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2011年7月

2011年7月22日 (金)

「ひと」に関心のない医師たち

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今日、初めて会う患者さんの所に伺ったとき、いつもとは違う体験をしました。丁度僕が病室に入ると、その患者さんは背中を痛がっているところでした。そして側にいた実習中の看護学生が、患者さんの背中をさすっていたのです。僕が患者さんの側に行っても学生はさするのをやめようとせず続けていました。僕はこの学生に圧倒的な感動を覚えました。ふつう学生は、いつも痛々しいほどに周囲に気を遣い、特に病院のスタッフの挙動にはとても敏感になっています。僕は、決して威圧的な態度で患者さんの側には行かないのですが(と自分では信じています)大抵の学生は、僕が話し始めるとその手を止めて、遠慮するのか一歩引いてしまいます。でも、今日の学生は、全く気に留める様子もなく確かな使命感で患者さんの背中をさすりつづけました。そして、僕はかがんで患者さんに話しかけました。「痛いの?」

この学生の一見自然な行為が、何で僕の心を動かすのか、それには伏線があります。昨日、死の床にある別の女性の患者さんを診察していた時です。僕がその方の手を取り耳元で話しかけているときでした。4人部屋なのですが、後ろでカーテンをそっと開ける気配がしました。その方を受け持っている研修医が顔を出し、「○○さん!」と声をかけると、患者さんは「ああ、ご苦労様」と声を返しました。弱々しい声でしたが、表情は微笑んでいました。すると、その研修医は僕とその患者さんの姿を見て「あ・・・あ・・・また後から来ます・・・」とその場を離れていってしまったのです。

僕はこの患者さんの主治医ではないのですが、その患者さんの調子が良かった頃から緩和ケア医として、別の科の主治医と一緒に診察を受け持っていました。患者さんとは、色んな事を話してきました。患者さんはご自身の人生をふり返り、自分の仕事のこと、家族のこと、最近困っていることを話しました。僕も自分の家族のこと、子供達のことをよく話しました。特に僕の子供達のことを話すと、とてもうれしそうな顔をします。「昨日は次男に運動靴を買ったよ」「昨日はみんなで食べるウナギを買ってきたよ。子供達も食べていたよ」こんな話をすると、黄疸で黄色くなった顔が以前のようにさっと明るくなります。僕が行くといつも必ず僕の手を握ります。体調が落ち込んでからは、話すのが億劫なんでしょう、多くの事を話したいんだけどこの握った手から言葉を伝えるねとそんなメッセージが心に浮かびます。お互い黙っていても、その手を通じて対話をしているのです。

そんな対話を目撃した研修医は、とても居心地が悪かったのでしょう。その場を離れていきました。きっとこの研修医は、この患者さんを受け持って、終末期のがん患者さんとどう対話したらよいのかとても迷っていると思います。その迷いは手を取るように分かります。僕とその患者さんが以前から関わってきた時間、というものが、この研修医にはまだありません。突然登場した新しい医者。それでも患者さんは快く受け入れてくれています。僕は、この患者さんに関しては相談を受けて対応する(緩和ケア専門医としてコンサルトに対応する)医師なので、直接この受け持ちの研修医を指導することはありません。別の科の上司がこの研修医の指導にあたります。

それにしても、最近の若い医師は変わったなつくづく感じます。というのは、そっと出て行ったその日も、これまでも、僕と研修医は一切この患者さんのことについて話をしたことがありません。僕から研修医をつかまえて、自分が何を考えて、緩和ケアの専門医の立場からどういう仕事をしているのか、彼に詳しく説明するのもよいと思います。様々なことを教える必要がある、と僕の方の準備はできているんです。しかし、この研修医は最初の一歩を自分の足で踏み出さないと、彼(彼女)自身の今後のためにならない、と半ば勝手に思いこみ、僕はずっと待っています。

「先生、普段この患者さんとどんな話をしているのですか?」
「先生、この患者さんはどんな方なんですか?」

自分の受け持つ患者の、検査結果や病態には関心があっても、その人に関心をもてない若い研修医が増えてきました。自分の受け持っている患者を他の科の医者に診察依頼しても、その結果を聞かないばかりか、患者さんと一緒に付いてくる研修医もほとんどいなくなりました。カーテン越しに僕と患者さんの会話に聞き耳を立てる研修医がいなくなりました。

