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2011年8月21日 (日)

「専門家」の危ない誘惑

毎週診察する、がんの患者さんから、こんな話を聞きました。

足のリンパマッサージを受けたいという動機で、あるクリニックを受診しました。そこで、診察と検査を受けて帰ると、再び受診するように連絡があったので、リンパマッサージを受けられるのかと思い受診すると、医師からこんな話がありました。「このままではあなたの体はダメになる。一度A病院で診察を受けた方がいい。連絡はしてあるので今すぐ行きなさい。」こう言われてビックリしたが、とにかくすぐA病院へ行き、診察を受けました。
そして、そこで初めて会う医師から、「あなたはこのままでは3-6ヶ月しかもたない。私は個の病院で抗がん剤の治療に専念しています。あなたの病気は確かに薬が効きにくいけれど、治療を受けてみる気はあるか?」と言われたのです。

患者さんはとても動揺していました。その医師が説明しながら書いてくれた紙を見ると、化学療法の内容が非常に詳しく書かれています。内容はとても論理的で、危険を軽視するようなことも一切書いてありません。化学療法でかえって体調を悪化させる場合もあること、重篤な副作用もあり得ることなど、全てのリスクについて触れてあり、また患者さんもこのような説明を確かに受けたと話していました。
そして、患者さんの話は続きます。

この医師は言うのです。私の病院では私の治療を受けるために全国から患者さんが来ています。今なら入院できるので、5日後までに返事が欲しい。

患者さんは、緩和ケアの担い手である僕にこういう相談をしながら、本来の自分の主治医にどう話したらよいのかを考えあぐねていました。自分はセカンドオピニオンを頼んだ覚えはないのに、リンパマッサージの診察を受けに行ったらこういう話になってしまったと。僕はこの話を聞きながら、とにかく、どういう治療を受けようと、どの病院へ行こうと、僕との関係は変わらず続きますから、どうぞ遠慮なく何でも思ったとおり話して下さいと自分の立場を伝えました。そして、「主治医の先生には (同じ病院で働く同僚) 僕からちゃんと説明しておきますよ。安心して」

こういう話は、実は病人の周りにはあふれています。特にがん患者さんの周りには色んな療法や治療の情報があります。例えば親戚に勧められたり、例えばたまたま手に取った本でぴんと来たり。さて、専門家というものは、自分の関心のある世界に身を置き、四六時中そこから世界を眺めています。すると、自分の目と耳には自分の関心があることだけが飛び込んできます。パーティーのざわめいた会場でも、隣の人と話していればその話だけに集中できるように、人は自分の関心があること、見たいこと、聞きたいことに意識を集中し他のノイズをはねのける能力を持っています。ですから、専門家は特定の領域に造詣が深いと同時に、視野狭窄をおこす危険性があります。そして、科学の領域だけでなく、どんな人も自分自身の世界の専門家です。今まで培った色んな経験から、自分だけの世界観を確立していきます。そして、自分から見た世界は、自分のアイデンティティそのものです。自分の世界が歪むことは、自分自身が歪むこと。一度自分の世界が歪めばそこには苦痛が伴います。ですから、もし僕が誰かに「緩和ケアなんて実体はないんだ。そんなものには価値はない。本来医師の心構えというのは・・・」なんて話を聞かされようものなら、全力で話し手に反論しようとしてしまうのです。自分の世界が歪まないよう人は日々歪みがないかをチェックし、そしてさらに自分の世界が強固になるよう証明を続けようとします。
この患者さんを化学療法に誘う、A病院の医師にとって、化学療法の世界は彼自身のアイデンティティそのものです。この医師は、患者さんを騙そうとか、儲けようとかそういうことではなく、ただひたすらに自分が大好きな方法で、患者さんの苦悩に応えようとしています。そして、僕も自分の信じた緩和ケアで、患者さんの苦悩に応えようとし続けています。

それなら、みんな自分の得意な方法で力を合わせて患者さんを助ければ良いんだ。僕も、僕の病院の同僚である主治医も、このA病院の医師もみんなでこの患者さんを助けてあげれば良いんだ。これこそチーム医療だ。最高のチームだ。誰が提供する医療が一番良いかなんて、決められない。みんなちがってみんないい!
こんな風に考える人もいるかもしれません。その前に、僕は警告しておきたいのです。専門家の危ない誘惑をよく考えなくてはなりません。

話は少し逸れますが、専門家が一番疑われた最近の出来事と言えば、そうです。東日本大震災と福島第一原発の事故。メディアで原発事故についてコメントする専門家の振る舞いを見て、多くの人達が批判を浴びせました。特に放射線の人体への影響についてです。
「ただちに健康を害するものではありません」を安全デマと称し、その話し手である専門家を「御用学者」と揶揄するもの。放射線の影響を低く見積もる専門家には、原発の利権、要するにお金が動いているに違いないと糾弾するもの。多くの専門家の言説が、市民の心を鎮めることはなく、むしろ専門家の人格を卑しめる事も目につくようになってきました。
僕は、原発事故を語る専門家の誰が真実を話しているのか検証することはできません。そしてまた同じように、がん患者さんに語りかける医師たちの何が真実なのかを検証することもできません。なぜなら、真実とは、恐らく混沌としている中にあるので、特定の専門家の視点が、これこそが絶対的な真実を見つめている、と確信できないからです。専門家の視点は「自分の関心があること」であふれがちなゆえに、“危ない誘惑“に落ちいりやすいと言えるのではないでしょうか。
それでも、この患者さんも僕も多くの市民も、何かを選び出し、前に進まなくてはなりません。その時に僕はいつも考えます。専門家の危ない誘惑に囚われていないのは誰なのかを見極めなくては。

