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2011年1月

2011年1月27日 (木)

「あなたの残った時間は、・・・」予後を知らせる?知らせない?

ASCOの進行がん患者のケアに関する、最新のポジションペーパーを読んだ。[1](http://bit.ly/dP1xUj)そこには、「患者は、予後と治療の選択肢について知らされるべきである。そして、治療やケアに関する患者の好みと心配事が反映されることが保障されなければならない」とある。

また丁度外来には「妻に残された時間をちゃんと話した方がよいと今の病院の先生も看護師さんも言うんです。でも自分にはどうしても伝えられない。聞かせたくないと思ってしまうんです。私は間違っているんでしょうか。」とお話しになる方に出会った。

「知る」と「知らない」
「知りたい」と「知りたくない』
「知らせるべき」と「知らせないべき」

この二極化した概念そのものがどうもしっくりとこない。

目の前にある葛藤を二極化した概念に操作して、物事の判断をしようとする訓練を日本人も含めて長いこと教育される。リベートもその最たる例。ある物事に対して「賛成」と「反対」に分けて議論する。議論は平行線などよく指摘されるが、そもそも平行線になりつづける宿命なので当然の帰着である。問いが悪いとしか言いようがない。もし「患者さんに残った時間を知らせるべきでしょうか、それとも知らせるべきではないでしょうか」と議論を始めたとき、物事の解決はできそうだが、ますます本質から離れていく。意見の応酬をして、きっとその意見は自分の経験から得た言葉だけでなく、誰かが言いそうな、誰かが言っていたような言葉が延々と並ぶ。

そして最後にまとめ役の人が「よい議論でした。これは個人個人によってちがうと言うことですね」としめて終わる。議論だけならそれでよいが現実の患者さんや家族はどうしたらよいのか。

医学が「こころ」と「からだ」を二極化させることで、失う本質とは人間そのものの本質だろう。そして医学が「治る」と「治らない」を二極化させることで、失う本質とは人間の幸せの本質だろう。
ホリスティックな立場をとる、緩和ケアを含むアプローチは、「治る」と「治らない」の二極化した概念とどうか手を結ばないで欲しい。その概念と手をつなぐと、みんなの理解は得やすく、執筆した本は売れるでしょうが、アプローチの本質が損なってしまう。
「治らない」人達をみて、緩和ケアを目指した。「治らない」人達をみて、代替療法を目指した。「治らない」人達をみて、開業した。こういう風に「治る」と「治らない」の二極化した概念で自分の活動を操舵すると、きっと自分自身の本質が損なう。何故ならそこには対決が生じるから。

結局、予後を知らせる?知らせない?の二極化した概念の枠の中に自分が入ってしまえばそこから出てこられない、終身概念と言葉の檻の中に入れられる。

僕は、ASCOの論文を読み、そしてその直後に悩むご主人にお会いしてこう話しました。
「予後を知らせた方がよいというお医者さんも、予後を知らせない方がよいというあなた(ご主人)も、本当にご本人を思って悩んで悩んで話した事は、きっとご本人にとってよい結果となるはずですよ。」
「知らせる、知らせないことよりも、どうしようか迷い悩んでいる姿は、患者さんはきっと黙って気がついているんです。そして患者さん、あなた(ご主人)、医者、看護師の間の心が触れあいある間合いが生まれたときにきっと物事は動いていくんです。」
「だから知らせるがどうか、まだ一緒に考えていましょうね」

どのように話すか逡巡することだけが、意味のあることではないかと思う。
医師が「知らせるべき」「知らせないべき」の二極化した概念のどちらに足場を置くかと自分に問いかけ続けている以上、いつまでも大事な事はわからない。なぜなら、逡巡すること、患者さんを思い、悩むことを放棄した医師から順番に自分の立場が表明されることを何度も見てきたから。

1)Peppercorn JM, Smith TJ, Helft PR, Debono DJ, Berry SR, Wollins DS, Hayes DM,
Von Roenn JH, Schnipper LE. American Society of Clinical Oncology Statement:
Toward Individualized Care for Patients With Advanced Cancer. J Clin Oncol. 2011

 

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2011年1月24日 (月)

アマチュアオーケストラの演奏会

昨日は参加していたアマチュアオーケストラのコンサートでした。

アマチュアオーケストラのコンサートに出演すると言うことは、僕にとっては「ハレ」の行事です。「ハレ」というのは日本人の民俗学的な見地からずっと議論されていることで、ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表しています。また、ケ(褻)の生活が順調に行かなくなることをケガレ(気枯れ)といいいます。(http://bit.ly/gqnnJM)

そしてアマチュアオーケストラの活動にとっては、「ハレ」をどう実感するかにつきます。それまでの練習に参加することも「ハレ」、演奏会で普段着ない黒服を着るのも「ハレ」、そして一回性の演奏に一喜一憂し本番を終えるのも「ハレ」です。そして「ハレ」を表現するのは「楽しむこと」ではなく「祝すこと」です。元々日本人の祝祭には、天、神に捧げ物をすることですから、その作法があり、作法が生じた時そこには美が生まれます。

「ハレ」の活動である演奏活動には、自分を祝うことしかしません。それは一見カラオケで好きな歌を歌い続けているおっちゃんと変わりません。彼らは自分の歌に陶酔しているのではなく、自分を祝しているのです。そこには批評的音楽観は存在しません。もしも音程、リズムと言った批評的観念を適応したとしてもそれは「ケ(日常)」つまり日常性に彼を引っ張りこむ必要があります。そしてその行為は失敗するでしょう。 なぜなら歌う彼は日常ではありませんから。