こんなこともありました。

手術の前から診察していた、男性の患者さんがいました。手術をとても迷っていました。また自暴自棄にもなっていたため、彼の気持ちに対応するべく、消化器内科の先生から僕に緩和ケアの依頼がありました。その日以降、彼と話を続けて、その結果彼は手術を決断しました。色んな迷いはありましたし、僕自身も手術を勧めたわけではありません。それでも彼は僕との対話を通じて、自分自身の言葉で手術をした方がよいと決断しました。そして外科に移り、手術の日を迎えました。彼と手を握りあい、何とか困難を乗り切ったことを讃えました。そして手術の後も、僕は毎日のように会いに行きました。外科の手術が終わり2週間も経った頃、そろそろ外科での診療も終わり、その後は今後の生活を考えるのが彼にとって必要な事と考えて、その方の主治医を引き受けました。
彼が外科に移ってから、ある研修医が普段の診療を担当していました。毎日のように患者さんに起こる変化、検査の結果がきれいな字で正確に書かれています。毎日のように患者さんの所に通っていたこの研修医は、手術後2週間を経て僕が主治医になったとたんぱったりと患者さんの所へ行かなくなりました。僕が主治医になると、この患者さんは「内科」の患者さんになるからです。先ほどの研修医と同じく、彼は僕の所に一度も患者さんのことを聴きに来ることはありませんでした。というよりも、僕自身もどの研修医が担当しているのか顔が良く分かりません。患者さんは「あの先生はぱたっと来なくなったなあ。先生がいてくれるからいいけどさ・・・」

「先生、この患者さんの所へこれからも行っていいですか?」
「先生、この患者さんこれからどうなるんでしょうね?」

こんな会話はとうとう一度もないままでした。手術の手技、立ち会い、周術期の管理には関心があっても、その人が突然病気になり、手術を決断するまでの葛藤や、病気を抱えて生きていく困難さを想像する研修医がほとんどいなくなりました。みな期間限定で患者さんと付き合います。病棟が変わっても主治医が変わっても会いに来る研修医はすっかりいなくなりました。

またこんなこともありました。

近くの、とある在宅医療の医師から紹介のあった初老の女性患者さんです。その患者さんは、それほど病状が悪いわけではありません。しかし、家族の中に他にも病人がいることから、介護するご主人の負担が大きくなり、この患者さんは家で一人待っていることも多くなってきました。家で酸素を吸うようになり(在宅酸素)よけいに動ける範囲が減りました。家での生活がつらくなってきているようなのです。
しかし、この先生の紹介状を見ると「まだまだ家で過ごせると思います。酸素濃度もまだ問題ありません」と書いてありました。そこで、患者さんとご主人に尋ねました。「普段、診察している先生に今日のように思ったことを話せないのですか?」すると患者さんはこう答えました。その医師はとても優しくて良い先生だけど、いつも忙しそうに診察しているせいか、何か話を打ち切ろうとする雰囲気がある。だから、とても家族の深い事情までは話せないというより、話そうという空気にならないし、自分の本当に考えていることはなかなか相談できない。それに、在宅で診てくれる先生には悪くて、入院したいと言い出せないとも話してくれました。

「ご家族は皆さんどんな暮らしなんですか?」
「ご家族の皆さんはどうしていらっしゃいますか?」

いつから医師は、患者におこる「現象」ばかり関心を持って、「ひと」に関心を持たなくなってしまったのでしょうか。知らない間に、緩和ケアにも「現象」重視が目に付くようになってきました。疼痛の程度はどうなのか、睡眠の状況はどうなのか、何日に1回便が出るのか、同居の家族は何人なのか。病名の告知はされているのか、予後の告知はされているのか、本人は予後を知りたがっているのか。符号化した情報だけが山積して、その集合が「ひと」だと思いこんでいる。知らない間に、緩和ケアにも符号の山が一杯。

僕が感じた不快を感じた研修医や在宅医療の医師と患者さんとの隔たり。これはここ10年の教育の結果なんだと痛感します。自分も必死に注力してきた教育の成果が目の前に広がっている。自分も荷担した教育の成果が、今自分の落胆を生み出している。決して、他の医師の怠慢や感性の問題だけではない。自分の中にも、自分自身を落胆させるこの教育の成果がべっとりと染みついているに違いない。今から何をやり直したらよいのか。自分にできる事は何か。

