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2011年2月 3日 (木)

針の穴から天を覗く エジプトを思い

「針の穴から天を覗く」という格言は、自分の狭い見識で、大きな事柄を推測するなと、見識の狭さを揶揄する意味です。しかし、ネットで人間同士がシナプスのように無限に自発的につながっていくと、それぞれの個人的な営みが世界に通じていると信じることができるようになった。僕の小さな声でも、こうしてどこかにつながっているんだろうと確信できます。

自分は世界の形成する一部。自分はちっぽけな「針の穴から覗いている」存在ですが、それでも天を見ようと覗いています。自分の毎日の活動を通じて自分の言葉を持ち、そして天を覗けばそこには自分の世界と相似な世界が拡がっています。エジプトもこの僕の座っている病院の片隅もつながっています。

つながりとはインターネットの回線がつながっているという物理的な事ではありません。僕の住む世界も、僕の心にある世界も、遠く離れたエジプトの世界も必ず何か作用し合うのです。バタフライ効果、風が吹けば桶屋が儲かる。最近作用し合う確信も心にあります。

自分の体は1つ、目は2つ。すぐ目の前に「針の穴」から見える小さな視野から何かを感じ取ることができなければ、茂木さん(@kenichiromogi)の話す、トイレに入りたいともじもじしている、5歳の鍵穴から覗く男の子のまなざしの意味に気がつけなければ、もはや「天(=世界)」を語ることはできないと思います。

まず自分を待ってくれている人、自分がしなくてはならないことをちゃんとする。そして、足場ができた感触を得たとき、市民となり初めて社会のうねりを語ることができるのですね。
他人の借り物の言葉、ストックフレーズの放出は意見ではありません。評論家ぶって社会の事柄を語り出したとき、「ボクの話も聞いてよ!」という無邪気でどこか幼稚な念が伝わってくる。もしくは「ボクの話」を聞いてもらえない過去の経験からの、ルサンチマンの解消に過ぎないと思います。

「とんちがきいていない」からでもなく「人をうなずかせる言説」ではないからでもなく、自分の世界を粗末にして、大きな意見を言う人達の意見には中味がないからだと感じます。

だから僕も、ちゃんと、病室を回って皆さんに、「May I help you?」の態度でこれからも毎日笑顔を振りまいてきます。この「針の穴」のメタファーである聴診器と自分の五感を駆使して今日も仕事します。そして家に帰れば父親として、夫として自分だけの自分をちゃんと引き受けて生きていきます。


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