昨夜は、仲の良い仲間で会食しました。話題は原発問題からプロレスまでと多岐にわたりました。
原発問題を考えたときに、とある方から「認知的不協和」の話しから色々と語り合いました。
社会心理学用語の、認知的不協和については僕も明るくないので、まとめてかみ砕いて語り合いました。
レオンフェスティンガーの認知的不協和(cognitive dissonance)は、簡単には「自分の考えを変えるか」「相手の考えを変えるか」「全く別のことを考えるか」の3つに不協和な状態を緩和する方法が分類されるという話しです。
放射線と人体への影響の不協和なら、
放射線は怖いけど、正しい知識を勉強して偏見をなくそう!(自分の考えを変える)、放射線は怖い。そもそも原発と政府と東電が全て悪い(相手の考えを変える)、放射線は怖いけど、タバコの方がずっと体に悪い(全く別のことを考える)
震災と自粛の不協和なら、
震災後も自粛しないのは経済活動を活発にする(自分の考えを変える)、震災後に自粛しないは不謹慎だ(相手を変える)、震災後に自粛しないのは芸術とは人の気持ちを励ますものだから(別のことに変える)
根本的な原発問題なら
原発は怖い。でも今の暮らしを続けるには必要だ。(自分)原発は怖い。だから全てなくなるべきだ。(相手)原発は怖い。なら暮らし方を変えよう。(新しい)
自分と問題と向き合う上で多くの人達の考えの不協和を整理する方法の一つですね。理論、主義とは問題に対する構えのようなもの。認知的不協和(cognitive dissonance) とかいろんな考え方に触れたとき一種の爽快感を得ますが注意しなくてはなりません。なぜなら言葉の檻の中に世界を閉じ込めることはできないから。科学もそうです。物事を語るとき言葉を使う以上、すでにあなたの考えが檻の中です。
言葉の檻とは、「この世は白と黒だけである」という白黒理論を提唱したとしましょう。自分から観察される身の回り、世の中の事象全てを白と黒とに自らの脳の中で分類し、納得が得られます。「ああ、確かに世の中は白と黒しかない」
この時に2つの落とし穴があります。
当然人間の視覚からは白と黒の色が観察されています。二つの波長の間には無限の色彩が含まれているのです。赤、青、黄色。うすいピンク。また色彩に意味を持つものもあります。心を洗われる青色。目を見張る赤色。
白と黒という檻の中に入れば色彩が見えなくなり物事のほとんどはわからなくなります。檻の外側から眺めるあなたには多くの色彩が見え、檻の中の人がこっけいに思えてきます。
もう一つは、あなたが白と黒に分類したとき、他の人はまたちがう分類をすると言うことです。別の観点から分類すればあなたの分類とは異なるでしょう。
このようにわかりやすい理論は、危険をはらみます。頭の良い人はこの危険に気づきながらも、あたなに分かりやすい理論を差し出しあなたの思考を停止させます。理論には人をひきつける力を持つと同時にあなたをたやすく洗脳することができるのです。
頭の良い、力のあるカリスマはいつもその分かりやすく共感可能な世界観と理論であなたを魅了し、あなたの迷いを白と黒に分類します。カリスマに洗脳されたあなたが、また公平を取り戻し、白と黒以外の色彩に気がつくには、さらに力の強いカリスマの登場が必要となります。洗脳の連鎖とは恐ろしい。いつも自分がどのような構えで世の中を眺めるのかがこの情報にあふれる現在には必要な素養なのです。