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2011年1月 4日 (火)

「緩和ケア」ということば

私は、毎週外来を担当しています。ここでは、これから緩和ケア病棟に入院したいという患者や家族のための相談に対応します。その時、「緩和ケアと聞いたときにどんな風に思いましたか」といつも尋ねるようにしています。多くの方は、「病院から見放された気がした」「もう治療がないと思った」「もう死ぬのだと思った」とその気持ち時の気持ちを話します。緩和ケア病棟で仕事を始めた頃は患者や家族の言葉通り、こんな風に言われたらきっと落ち込むのは当たり前だろうと紹介元の医療者に対して怒りを感じることもありました。しかし、最近はきっと実際には患者や家族の語りと、紹介元の医療者の話している実際の言葉、説明は違うだろうと思うようになってきました。
この数年の緩和ケアに関する啓発、教育活動の成果は医療者や市民に確かな成果をあげていると実感します。しかし、これは「緩和ケア」が市民の間に日本語として登録されたに過ぎず、その本来の意味はまだ社会的に規定されたとは言い難いと思っています。それは自分自身にも当てはります。「緩和ケア」とは何ですかと問われたときに、自分自身の定義が社会的に普遍であるか、まだ自信がもてないのです。それは、緩和ケアの活動そのものがまだ現時点で確定していないからだと思います。英語では緩和ケアは定義されていますが、なぜ日本語として、活動が理解できないのかと考えたときに二つの言葉が壁になっていることに気がつきました。
その一つは「ケア」です。ケアというのは日本語として市民がどのような行為、状況であるととらえるのか。これがまず定まっていないと感じます。もちろん、看護の観点からのケア、医学の観点からのケアの意味は定まっていると主張する方もおありでしょう。辞書を引けばきっとそこには日本語としての言語学的な観点からの中立で無色の言葉が並んでいることでしょう。しかし市民が身体化した言葉として理解できるケアの意味は、傷の手当てや、病気の手当ての「手当て」の事だと現時点では私は思っています。
次に「クオリティ・オブ・ライフ (quality of life)」です。英語を話す患者を担当したことがありますが、その方の家族はその会話の中で 'quality of life' と話していらっしゃいました。つまり身体化した言語として使っていらっしゃいました。クオリティ・オブ・ライフを「生活の質」と訳すことは可能でしょう。しかし「生活の質」が日本語の言語記号として存在することはできても、その言葉の本質的な意味は恐らく現時点では日本語として成立していないと感じるのです。つまり、日本語を使う市民には「生活の質」という言葉の意味が分からない。ですが、緩和ケアを理解する上で「クオリティ・オブ・ライフ」を患者、家族に伝える事はとても重要かつ根本的な事なので、試行錯誤の果てに現時点で私は、「暮らしぶり」とその意味をひとまずは説明するようにしています。
このように、「内科」「外科」という言葉に比べて「緩和ケア」はその内包する本質的な概念も意味も、市民にとってはまだ腑に落ちないと言わざるを得ません。こういう何だか良く分からない言葉に出会ったとき、人はその意味の解釈よりもメタメッセージの記憶が強くなります。メタメッセージとは、あるメッセージがもっている本来の意味をこえて、別の見方・立場からの意味を与えるメッセージのことです。話している言葉(メッセージ)そのものの言語的意味や、話し手の感情や思いといった言外のメッセージという意味ではなく、メッセージが伝えられた状況や文脈そのものがメッセージになるという観点です。医療者が「緩和ケア」という言葉を使った話しの文脈を患者や家族はメタメッセージとして記憶し、そして冒頭のネガティブな言葉に帰着するのです。
「緩和ケア」という言葉を考えたとき、その本質まで市民が理解するにはまだまだ時間がかかると思います。であるからこそ、医療者はケア、クオリティ・オブ・ライフといった言葉の外来語の本質的な意味を日本語で、吟味することが求められています。この吟味がないまま医療者が「緩和ケア」を患者や家族に説明をすれば、その説明の背後に隠れるメタメッセージが患者や家族の誤解を生み続けることでしょう。患者や家族が「緩和ケア」という言葉を知らないから、無知であるから、その本質が伝わらず誤解されるという事だけで語れる問題ではないと今の私は痛感しているのです。

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