“専門家の危ない誘惑”を検証するにあたって大事なことは、まずその専門家が「自分の世界を強固にするために意見を述べていないか」ということです。原発を語る専門家の中には、自分の専門的な見解ではなく、自分自身を強固にするための意見を述べる、簡単に言えば「自分自身の意見を語るのではなく、自分そのものを世間に広めるため」に語る人がいます。
さて、これを先ほどのA病院の医師に当てはめて考えると、自分の接した多くの患者さんが自分の信じる化学療法の世界に、絶対的な信頼と共に取り組むことで、彼は自分の世界を強固にしようとしていないかということに気を付けなければなりません。こういう医師は、自分のアイデンティティを強化するために絶えず患者の存在を必要とします。とても親身になって相談に乗ってくれたとしても、その目には患者は映っていません。
このように、医師が利己的な動機で治療を勧めている場合、患者さんの方も医師の技術だけ利用しようと割り切っていて、契約としての信頼関係が成立していることもあります。しかしこの契約下においては、物事がうまく運んでいるときは、医師、患者双方の関係は良好ですが、やはり病気に関する契約では、悪いことの方が徐々に目についてきます。病状が悪化していった場合、その時に完全に関係が破綻します。患者さんは、弱った身体で次の医師や、治療法、療養先を探さなくてはなりません。
そしてもう一つの誘惑とは、ずばり「お金儲け」です。原発の御用学者の懐に、国民の税金が (自分たちのお金が) 入っていると指摘し怒りの対象となっていることと同じです。がん患者さんの治療や療法にも、高額なお金を要するものもあります。専門家は自分の叡智をお金に換算し私利私欲に走る可能性があります。そして、先ほどのA病院の医師なら、化学療法を行うことで、この患者さんからお金を得ようとする動機があるかもしれないのです。僕自身の治療も、患者さんに代価を要求しています。それでも必要以上のお金を請求することはできませんし、お金を稼ぐために多くの患者さんを勧誘することはありません。
しかし、だからといって僕は純粋だと主張するつもりはない、ということをここで述べたいと思います。なぜなら、この専門家の「お金儲け」の誘惑はいつも専門家自身の私利私欲のためではないことを知っているからです。専門家が所属する教育機関や、研究所、病院には多くの職員がいます。専門家がお金儲けを考えるとき、庭付きの一戸建てや、外車、豪華な旅行だけがその頭を支配しているのではありません。専門家を支える周囲の職員の生活のことも考えているはずなのです。専門家は研究の継続と、それに関わる人達の生活を支えるために、トップランナーであり続け、そして、さらに利益を増大し続けて行かなくてはならないプレッシャーにも絶えず直面しているのです。「お金儲け」は、世俗の義務とも言える、誰もが必要なことなのですから、僕はいわゆる御用学者に寛容です。彼らの後ろにはたくさんの人達の生活が見え隠れしています。ただ、彼らの言説の濁りを見抜いて、聞き届けるか聞き流すか自分自身が感じ取って決めていくだけです。濁った口をふさぐことや、濁りのある人間を排除する不寛容は、決して事態をよくしていきません。

専門家の危ない誘惑は、自分も絶えず直面しています。世俗と神聖のせめぎ合いは、いつの世にも誰にとっても心の葛藤です。専門家の意見を聞く時はいつも、この誘惑を思い、そしてどう取捨選択するかを考えます。彼らのアイデンティティの強化だけに自分が利用されていないか、彼らは必要以上にお金を得ようとしていないか。僕にとっての判断基準はこの二つです。

そしてこの患者さんにはこういいました。「重大な決断を5日後までに答えることはできないですよね。こんな大事な決断を急ぐ理由を考えてみると、この先生はあなたのことをとっても治療したいようです。治療したいという医者の気持ちにすぐに応えるようなことはせず、ここはしばらくじっくり考えてはみませんか」
僕は彼自身が何を選択するかを見守り続け、そして何を選択しても彼との関係は終わることなく続けていこうと思います。彼を、「専門家の危ない誘惑」から守るのがこのたびの僕の役割だと言うことを僕は深く心にとどめました。そして、こういう役割を果たせることが、僕の理想とする医師の姿なんだと皆さんに伝えたいのです。

ところで、震災も原発も今や日本中の関心事です。自分を広めたいという動機の専門家にとっては、今はとても好機なのです。僕にもその誘惑がないわけではありません。「原発を語れば、自分のブログは、より多くの人に興味を持ってもらえるのではないか」という危ない誘惑を自覚しつつも、この話を皆さんにお伝えします。どうか皆さんも「専門家の危ない誘惑」にご用心。

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