« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011年4月15日 (金)

心のケアの心構え。

3月11日の東日本大震災以降、多くの人達は自分自身の心の変化に気がついていることと思います。僕も色々と考えましたが、直接被災した方々のそばへ行こうと決意し、地元の看護師と作業療法士と3人で、4月24日から福島県南相馬市へ行こうと計画しています。
震災から1ヶ月が過ぎて、今とても気になっていることがあります。それは被災した方々の心の問題です。大きな災害の後の心のケアの重要性はとても周知されていますが、そのケアの構えつまり、支援者の心構えというのがより重要だと思っています。
僕はホスピスで働いており、毎日体や心を痛める方々と過ごしています。このホスピス・ケアでは、心のケアは当たり前のケアの一つとして取り組んでいます。残念ながら僕には、災害支援の経験がありませんので、自分自身の臨床経験から心のケアについて感じていることを伝えたいと思います。

ホスピスでの経験から、本当につらいのは患者さんだからと、支援する医療者が自分の気持ちを無視して「自分は弱音はいたらだめ、がんばるのは私よ」と活動すると情熱が枯渇し数ヶ月で燃え尽きて(バーンアウト)しまいます。恐らく震災の支援者も同じで、「本当につらいのは直接の被災者だから」と苦しみを共有するために無理な自粛をしたり、他人を責めたりしてもどうにもなりません。支援者が「弱音を吐いたらだめ」という構えで臨むと自分の気持ちのパワーが枯渇すると思います。気持ちのパワーが枯渇した時は、とても危険です。心は完全に疲労した状態で、時にはうつ病を発症することもあります。ひとたびうつ病を発症すると、自分の力ではなかなか立ち直れません。また一般の人達はうつ病という心の病気を、原因を取り除いて、気分転換すれば治ると思っていますが、僕は多くの患者さんと接してこれはちがうと思います。患者さんは「なぜこうなったのか」といった原因探しをして、その原因を理性で乗り越えていく力も失ってしまいます。周りの温かい言葉も本人の心に届きにくくなってしまうのです。

こうした医療者、支援者の心の問題をバーンアウトとして以前から研究されています。一般的に医療者がバーンアウトとなると、「人との交流を避ける」「他の医療者と衝突する」「思い上がる」「不注意が目立つ」「緊張する」といった様子になると言われています。また、「よく怒る」「急かされた気分になる」「他者を軽蔑する」「罪悪感を感じる」「過度な責任感をもつ」といった特徴もあります。医療者のバーンアウトを予防するには、過去の研究から「コミュニケーション能力を高める」「自分自身の苦悩を無視しない」「気持ちを言葉にする」がありました。(Meier DE, JAMA 2001) このことは、震災の支援者にも当てはまると思います。

ホスピスでは、よくカンファレンスと行って会議をして自分たちの感じていることを率直に話す機会をもちます。そこではお互いのやり方を責めることや、治療やケアの不備を指摘し合うのではなく、お互いの役割をはっきりさせ、過大な責任を共有します。このように、震災の支援者同士が夜に自分の気持ちを語らうと良いです。そして、「被災者の人達が一番つらい」と自分の気持ちを抑え込むことをせず、言葉を選ばず自分の気持ちを語り合うミーティングを持つとよいと思います。そして、そのミーティングではお互い責め合わず聞き続けるだけにします。

ホスピスでの心構えとして「doingよりbeing」と言う言葉があります。あまりにも広まりすぎたので口にするのはやや気がひけるのですが、要するに患者や家族に何かをしようという行為よりも、まず患者や家族に側にいることを大事にしなさいということです。僕も連日のように人が亡くなる側にいますが、その事は実感します。

心のケアに似たものとして、スピリチュアルケアというものがあります。最近発表したスピリチュアルケアに関する論文でも面白いことが分かりました。(がん患者が望む「スピリチュアルケア」89名のインタビュー調査 精神医学・52(11):1057-1072,2010)その結果わかったこととして、構えてケアをしようというよりも、「病気以外のこともよくきいてくれる」と言うことを患者さんは望んでいました。そして、医療者に望むことは「ほがらか」で「ユーモア」があることです。ホスピスでは傾聴と言われますが、ただただ苦しみ悩んでいることを聞いていたってケアにはならないと思うんです。この研究をしてから、どれだけ苦難の大きい境遇にある方にも、微笑みながら「おはよう」という勇気を僕は得ました。
先日のプロフェッショナル仕事の流儀でも同じテーマが放送されていました。院内学級の患者である子供さんの一人が、いつもつらそうな子がいると、そっとその近くに座って側にいるという話しでした。ただ横に座っている。これこそが心のケアだと思いました。

また心のケアというと、精神科か心療内科のプロが一定の時間特殊なカウンセリングをすることと思う方もあるかもしれません。カウンセリング室に入る前と後で、今苦悩している方がそんなに大きく変化するというdoingなモデルではないと思います。少なくとも僕のホスピスや病院での臨床経験ではっきり言えることは、心のケアに関わるプロの医師、看護師、臨床心理士は、苦悩する人に向き合う構えとしてのbeingが確立されている。苦悩する人とどう言葉を交わすか、どう対話を進めていくのかを訓練されています。心のケアをしたいと考えていらっしゃる、震災の支援者の方はよく心に留めておいて頂きたいんです。このbeingの心構えに関して訓練されていない方のケアはとても相手を卑しめます。そして、構えのないケアは支援者自身の心を痛めつけます。

