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2011年6月 6日 (月)

がん告知という呪い

今朝の毎日新聞に、岡部健先生の連載中のエッセイが載っていました。ご自身も胃がんを患い、そして余命の告知についての考察を書いていらっしゃいます。

《告知のあり方にも複雑な思いがある》

 私は、自分の病気を知りたい患者には真実を伝えてきました。一方で、人が未来を知ることは幸せなのかと、がんを体験して強く感じました。
 病院で余命3カ月と告知されたある患者は、その言葉が頭にしみついて「あと何日」と数える毎日を過ごしていました。余命数カ月と告知されても年単位で生き続ける例もあるのに、患者には不安と絶望感だけが残り、普通に過ごせたはずの時間まで奪われてしまう。「告知ありき」の流れには疑問を感じます。

僕の経験から、病名でも余命でも、相手に事実を伝えるというのは、医師にとっては決して容易なことではありません。患者の気持ちをいたわりながら告知するにはどうすればよいか逡巡すればするほど、言葉が見つからなくなるからです。この告知を巡る問題は、今まで大きく変化し続けてきました。その変化について少し振り返ってみようと思います。
以前は、患者は真実を知らない方がいい、治療は医者に任せておけばよいのだというパターナリズムが主流でした。患者が病名を知る前に、医師からがんであることを「伝えますか」「伝えません か」と問われた多くの家族は、「伝えないでください」と答える方も多くいました。患者は自分ががんであることも知らぬまま、化学療法(抗がん剤)の強い副作用 に耐えたり、最期の時を迎えたり。家族と医師と看護師は、患者の見えない聞こえないところで、たくさんの嘘の打ち合わせをしていました。もちろん患者を落ち込ませたくない、生きる希望を奪いたくないそんな患者の気持ちを思いやる心から、本当の病名を言わないことや嘘をたくさん作っていたのです。病室ではこわばった作り笑顔。患者は内心どこかおかしいと気づいている。それでも患者は家族の気持ちを察して何も言わずにだまされたふりをしていることもあったことでしょう。でも本当は、医師も患者と向き合うのが怖かったのかもしれません。「あなたはがんです」その言葉に医師はとても恐れを感じていますから。なぜなら、医師は自分の力で患者を治せないという無力感を患者の前ではなかなか吐露できないものなのです。

時代は変わり、特にここ20年くらいで徐々に状況は変わりました。自分の病気はやはり自分が知っていなくてはと、がんであることをほとんどの患者は知るようになりました。自分自身の治療や生き方を自分で決めるという考え方がその根底にはあります。個人の権利を尊重する考え方の影響を大きく受けています。自分 のことは自分で決める。決して悪いことではありません。がんの治療はうまくいかないこともたくさんあります。自分で納得して決めたからこそ、うまくいかないときも納得できる。そしてまた、がんを患ったという悲しみもつらさもなくなることはありませんが、やはり患者、家族、医師の間で嘘がないことから、つらさを分かち合い、共に病気の恐怖と向き合うという新たな関係が生まれるのです。中には、一切の治療をやめて死を静かに見つめつつ、残された時間を大切に生きる方もいらっしゃいました。

こうして告知の問題はすでに解決した問題だと多くの医師も患者も考えるようになりました。がんを告知するのが当たり前。「告知すべきかせざるべきか」すでに過去の論争のように思っています。しかしこのがん告知をめぐる問題は形を変えて今も続いているのです。

時は流れて21世 紀となった現在、「病院ランキング」や「ブログ」など様々な医療に関する情報があふれています。自分がどの病院へ行けば一番良い治療を受けられるのか、患 者、家族は様々な情報を検索する時代となりました。そして、病院もこの状況を受けて医療はますます専門化しました。結果として、一人の患者が色んな病院の 治療を受けるようになりました。特に都市部ではその傾向が強く、「手術はA病院、普段はB病院、抗がん剤はC病院、亡くなる前はD病 院」とそれぞれの病院で受けられる医療を吟味しながら治療を継続するような患者もいます。また、「この病院では長い入院は困ります」と言われ、患者、家族 が望まない転院を迫られることも増えてきました。あるがん専門病院では「うちの病院はほとんどの患者は亡なくなりません!軽快退院は80% 近くです!(だって、他の病院へ転院するから)」という悪い冗談もあるほどです。そして病院が変わる度に主治医が変わります。大きな病院になると、外来の 医師と入院の医師、手術の医師、検査の医師と複数の医師が関わるようになります。それぞれの得意分野を活かしてチーム医療が提供されるようになってきまし た。このような医療体制の変化は、良質な医療を受けたい患者と、良質な医療を提供したい病院とが同じ夢を見ながら自然と変化したことです。しかし、この主 治医が変わることは異なる状況を生みます。つまり、良質な医療を受けたいという患者、家族の考えは、良質な医療の連続というよりも、誰も自分たちに親身に なってくれる医師が結局誰もいないという、不幸な不連続が目立つことにもなってきたのです。

こうした現在の医療体制で、まず「告知ありき」が原則の「がん告知」にはまた違った一面が見えてきました。

今の総合病院では、初診の時いきなり「あなたはがんです」と準備もなく言われることも増えてきました。不幸を告げるにあたって、そこに医師の逡巡はない。患者に正確な病名、そして真実を告げることに全く躊躇がない。がんを知らされなかった無念の患者の声、患者と向き合えなかった家族の後悔、どこかおかしいと 不自然さを感じていた医師、それらに応えたはずの告知が、今となっては躊躇のない告知になってしまったのです。医師にもすでに病名を告げることの迷いはあ りません。そして、専門分化された病院では、その患者はいずれ別の病院に転院します。診断をした病院から手術をする病院へ。手術をする病院から抗がん剤を する病院へ。抗がん剤をする病院から看取りをする病院へ。こうして治療の開始と転院を円滑にする「告知」が、特に都市部で蔓延してしまいました。また、少し前の個人情報保護法で患者の個人情報すなわち病名も患者自身が知るべき情報であって、例え家族であっても患者より先に知るのはおかしいという解釈がまことしやかに広まりました。僕はここまで病院で働く医療者の判断力は劣化したのかと情けない思いがしました。「患者に正確な病名を真っ先にしかも迅速に伝えない」ことが、一体どういう罪に問われるのでしょう。

