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2011年2月25日 (金)

「なあ、隣の部屋のおっちゃん、死んだんやろ?」 あるホスピスでの一日

(内容は全てフィクションです。名前は仮名です)

毎日ホスピスで起こっていること。美談は多く人々の目に触れますが日常の人達の様子はなかなか語られません。最近心に残ったことを書き綴ってみます。内容は空想ですから。

「なあ、隣の部屋のおっちゃん、死んだんやろ?」いつもにこにこと笑っている、とみさんがある朝僕に言いました。僕は何て答えて良いかわからずしばらくその手を握って黙っていました。

とみさんは胃がん。前の病院では何度か血を吐いてそのたびに怖い思いをしたことを何度も僕に話してくれた。血を吐いた後、すぐにされた胃カメラの画面を見せられ、その時自分の体に気持ちの悪い塊があることを思い知らされたと。わざわざ見せなくてもいいのに、あの日から何だか怖くなっちゃった。お願いだから先生は私に怖いことを教えないでねとホスピスに来て2日目に言われました。
怖がりのとみさんは、僕が病院を休むと「昨日は先生に会えなくて淋しかったわ」と言っては、僕と話す時間を楽しみにしてくれていました。ホスピスに来て痛みと吐き気が薬でうまく感じなくなると、笑顔を取り戻し姉妹に囲まれて穏やかに毎日を過ごしていました。ホスピスでの生活にも慣れて、体の力も回復し病棟の食堂の脇にあるマッサージチェアに座り、他の患者さんとコーヒーを飲む姿も見かけました。
コーヒーを一緒に飲むのは、肺がんのつねさん。つねさんは、人なつっこい笑顔で話し好き。つねさんは毎日診察が終わると必ず手を差し出します。「なあ、先生。オレまだ大丈夫だよな」その手を握りかえし「大丈夫!今日も大丈夫!」と僕が言いお互い手にぎゅうっと力を入れて毎日生きている力を伝え合うのが日課です。

ホスピスでは、自分の力で生活が送れなくなった患者さん達がたくさん入院します。とみさんも、つねさんも他の人が見れば家で過ごすことができるじゃないかと思うかもしれません。でも二人とも病気が怖くて怖くて仕方がないんです。誰かに「大丈夫ですよ」と毎日言ってもらえることが生きる力になる。それがない毎日は不安に怯えて、膝を抱えたまま息を殺して、この先に起こる恐ろしいことを妄想してしまい、妄想を自分の力で止めることができずに過ごすつらい日々です。たった一言「大丈夫です」と言うだけでその日を笑って過ごせます。やっぱり自分だけの力では生活できないんです。とみさんに、血液検査の結果を見せてまだ大丈夫だからと言っても、つねさんにレントゲン写真を見せて変わってないと説明してもやっぱり二人とも生きづらいんです。特に一人暮らしのとみさんは、自分の食事を作るのも吐き気のためにイヤになっていました。

ある日から、とみさんは病気の勢いが増してきました。そしてベッドで寝ている日が増えてきました。「先生、今度の土曜日妹の家に行きたいの。行けるかな。」「妹さんの家では何か楽しみなことがあるの?」と聞くと、「みんなが集まってくれるんだって。」でも、その顔の表情、目の力、そして体を見ていると6日先の土曜日に病院から外へ出るのはきっと難しいと心の中では思った。それでも、「きっと行けますよ。いや行けるように今から力を蓄えておきましょうよ。」と話しました。でもとみさんも言葉にはしないけど分かっているんです。きっと無理だって。それでも僕は、「大丈夫、きっと行けるよ」と手を握って毎日言い続けました。
とみさんのお姉さんと妹さんには言いました。多分、妹さんの家には行けないと思う。だから、土曜日はみんな病室に来てくれませんかと。お姉さんも妹さんも分かっていました。もう残された時間は短いと。僕は聞きました。「あととみさんは、どのくらいみんなと一緒にいられると思いますか。」お姉さんは泣き出しました。お姉さんも実は乳がんで今も抗がん剤の治療を別の病院で受けている最中です。この話はお姉さんにはつらいだろうなと思い話しかけました。「この話、つらかったら妹さんだけに話しましょうか」お姉さんは、「そうします」と涙を浮かべながらとみさんの部屋に戻っていきました。妹さんはとても緊張した表情でしたが、考えていることを話してくれました。「もう私も長くないと思っているんです。家ではあと1週間ぐらいじゃないかって。母親の時もそうだったんです。ああいう風にベッドで寝たまま過ごすようになったらもう1週間ぐらいだったんです。」僕は黙ってうなづき、「僕も同じように考えています」とだけ答えました。