私見ですが、心のケアをしたいと考えるのであれば、まずご自身の隠し芸を一つ用意することが一番の心のケアだと思います。手品、演奏、漫談、紙飛行機飛ばし、漫才。支援者であるあなたの朗らかな元気を、今災禍にある方々にお分けするのです。そして、元気の押し売りをしない。

そして最後に、僕は病状の重いがんの患者さんと接して一つのことを学びました。つらいと悩む患者さんの側に、自分も神妙で表情を暗くする必要はないのです。それは不謹慎とはちがいます。自分たちが行った研究でもわかったように、「ほがらか」な自分であり続けることこそが、苦悩にあふれたホスピスで求められる心構えだと言うことです。プロとして、「ほがらか」な自分であり続けるように日々鍛錬するのです。ですから、プロではないかもしれないですが、支援者であるあなたが元気を満タンにするには自粛は不要です。ホスピスでも、震災の避難所でもあなたの元気なパワーと、笑顔、ほがらかさこそが一番のケアであり支援となるのです。あなたが被災した方々に分けることができるのは物資やお金だけではありません。あなたの元気やパワーを分けることができると思うのです。

| | コメント (0)

2011年4月 1日 (金)

昏睡の人との対話

アーノルド・ミンデルの著書、「昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み」という名著があります。オカルトか?非科学的なまやかしか?など思わず素直な心で読んでみました。

昏睡状態もしくは半昏睡状態はどの病者にも体験しなくてはならない状況です。彼らが一体何を感じているのかわかりません。心地よいのか不快なのか。苦しいのか苦しくないのか。それは死の一歩手前の状態で、昼の日差しが夕方を経て夜という闇に移り変わっていく途中の状態です。この昏睡状態の時も耳は聞こえていると言いますが、ただ自分の声が彼らの鼓膜をゆらし、音声が電気信号に変換され、脳の神経を走り大脳に至る。そこでは意味のある言葉に置き換わりそして、我々の思いが伝わる。そういう言葉、言語を介したコミュニケーションではないであろうことは、昏睡の病者と対話しようと試みた人なら分かると思います。

僕は時々、緩和ケア病棟でがん患者さんと対話しています。一見昏睡状態の方でも、「ちゃんと聞こえてますでしょ?どこかで合図して下さい」と静かに話しかけると結構どこかで合図してくれます。まばたきだったり、ほっぺ、眉の動きだったり。そこに意志を感じる事ができます。ご家族が立ち会っているときに、話しかけ患者さんの合図を一緒に目撃するととてもよい時間になります。高度な家族ケアとなるでしょう。でも僕は純粋にその方と対話したいと思ってます。

救急外来でも手術後の麻酔から覚醒する患者さんにも、医師はこう話しかけます。いや話しかけると言うよりも大きな声で、強く相手の意識にノックします。「○○さん!聞こえたら手を握って下さい!ね!○○さん!」こういうノックには決して静かに眠る昏睡の患者さんは決して答えはありません。何故ならこれは対話ではなく(私はあなたの意識状態を確認しているのです。これは対話ではない。あなたはただYesかNoかだけを教えてくれればよい)ということが伝わるからでしょう。もし昏睡状態の方と話したければ、昏睡状態の方から発する弱い信号を受け取る。そんな振る舞いが新たな体験を産むかもしれません。元々患者さんの思いや声というのは弱い、小さな信号です。それにどう耳を傾けるのかが、医師に求められるコミュニケーションの基本でしょう。

昏睡状態の人との対話ですが、僕の経験と実感からは、「耳、聴覚で声や言葉をキャッチしている」という単純な事象ではないようです。もっと深いコミュニケーションだと思います。言語・非言語コミュニケーションを超えた。彼らは音声と言葉を聞いているわけではないと思います。

今診察している2人の患者さんは半昏睡ですが、いつも右手を伸ばし顔を触ります。顔や髪の毛、頭を触ります。それはまるで触角で対話する気分です。(声の主は誰かな?)という確認が終わったら患者さんからの対話があります。その声は僕には(大丈夫だ。安心しろ)と言っているように聞こえます。患者さんが医師である僕に「安心しろ」というメッセージが届くのがとっても素敵です。彼らにとっては、僕も頼りになる身近な若い人に過ぎないのです。そしてその若い人に向かって「安心しろ」と返事が返ってくるのです。でもそれはもはや音声ではない。まるで波動のようなものです。

こう書くと「え!波動?もうオカルトだな」と思う人もいるでしょう。でも空気を伝わる音も波動。質量のない波動です。電波からラジオに届く波動を音声に変換し、その音声はまた新たな波動となりあなたの鼓膜に届きます。あなたはその波動を言葉に変換して理解しているのです。でもきっと言葉以外の波動も受け取っているはずです。人間は視覚と聴覚に支配されすぎました。多くの感覚はあなたに既に備わっているのです。

| | コメント (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »