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2011年2月23日 (水)

「愛されたい」「認められたい」愛について考える

自分が愛されたい、認められたい、承認されたいという欲望にいつも振り回されます。これは自分だけなのか。自分が未熟だからなのか。
毎日子供達に触れあっているといつも考えることがあります。自分の子供達は、僕にいつも人の欲望と愛情について大事な事を伝えてくれます。子供達にあふれている愛されたいという欲望はとても純粋です。親に認められたい、愛されたいと何の迷いもなく僕を見つめてくる子供達のまなざしには、見返りとか報酬とか全く感じない。「パパ、パパ、これ見て見て!」って純粋な欲望。 子供達が僕に気がつかせてくれることは、「愛されたい」という欲望を絶対押し殺さないこと。
子供達の果てない欲望を否定することなく、「愛されたい」という気持ちに喜んで応える。この気持ちは子供達の求める愛情に応える親としての「無償の愛」という簡単な言葉では、自分自身が感じている子供達への愛情は表現できそうにありません。またどこか違和感を感じます。
無償の愛という絶対正義のような言葉にどうして心がひっかかってしまうんだろう。もっと考えて子供達の求める愛情の欲望に、応えているうちに自分も気がつきました。自分自身の「愛されたい」という気持ちをもっと深く自分が理解しないと、自分の「愛されたい」欲望をもっと理解しないと自分は愛情を受け止めることができないって。そして自分自身の「愛されたい」という欲望なくして愛に満ちた仕事や生活、活動の全ては成り立たないなあとつくづく気がつきます。そして僕自身の愛されたい欲望は子供達と同じように無限。「パパ、パパ、これ見て見て!」っていう子供に、「なあ・・・昨日も見たよそれ」なんて言えない。毎回同じように「おお、すごいなあ」って言える自分でいたい。大人になったからって、分別ができたからって、愛されたい欲望に満足することはないですね。いつも目にする大人達のツイッターやブログ、会議室、仕事で出会う人たち。みんな「愛されたい!」「認められたい!」っていう声が大きかったり小さかったり。

どこからか聞こえる崇高な天の声を、自分自身の声として文字、言葉に転写する営みも大切ですが、そんな無垢な言葉はなかなか存在しない。無垢な言葉は時に空虚で、目にした人の心をさっと通り過ぎる。でもそんな言葉をいつも探していたい。それでも、「愛されたい」「認められたい」という自分の手垢のべったりついた言葉も並べて、ちっぽけな人間である自分の欲望にも素直でありたい。
本当に愛されるにはどうしたら良いんだろう。愛され方を考えるとどこかからか自分に反省を促す声が聞こえてくる。見返りを求める愛は結局ニセモノだって。それでも、「純粋な愛、見返りを求めない愛」の主張の裏には、自分の愛されたい欲望をどうにかして放棄し、その欲望を消滅させたい、その欲望から解放され自由になりたいというまた別の欲望を生み出しているのではないのかと思います。「僕はあなたのことを心から愛します。でも僕のことはどう思ってくれても結構です」「見返りなんて要らないんです。僕はあなたを愛し続けます。何も求めていません」こういう言葉の心には、こんな聞こえない声が聞こえてくるようです。あなたを愛していてもあなたから愛されることを期待しない自分でいられるように欲望を押し殺します。だって、愛を求めてかえってこないとき私は傷ついてしまうから。だから、他人の愛情なんて求めなくても生きていけるようなそんな私に「なりたい」。

だから僕は、見返りを求める愛情の営みに嫌悪感を感じるよりも、「愛されたい」「認められたい」という欲望をもっと無邪気に発揮して、そして無垢な言葉と無垢な心に憧れながら、笑って過ごした方がいいって思います。「なあ、愛してくれよ、こんなオレを」と相手に愛情を強要するんじゃなくて、無邪気に自分の子供達のように「見て!見て!」って。子供達の無垢な欲望に憧れている自分に気がつきます。そして毎日のように出会い、目にする「愛されたい」「認められたい」人に出会ったら、その人達を愛し、認めることができるかだけを考える。「あいつ言っていることおかしいよ」その言説を吟味し過ぎない。

そんな愛し方、認め方を僕は子供達に教えられ探し続けています。だって、自分が愛されて認められたいから。他人に愛を強要したり、認めさせようと力ずくで主張したり、相手の関心をひくための言葉を並べるのではなくて。僕の子供達のように純粋な愛と承認の求め方を。そして、子供達が強要や力ずくで愛情を求めないよう、僕は彼らを愛して認めるようにしよう。

今まで愛した人、今愛している人、これから愛する人

今まで愛してくれた人、今も愛してくれる人、これから愛してくれる人。

どうか僕の愛が傲慢なものにならないよう見守って下さいね。

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