今日出会ったひたむきな看護学生。その方のように、ただひたすら患者さんの「ひと」だけに向き合う診療を取り戻すためには、今の教育には何が足りないのか。その事を以前からずっと考えているのです。この看護学生の方から今日僕が学んだのは、「患者のためには、自我を捨てる」ことでした。自分の面目、立場、資格、気恥ずかしさ、虚栄心、人からどう思われるかを気にすること、それらを捨てて患者の側に立てる勇気だと痛感しました。

これから、ここに書いた患者さん達に会ってもう一度、今日感じたことをもう一度考えてみます。そして、意味が分からないかもしれないけど明日この学生に会ったら御礼を伝えようと思います。そして研修医には声をかけてみようと思います。まず自分自身が「なんでこんなこと僕が言わなきゃならんのか」という自我を先に捨ててしまわないと、研修医を指導することはできませんから。研修医や開業医の振る舞いを現象ととらえて自分が不快を感じるのは、結局彼らと同じレベルのことです。「ひと」に関心のない医師たちを「ひと」ととらえて自分が関心を持たない限り、彼らと自分とのより良い新たな関係は決して生まれないからです。


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2011年7月12日 (火)

交換可能な人たち 総理大臣の退陣問題と看護師不足の問題。

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  今朝も毎日新聞を読んでいると、二つの記事が目に入ってきました。「菅総理の退陣はいつなのか」という記事と、もう一つは、日本看護協会の会長の記事でした。その記事は、大震災が発生した後の看護師派遣の事と、後半は、看護師不足についての内容でした。この二つの記事は深いところで同じ事なのかもしれないと感じました。特に後半の記事は自分の職場での実感もあり、しばし考えさせられました。

 

1年間で約10万5000人も離職し約2万人しか増えなかった。離職率は11・2%に上り、大量採用・大量退職の悪循環が続いています。長時間労働や休暇が取れないといった職場環境の問題が大きい。(毎日新聞 201179)

  とのことです。自分の職場でも毎年のように看護師が辞めます。ある部署では、1/3が同時に退職し、新卒の看護師を振り分けてもまだ足りないという状況です。少ない人数なので休みも取りにくくなり、本当に困った状況です。ついに自分の働いている緩和ケア病棟でも、今年から看護師不足のためベッドの一部を閉鎖するという事態に陥りました。この状況は自分の病院だけのことだとはとても思えません。きっとどの病院でも起こっていることだと思います。そこで考えてしまいました。なぜそんなに看護師は辞めていくのか。

  夜勤が多く激務だから、71看護 (患者さん7人に対して1人の看護師を振り分けると病院の収入が多くなる。保険点数上の施策) のため、以前よりもより多くの看護師が必要になった、やはり今でも看護師は女性が大部分で結婚、出産、家族の転勤など家庭生活の影響をうける、など、誰もが指摘することは確かに現状を正しく指摘しています。世の中には色んな仕事があります。他の業種でも同じように多くの人が仕事を辞め、そして再び就職していきます。特に看護師だけが辞めているわけではないと思うのですが、どうして看護師に限って特にこんなに職場を「辞めやすい」環境になっているのかと考えなくては、物事の本質は見えない気がします。

  「辞めやすい」環境とは、「あなたがいなくてもこの職場は大丈夫」というメッセージが病院の中で絶えず発信されているような環境ではないかと思われます。 

 ある一人の人にしかその仕事はできないので交代はできない。だからその人は、休みなく絶えず自分を差し出さなくてはならない。これは、特に医師が過剰な労働になりやすいという現実です。私が休んだ時には、私の責任は誰かが引き継いでくれる。私の責任が過剰にならないように、仕事を同僚や上司と分け合うしくみになっている。ライフワークバランスとか、ワークシェアリングといった発想はもちろん大切です。医師も看護師も人間ですので、自分の生活もあれば、家庭生活もあります。病院にいる時間以外にも、自分の時間を過ごすのは当たり前のことです。医師や看護師が、弱きものを支えるという心(惻隠の情)を持って働いているのを知ってか知らずか、それを利用して、不眠不休で働くことを求める職場も多くあることでしょう。

  しかし、ここで僕の言う「あなたがいなくてもこの職場は大丈夫」というのは、この過剰労働を防止するために、誰かがあなたの代わりができるように普段から準備するという話ではありません。