患者に病名を「告げる」か「告げない」か。葛藤がいつまでも自分の身の回りに続くことは人にとってはとても不快です。その不快から逃れるためには、1つの立場を明確にしてその立場から決して動かないと周囲に宣言するのが一番の早道です。こうして「私は患者に正確な病名を告げる方針です」「個人情報保護法をご存じですか?病名は患者の個人情報です。まず正確な病名を患者は知るべきなのです」と声高らかに宣言するのです。そして、この宣言には免責が含まれます。「だから、私が 診察した以上、あれこれ後からクレームを言っても一切関知しません」と。最近は医療の側が絶えずクレームの一歩先に準備をするようになってきました。余命についても「あなたのために、ちゃんと言っておきます。残った時間は3ヶ月でしょう」と患者のためを思ってという疑いのない正義の下、簡単に話される ようになりました。「残った時間を、有意義に過ごすために退院してください。 家が一番です」「残った時間を苦痛なく過ごすためにホスピスを申し込んでください。それが一番です」そんな話が続きます。こうして告知はそれぞれの患者を思う気持ちがだんだんと埋もれていきました。

僕の知る、新聞にエッセイを書いた岡部先生はとても患者思いの医師です。それでも現在の告知のあり方に躊躇を感じています。それはここまで考察した内容とまた別の視点があると僕は考えています。
それは田口ランディさんの書いた「キュア」という本の一幕です。医師がある患者に、膵臓がんの末期であることを告げます。そのとき患者は医師が勧める手術を拒絶します。そして医師に、「私の余命はどのくらいですかね?」と尋ねると、医師は迷いながら、「知りたいのですか?」と問い直す。うなずく患者。「手術をしなかった場合は、・・・・・・悪くて半年です」と医師は話す。余命の告知です。すると患者はこう言います。「呪いですね」「先生は、たったいま私に死ぬという予言を与えた。半年後にオマエは死ぬぞ。それを昔の人は呪いと言いました」

最初にこの一節を読んだとき、小説に登場する医師と同じく僕には意味が分かりませんでした。「呪い」なんて今の世の中にあるの?だいたいオカルト的で科学的じゃない。古代人の話じゃあるまいしやめてよ。そう思いました。しかし、この小説を読み終え、自分の周りをよく見渡してみると、確かに「呪いの儀式」はあちこちで行われ ていました。もしかして患者を思って話していたことが、「呪い」のような何かを含んでいるかもしれないとも思いました。いくらコミュニケーション技術や手法を学び、丁寧な面談と手順、そして相手の気持ちを考えて心情を汲み取ろうとして接していても、今の医療状況の中では患者は「呪い」をかけられる。医師は自分の吐く言葉を、接遇、正しい言葉遣いでどれだけ整えても、簡単に「呪い」の儀式は始まります。

「呪い」は何も医師から患者へと向けられるものだけではありません。医師は自分の考えに呪縛され、それ故に不幸を味わうこともあります。僕にも思い当たることがあります。僕 の大学の恩師は胆石が専門でしたが、ある日胆石の発作がおこり大学病院に入院しました。幸い治療を受けて退院することができましたが、今思い出すとある一つの格言を連想します。それは小説「キュア」にも登場します。「人を呪わば穴二つ」つまり、患者を呪えばいずれ自分にも災いは降りかかるという言葉です。 医師が自分の専門領域の病気になることが多いというおかしな伝説があります。もしかしたら医師は二つ目の穴に落ちているのかもしれません。絶えずある特定 病気の呪いの言葉を医師自身が診療を通じて自分の身体に共鳴させていれば、必ず体は感応します。空想かもしれませんが、僕の恩師もこの穴に落ちてしまった のかもしれません。

病名も告知も「告げるべきか」「告げないべきか」という次元にとどまっている限りはいつまでもこの問題の本質が見えてこないことでしょう。新聞のエッセイのコメントのように「告知ありきの流れに疑問」を感じながらも新しい地平が見えてこない。余命を告げる「呪い」を超えた患者との対話はあり得るのでしょうか。

決して患者に冷たい医師だけではありません。患者を理解し患者の気持ちを慮る(おもんばかる)ほど、どう話したらよいのか逡巡し悩む。悩んで悩んで言葉が続かず、そして本当に患者のことを思うあまり、巷にあふれるコミュニケーションの技術が無力化してしまう。そんな風に迷いながら告知をめぐる葛藤を簡単に解決せず考え続ける医師も多いと信じています。

患者を呪わず、患者を思い病気を告げること。この問題についてはまだまだ自分も含めて医師には体得が必要な素養があるようです。そしてその素養はおそらく医学の教養だけでは及ばず、ビジネス界から導入した接遇やコミュニケーション技法、コーチング理論でも及ばず、もっと古代からの人間同士の営みのようなもの を根本的に考察する必要があるのかもしれません。現代テクノロジーで万能化したように思える医学ですが、ひょっとしたら呪術の時代から、進歩していないと ころがあるのかもしれません。いや、進歩しては(変化しては)いけないところがあるのかもしれません。

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