ある朝、「なあ、隣の部屋のおっちゃん、死んだんやろ?」いつもにこにこと笑っている、とみさんが僕に言いました。隣に座っているお姉さんと妹さんの表情がさっと曇り、そして戸惑っています。みんなの視線を感じながらも、僕は何て答えて良いかわからずしばらくその手を握って黙っていました。とみさんは続けます。「隣のおっちゃんは、家族で温泉に行きたいって言っていた。でも無理だった。私にももうすぐ同じ事が起こるんだ。」隣の部屋で亡くなったときのご家族の声が漏れ聞こえてしまったようでした。僕は変な言葉で隠しても仕方がないと腹をくくって、勇気を振りしぼり沈黙を破りました。「そう、隣の方は今朝亡くなったんです。でも隣の人は最後の最後まで家族と一緒に温泉へ行くって信じて願っていました。願いってかなうかどうかよりも、行けるって信じることが力になるんじゃないかなあ」とみさんは、「わたし怖い怖い。わたしにもすぐ順番が回ってくる。この部屋にも女の人が見えるのよ、ちょっと前から部屋にいて。わたしの所にいるの。迎えに来ているのよ」と怯えている。僕はどう話していいか分からなくなってしまいました。どんな言葉でとみさんの心を鎮めたらよいのか。黙ったまま心に浮かぶ言葉を待ちました。「隣の方は決して苦しみませんでしたよ。普通毎日こうしてちゃんと手当てしていれば苦しむ人達の方が少ないんです。それでも、もし苦しんだらすぐに見つけて手当てします」

そんな言葉でもとみさんの表情は暗いままでした。それでも、僕やお姉さん妹さんを安心させようと、涙を浮かべながら必死に笑っていました。その顔を見て僕はただ握っている手に力を入れて、「さあ、今日も一日よろしくお願いしますね」といつものように言葉をかけました。
病状はいつも患者さんが先に知っています。自分の体から伝わるシグナルを患者さんが分からないはずがありません。自分がどうなっているのか一番最初に知るのは患者さんです。僕も含めて周りの人達は後から知るのです。「何かワルイコトが起きている」体は正直に伝えてきます。そのワルイコトに検査で理由付けしているのは周りの人達です。お姉さんや妹さんはとても怒っていました。隣の部屋の声で大事な家族が心を痛めていること。やり場のない怒りは僕も受け止める必要があると思い、「気の毒な思いをさせてしまったこと、申し訳ありませんでした」と頭を下げました。

その日が終わり帰宅してからも病院を出るときのイヤな予感は消えません。そして深夜に予感していたとおり電話が鳴る。「とみさんが、吐血してショック状態です」深夜に電話がかかってくることは滅多にない。電話を受けたときすぐにどういう処置を指示すれば良いのか思いつかず「すぐにかけ直すから」とだけ看護師に伝えて電話を切りました。どんな処置ができるんだろう考えました。自分の体は疲れていて早く眠ってくれって言っています。でも、朝怯えていたとみさんの顔が心に浮かぶ。自分の迷いを振り切って電話をかけ、「とにかく一度病院へ行くので、それまでは点滴して」そう伝え車で30分病院に着きました。
とみさんはもう亡くなるとはっきり顔を見て分かりました。次々にお姉さん、妹さんそしてその家族と親戚が大勢で集まり大きな声でとみさんの名前を呼び続ける。前の日に亡くなった隣のおっちゃんの家族と同じように。とみさんはがんのある胃の辺りが痛いとはっきり話している。鎮痛剤と少しの鎮静剤を注射ししばらくすると顔の緊張がなくなり眠り始めた。僕は家族をみんな集めて話した。「今日が最後の夜になると思います」そしてとみさんと今日まで過ごした日々の事を話し家族みんなで一緒にふり返りました。つらい日ばかりではなくて、ほっとできる日、喜んだ日だってありました。話が終わると家族は病室へ戻る。病室は家族でいっぱいになり、そして声があふれる。「とみちゃん!とみちゃん!」「ダメまだ逝っちゃダメ」家族がとても動揺しているので僕は声をかける。「大きな声を出さなくても、目を開けていなくてもちゃんと本人は分かっていますよ」と。もう返事をしてくれないかもしれないと思いながら話しかけてみる。「ねえ、とみさん、僕の声ちゃんと聞こえてますよね?もう痛くないですよね?」力はないけど確かにうなづいてくれる。家族から喜ぶような声。「ああ」「前に最後はちゃんと苦しくないようにするって約束したから、手当てしまうからね」と話すとまたうなづいてくれる。