 世間を見渡せば病院以外の職場では、派遣労働者が交換可能な労働単位として働いています。彼らは労働価値として何ができるのか、例えば電話オペレーターができる、PCでエクセルの表をものすごいスピードで作れる、接遇マナーが身についており接客ができるというスペックがまず職場に提示されます。そして、派遣先の職場から最も求められることは、仕事の成果を上げることです。そこでは、職場の仕事の手順やルールを教わることはあっても、よい社会人になるためとか、よい市民の振るまいができるようになるためとか、この企業を背負っていく新たな理念を作り出すためという創造的な思想を討論する機会はほとんどないでしょう。工場の派遣社員であれば、いかに不良品をださずに正確に何度も反復作業ができるのか、そしてその作業が時間単位あたりどれだけ可能なのかが査定の基準です。そして、派遣労働者が退職してもすぐに同じスペックの労働者がその職場をカバーする。こうして交換可能な労働者を安い賃金で雇用することで、企業は生産力を増したのでしょうか。企業の正社員は、派遣社員の働きにより、より創造的な仕事を担えるようになったのでしょうか。

 僕の言う、病院に蔓延する、「あなたがいなくてもこの職場は大丈夫」というメッセージは、一人一人の仕事の負担を軽減するために聞こえてくるメッセージではありません。だって、仕事の負担を軽減するためのメッセージは「何か手伝いましょうか?」です。でも、そんなメッセージは管理職からは発せられません。医師や看護師の管理職が (もちろん全てではありませんよ) 発するメッセージの多くは、交換可能な、安価な労働力を得るために開発された、そんなビジネスマネジメントの影響を受けたものばかりです。成果主義、目標シート、自己達成シート、労働時間管理。こうしたマネジメントにはいつも提出物がセットです。その提出物にある程度の時間を費やし記入していくことを看護師はどう感じるのでしょうか。「ああ、この職場はこうやって私の本心をきちんと把握しようと、機会あるごとに色んな事を調べてくれるんだな」なんて思うのでしょうか。用紙に記入していくことで、自分という労働単位を査定され、とある部署の看護師Aと記号化されていく自分に対して、何を感じるのでしょうか。そのメタメッセージが「あなたがいなくてもこの職場は大丈夫」になるのではないでしょうか。さらに、自分の仕事を査定されているうちに看護師は、「果たしてこの紙に書かれている物事で、私が大事にしている看護観をきちんと測定できるのか」と問えば、全くできないことに気がつくはずです。看護診断も然りです。患者との心の交流、ふと思った自分の大事に感じたことは、診断という操作にはなじまず、患者の現象にだけ肥大化した関心を持つように強いられる。そして、一つの診断に対してあらかじめ用意された定式化した行動で対応する。こうして、仕事がモジュール化し定式化すればするほど、「あなたがいなくてもこの職場は大丈夫」というメッセージがさらに強くなると僕には思えるのです。

 もちろん、医師や看護師が皆、このように考えているわけではないと思います。忙しい最中でも、人を大事にする何かを日々実践しているはずです。そして、その実践として「あなたの代わりはいない」「あなたがいるから私たちはやっていける」という強いメッセージを送って (贈って) いるはずです。一人一人それぞれの仕事を他人が認めると言うことは、ただ、その人の仕事を人前でほめたり、働く人それぞれの承認願望を満たすような挙動ではありません。そしてまた、仕事量を減らしたり、休暇を取りやすくしたり、給与を増やしたり、福利厚生を充実させても、看護師不足の問題は恐らく解決しないと僕は考えています。こういった対応は、恐らく看護師という労働者の一時の欲望を満たすことはできても、また次の職場や別の環境に移っていく誘惑の歯止めにはならないと思います。なぜなら、病院の経営者や管理職がこんなに仕事量も給料も福利厚生も申し分ない職場なら、「きっとあなたがやめても、この職場には誰か別の看護師をすぐに雇用できる」と考えるからです。そして相変わらず「あなたがいなくても、他に看護師が来るからこの職場は大丈夫」というメッセージを出し続けるからです。

 今の病院で問題となっている、看護師不足は、様々な会議とマネジメントを重ねて、みんなで、ある一定の成果を上げることができればよい「交換可能な人」を作ることに専念してきた結果であるということだと思うのです。さらに、「あなたがいなくても、この職場は大丈夫」という職場作りを自ら目指してきてのだと、自分の職場をふりかえってもつくづく思うのです。だから、皮肉にもこの現状は、今までみんなで努力してやってきた事の成果なんです。そして今、努力の成果が実り、収穫の時期を迎えているんです。出来栄えはいかがですか?僕は、今のこの看護師不足に苦しむ病院という職場に大いに疑問を感じています。

