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2011年3月15日 (火)

東日本大震災と僕の幼なじみの思い出

僕には、幼なじみがほとんどいません。

そんな僕にも幼稚園の時に一緒のクラスで以降も親どうしの付き合いも続き家族ぐるみのお付き合いがありました。彼は、10代で骨肉腫となり懸命に治療を続けていましたが、肺に転移し僕らが高校の時に亡くなってしまいました。偶然にも僕は彼の亡くなった大学病院に、医学生として進学しました。

幼稚園以降、小学校や中学校の頃は数えるほどしか会う機会もなく、中学の時に家へ家族で遊びに行ったときには切断した足をうまくかばいながら部屋の中を以前と同じ明るさで過ごしていました。そのまま疎遠でどうしても高校の時、最後の入院の時にも部屋へ行くことが出来ませんでした。どう言葉をかけてよいのかもわからず。彼も僕を呼ぶことはありませんでした。

最後の入院の間、彼がどういう過ごし方をしていたかを親から聞きました。
毎日、数学の問題集を開き勉強していると聞きました。自分が退院できないと感じながらも、それまでにない猛烈な勢いで勉強を始めたと。

長い間どうして彼がそんな風に勉強をしていたのか分かりませんでした。自分の死を前にしてどうして?って。

今僕の現実の世界では、遠く東日本で震災が起こり、原子力発電所は報道、人々の願いも虚しく信じられない状況へと進行していることを予感します。この大惨事と異常事態を前にしても、やはり毎日の日常を送るしかない、むしろ自分の足元が崩れないように毎日の日常を無理矢理にでも送る。

病院で仕事をして、いつものように勉強し、本を読み、家に帰れば食事をして皿を洗い、そして子供達は勉強し、一緒に宿題をする。今幼なじみの彼がどんな思いで数学の問題集をながめていたのかほんの少しだけ分かる気がします。

人は、信じられないほど恐ろしい未来が待っていても、今という目の前に広がる現実を足元をふみしめるように過ごすしかない。いつもと同じ今日を作り出すしかないんですね。

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