしまえば気にならなくなることかもしれません。でも僕は、この患者さんの腕に装着された異物をとても嫌悪してしまうのです。リストバンドぐらい小さな事がどうして、こんな話になるの?と思う方もきっと多いと思います。また僕の怒りが職場で理解されないように、考えすぎなんじゃないの?という指摘もあるでしょう。

もう一度書きます。僕が嫌悪しているのはリストバンドではなく、「リストバンドが持ちこまれたホスピス」です。時が来て、天に帰り病院を離れるとき、自分自身の力では取り外すことができない患者さんに装着するリストバンドです。そしてただでさえ非日常の病院、ホスピスに、生活や文化のそよ風を吹かせたいと思う小さな純真をこのちっぽけな腕に巻かれたビニールは壊します。さらには、疾病、症状の管理に専念する余り、患者さんの生活や思想すら管理、そして支配してしまうという落とし穴は、すぐ近くであなたが落ちるのを待っています。そしてひとたびその穴に落ちると、不機嫌な医師(看護師)となり毎日を過ごすことになり、自分は不機嫌に仕事していることを自覚しつつも、自分がなぜこんなに不機嫌なのかさっぱり分からなくなるのです。その日の朝に、楽しみに残してあったドーナツを誰かに食べられたという不機嫌な出来事がなければ、不機嫌な医師はこうして出来上がるのかも知れません。とにかく僕はそんな医師にはなりたくない。

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