 今からでも遅くありません。この現状は何とか変えて行かなくてはなりません。さて、「あなたの代わりはいない」「あなたがいるから私たちはやっていける」そんな職場を創るにはどうしたらよいのでしょうか。

 まず、今まで述べたような「交換可能な人」を作るマネジメントや紙、評価を放棄することです。その上で、一人一人がかけがえのない存在である、という気持ちを常に持てばいいのではないでしょうか。どうすればそんなことがお互い伝えられる職場になるのでしょうか。僕は、「あなたにしかできない仕事をお互いが作ること」だと思っています。「ありがとう、これはあなたにしかできない仕事だよ」と、仕事の成果のあるなしに関わらず、まずは相手の仕事をきちんと認めて、「ありがとう」と一言伝える。看護師として良い仕事をしたではなくて、この仕事は○○さんでないとできないと伝える。そうすれば「あなたの代わりはいない」「あなたがいるから私たちはやっていける」という自分の気持ちを相手に伝えることもできるはずと思います。

 あなたにもし子供がいるのなら、たとえあなたからみれば不完全でもかけがえのない存在である子供にも、家庭の中で「あなたの代わりはいない」「あなたがいるから私たちはやっていける」という役割を探してあげて下さい。自分の身の回りの出来事が、職場、そして大きく日本の医療いや、世界の医療の問題と相似形だと想像してみてください。看護師不足の職場をどう改善するかの鍵は、あなたのすぐ足元に落ちているのかもしれません。

 

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2011年7月 7日 (木)

遠くから来た親戚

20110707_10119 ここ数日来、松本復興相の恫喝報道と辞任について、世間では色んな意見が飛び交っています。「けしからん発言だ」「失礼だ」「あいつを大臣にした総理大臣も同罪だ」と怒りに満ちた声がそこここで聞こえます。自分とは直接関係のないことだからということではないのですが、こういう、人を怒らせるような振る舞いを見て、僕は怒るのではなく、『この人自分の周りの誰かに似ているな』と普段の生活で接することに置き換えて思いを馳せます。

 

 自分の病院と家との生活の繰り返しの中で、「松本復興相」と相似なのは、「遠くから来た親戚」でした。遠くからの親戚という話はご存じでしょうか。僕は毎日病院で患者さんや身近な家族と一緒に過ごし、小さな変化を確かめ合いながら、思いを交わしながら過ごしています。ていねいな対話を積み重ねる毎日です。患者さんの状態が悪くなると、亡くなる前に一度会いたいと多くの親戚の方が病室へいらっしゃいます。また皆さんを集めるようにと促すこともよくあります。「どなたか会わせたい方がいらっしゃいますか?」病院では良く交わされる会話です。

 この時に「遠くから来た親戚」(カリフォルニアの親戚ともいうそうです  )は、こんな時に登場します。ある日病院に来て居丈高に「一体どうなっているんだ!ちゃんと治療はしてるのか!医者を呼べ!」と、病院の職員を恫喝し、それまで患者さんと家族との対話を通して築き上げ、前に進んできた道を全て壊してしまうという逸話です。「オレはこの治療をするべきだと思う」「こんな状態で何で何もできんのだ」とにかく怒っている。この「遠くから来た親戚」というのは、病院で働く医療者の間の隠語のようなものですから、敬遠される人、もしくはできれば関わりたくない、起きてほしくないことの隠喩として、語られています。とにかく医療者は、怒っている人の対応にはとても苦心し、またそれまで築き上げてきた患者さん、家族との良い関係を乱されたくないと考えているのです。

 

 僕も今までに何度も「遠くから親戚」に出会いました。大抵この様な方は勤務時間外の夜や休日に、突然いらっしゃいます。自分がそこに立ち会っていないことも多くあります。それでも僕はこの「遠くから来た親戚」がどれだけ怒っていたとしても、全く怒りを感じないのです。こういう風にしか自分の気持ちが出せない、患者さんが亡くなろうとしているやるせなさから怒っている人の心のつらさをいつも感じるのです。色んな方々と毎日交流していますが、幸い「話せば分かる」方がほとんどでしたから、この「遠くから来た親戚」には、時間をとって二人で話します。そして静かに語り始めます。

 