とみさんは、次の日の夕方息を引き取った。穏やかな最期でした。お姉さんと妹さんの顔も穏やかでした。きっととみさんは、みんなの気持ちが鎮まるのを待っていてくれたに違いない、そう確信しました。僕が最後の診察をしたときに、「ちゃんと、みんなの気持ちが落ち着くまで待っていてくれましたね。ちゃんと、みんなの気持ちが分かっていたんですよ」と話す。その事を伝えるのが、とみさんから僕へのメッセージのような気がしました。
しばらくしてから、看護師さん達がとみさんの顔を綺麗に化粧をして、服を着せる。亡くなる前よりもずっと穏やかな顔になりました。そうなんです。亡くなった直後、診察するときはいつもどなたも生きていたときの疲れが浮かぶ。それでも必ず時間が経つと穏やかな、まるで微笑んでいるかのような顔になるんです。そんなとき、僕が決めた死の時間より後も必ず人は死んでない。周りの人達のためにちゃんと表情を変えるんだって確信しています。

とみさんは、次の日の朝まで病院にとどまりました。そして、帰る日の朝、つねさんの部屋に診察へ行くとすでに知っていました。「なあ、先生とみさん死んだんだろ。なあそうだろ先生」いつものように手を握りながら。またとみさんの時と同じように言葉を失いました。どう話したらいいか。それでも昨日と同じように勇気を振り絞り話した。「そうだよ。昨日の夜亡くなった。全く苦しまなかったよ。」「なあ、先生。オレ挨拶したい」また頭の中で迷って迷って。つねさんにとみさんの死んだ姿を見せてかえって苦しまないか。人としての義理を果たしたいというつねさんの気持ちも受け止めたい。怖がりのつねさんは大丈夫か。しばらく考えてから手をつないだまま立ち上がり、つねさんと手をつないだまま、とみさんの部屋に行きました。突然の訪問者に驚いた様子のお姉さんと妹さん。「病院でいつも仲良くしていた方です。最後の挨拶に一緒に来ました」とまず僕からとみさんのお姉さんと妹さんに話す。つねさんは「いつもさ、コーヒーを一緒に飲んでさ。あんなに元気だったのになあ・・・」と言葉を失い涙ぐむ。とみさんのお姉さんと妹さんは「今までよくして下さって、ありがとうございました」と頭を下げるとつねさんも深々と頭を下げる。僕はずっとつねさんと手をつないだままその場に一緒にいました。「さあ、部屋に戻ろうか」とつねさんに声をかけ部屋に戻る。「使いにくい体で一生懸命がんばってきたんだ。きっと今の方が楽になってるよ」と廊下を歩きながらつねさんがつぶやく。しばらくして、とみさんはストレッチャーに移してそして病院を出た。病棟のエレベーターにはつねさんが立っていて看護師さん達と一緒に並んでパジャマ姿で頭を深々と下げていました。

長い長い一日が終わりました。あの日から随分たった僕の手には二人の手の感触が今でも確かに残っている。また僕のこの手は誰かに気持ちを伝えるために明日を待っています。

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