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2011年1月17日 (月)

イライラを鎮めるために

今日は、16年目の神戸大震災の日です。
僕はまだ大学生でした。当時オウム真理教の不可思議な動向と共に、阪神大震災の報道に驚きました。大学生協には「神戸でボランティア活動をしたい人、今はむやみに神戸に行かないで!」のような張り紙を見かけました。正義感の強い医学生でしたが、あの時には自分は身体をつかった働きは何もできず、ただただ異常な状況がはやくおさまるように祈るばかりでした。

病棟では患者さんと「イライラ」についての話しをしました。

なぜイライラするとつい家族にあたってしまうんでしょうねって。話している間に気がついたことは、イライラしている人は本当に怒るために何か怒るための材料を探します。そして爆発する。街で歩いている怖そうなお兄ちゃんにぶつかったら思いっきり怒られると思います。そのお兄ちゃんは怒る理由にアンテナを張り巡らし何とか自分が怒るきっかけを探しています。(と思っています)
怒った後、しばらくは(普通は)自己嫌悪しそして心が鎮まります。心を鎮めるためにイライラを怒りにするのではないかって。そうなると上手にその方を怒らせてくれるご主人に感謝しなきゃねっていう話しになりました。
僕はホスピスで末期がんの方といつも語らっています。彼らにとって「イライラ」は必ず鎮めなくてはならない心の自然な動き。イライラの怒りで相手を傷つけてはいけませんが、イライラを受け止める側は、上手に怒らせて彼らを救ってあげられるとよいですね。

自分もイライラしてついつい子供や妻にあたってしまうことがたまにあります。そんなときは子供達に気が鎮まってから謝ってます。さっきはごめんなって。そして子供達の寝顔を見て、今日からは「上手に怒らせてくれてありがとう」と手を合わせましょう!

イライラというのは、喜怒哀楽の怒りの前ぶれ。怒らない人はいない。怒りたくない時もあります。でも怒らない人間はおかしい。どうせ怒らないと生きていけないのなら、気持ちのよいイライラ、感謝のあるイライラ、あとくされのない怒りにしたいものですね。

そしていつも思うのですが、毎日の患者さんとの語らいは、全て結局は自分へのメッセージにかわるんです。セラピストである自分が患者さんの鏡でありながら、その鏡にはいつも自分と患者さんの二人が映っています。自分と患者さんの関係はこんなとき本当に同じ目線だと感じます。

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