 まず、自分が患者さんと初めて出会った日のことを話します。「お腹が痛いと外科に入院し、その痛みが普通ではなく自分が呼ばれました。その時の様子は今でも良く覚えています。患者さんは、つらそうに痛みのために泣いていました」とあったことをずーっと順を追って話します。そして、最後に今の医学的な状況を話すのです。「病気の広がりは、こうこうで今は手を尽くしましたが、ほとんど力が残っていない状況です」「そんな最中に、会わせたい人を呼ぼうとご家族と話しあいました。今日は来てくれて本当にありがとうございます。きっと患者さんも喜んでいると思います」

 医学的に正確な状況、選択した治療の妥当性を話すのではないのです。僕と患者さん、家族の間に流れてきた心の交流や時間の流れをずっとふり返りながら思い出を語るように話すのです。そうすれば、「遠くから来た親戚」の方とも違う地平が見えてきます。

 

 怒る人への対応として戦略的に対話しているのではないのです。怒っている「遠くから来た親戚」は、すでに動いている場の空気と失われた時間に乗り遅れて、焦っているのです。「どうして自分はあの時にお見舞いに行かなかったんだろう」「どうして自分は忙しさにかまけてもっと優しくできなかったんだろう」「どうしてもっと早くこんなことになっているのを自分にしらせてくれなかったんだろう」いずれにしろ、病院で展開している苦難に満ちた場に参加していなかった事は変えようのない事実、急に今日からその場に入ることになれば、戸惑うのも無理もありません。まるで、ルールの分からない競技に朝目が覚めたらいつの間にか参加していて、隣の人が血相を変えて自分に向かって叫んでいる。自分はルールが分からないから、足元のボールを蹴ればよいのか、持っていればよいのか、手につかめばよいのか、走って逃げればよいのかも分からない。それでも時間が過ぎてゆき、何かをしなくてはならない。「遠くから来た親戚」はそんな体験をしているのではないかと思うのです。

 

 それなら、まずすることはその場に展開するルールをお話しすることです。だから僕は、今まで何があったかを覚えている限り語り続けるのです。「遠くから来た親戚」もその場に参加しなくてはならない大事なメンバーなのです。その方が登場した以上、患者さんや家族に加わる以上、「遠くから来た親戚」にも大事な役割があるはずなのです。その役割が何かはいずれ分かることですから。

 

 はじめの話に戻りましょう。松本復興相は、大臣に就任する前から東北地方の被災地対応をしていたことは周知の事実です。決して「遠くから来た親戚」すなわち「遠くからきた新しいメンバー」ではないのです。しかし、彼は岩手県庁で、「俺九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からんのよ」と話しました。まるで「遠くから来た親戚」です。彼は自分の目の前で展開していることのルールが分からないからこのような発言をしたのではないでしょうか。松本復興相の宮城県庁での恫喝は、「遠くから来た親戚」の怒りのようでした。そして、彼の蹴ったサッカーボールを県知事は足でトラップするのか、キャッチするのかどう振る舞うか分からず、結局そのままこぼしてしまいました。

 

 僕はいつも患者さんや家族といった弱い立場の人の気持ちを考えたい。「遠くから来た親戚」の弱った気持ちを想像したい。松本復興相への報道と、辞任への一連の流れは、動揺しながら急に病院に登場した「遠くから来た親戚」を、「大声を出したから」「医療者に加害する可能性があったから」と警備員に頼んで病院から排除する振る舞いと同じだと感じます。誰でも話せば分かると考えるのは、僕の世間知らずの甘さかもしれませんが、この一連の騒動から、「怒っている人」に、その振る舞いに対して「さらに上回る怒り」で対応する世の中にはいささか危険を感じるのです。どうか医療者の皆さんは「遠くから来た親戚」を排斥することを考えるよりも、彼らがどうしたら場のルールを理解して、「良き親戚」として振る舞えるようになるかを考えてほしいのです。

 

 「遠くからの親戚」を敬遠したい人々という隠喩に閉じ込めるのではなく、その場に積み重なった時間と人々の思いの集積と、暗黙のルールが分からない異邦人と広い心で受け止めて欲しいのです。同調圧力と、「空気を読む」という日本人的な常識に囚われずに、新たな登場人物をあなたの世界に招いて欲しいと心から思います。その寛容さがきっと「遠くからの親戚」の不躾な振る舞いと、怒る人を受け止める軸足になると僕は思うのです。

 

 

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