アマチュアオーケストラの演奏会で聴衆が期待することとは、音楽的批評ではなく「ハレ」の目撃者となることです。簡単には、「いつも仏頂面で働いているあの人が、ステージでは活き活きしている」ことを目撃することです。決してよい音楽を要求しているのではありません。ましてや、「ケ(日常)」の人たちが射程している音楽的批評に、我が音を差し出すのではありません。

「ハレ」の活動を、「ケ」の気分でのぞんだとき、人はもうその活動を続けていくことはできなくなります。「きちんと弾けるだろうか」「うまく弾けない」「合うだろうか」「外したらどうしようか」といった「ケ」の発想は不向きです。もしも自分自身が練習するのであれば、「ハレ」にふさわしい「美」を持ち合わせるかどうかと言う自分の中だけのこだわりになります。それは他の誰にも関係のないことです。祭りのはっぴをどう着こなすか、はちまきのひねり方をどうするか程度の話しです。

長くなりました。壮大な自己満足をアマチュアオーケストラはさらしているのではないのです。「ハレ」の祝祭に専念する必要があります。なので本番で速くなろうが、打楽器の人たちが祝祭的ムードを盛り上げようが、もう何でもいいんです。

だんじり祭りの前になるとそわそわする人、だんじり祭りになると急に輝き放つ普通のおっちゃん、だんじり祭りが終わると急に魂が抜けてしまう人。そんな「晴れ(ハレ)の舞台」にこそ、アマチュア音楽の神髄があるのだと思いました。

「自分を祝す人はハレの舞台に」「自分を呪う人はケガレの奈落に」
「ハレ」の人も「ケガレ」の人もまた凡庸で堅実な「ケ(日常)」がすぐそこで待っています。

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2011年1月23日 (日)

ヤドリギの話し

とある先生から、お聞きしました。「ヤドリギはがんにとても良いんです」それを聞いて、不思議な気持ちになりました。
かねてより、自然と人間の内面は相似で、だからこそ自然への畏怖が生まれると考えていました。青い空を見れば、自分の心が晴れやかな状態と相似、白い雲は自分の思索であり、曇った空はモノトーンで、自分の心がモノトーンなことと相似。そして移りゆく天候は自分の心の移ろい。同じ天候にとどまることはない。晴れた日も、曇った日も、そして雨の日も長くは続かない。いつかは必ず変わる。人の心も一カ所に留まることなく変わっていく。病気をもち生活する人たちも、同じ体調は続かず、調子の良い日も悪い日も天候のように巡っていきます。

そして、ヤドリギを眺めたとき人は、がんと宿主である人間との縮図を見いだし、その相似性に新たな発見を感じる。

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(Wikipediaの写真を転載しました)
ヤドリギは宿主を死滅させることなく共存する。それがまたがん細胞とはちがった挙動を連想させ、共存することに新たな奇跡を感じとる人たちもたくさんいるでしょう。

自然と人間の内面が相似であるなら、その自然を取りこむことで自分の内面を自然に相似させていこうと発想することは、想像しやすい。つまりヤドリギを体内に取りこめばよいと考える人たちもいるでしょう。そしてヤドリギの神話が生まれます。

人間と自然、そして人間の創造物、人間の発想が自然と相似したとき、他者と共有できることが可能となるのでしょう。自分の創り出すものは、自分が目にしているもの、耳にしているものを記憶し似せるのではなく、既に自然にあるものがメタモルフォーゼされる。そして人間の感動を得る。自分が目にしているものは、他の人も目にしているもの。自分が耳にしているものは、他の人も耳にしているもの。そして自分が感動したものは、他の人も感動したもの。

ヤドリギを自分の体内に取りこむ所業は、自分には奇異に感じた。それは、自然に存在する何かを自分の体内に取り入れるという行為でしょう。これは科学的な効果、つまりヤドリギが、がん細胞に対する効果の真偽を問うているのではありません。例えば、生きる力に満ちあふれた、無垢な存在である赤子と食する部族がいたとして、彼らは新たな生命力を得ることができるでしょうか。月の神秘に感動する人たちが、実際に月の石を細かく砕いて食したとき、彼らは月の神秘を手にすることができるでしょうか。

自分の外部にある、自然の畏怖そして自然の相似を発見し感動したとき、すでにその感動は自分に備わっているもの。新たに自分の体内に取り入れる必要はないはずです。そして自分と世界を隔てる境界の内も外も実は自分の外部であるというおかしな感覚に戸惑うのです。自分が所有していると確信している自分自身の内面、自我すらも自然から帰納して認識しないと発見できないことがあります、そして僕もこうして「ヤドリギの話し」を書くことで初めて気がつく自我の存在を見つけるわけです。つまり自我すらも自分の外部だという現実におののく。

補完、代替療法の多くは特定の物質を介在して、その真価を発揮することが多い。しかしその自然界由来の物質を人間が取り入れることは、自分自身の内面を再発見するという効果以外に僕には思えません。この再発見は、物質の直接的な効果ではないと思えるからです。

緩和ケアはホリスティックな面が強く、あらゆる発想、あらゆる療法、あらゆる行為に好奇心を持つ。そして排他的ではない。(と思っています)なのに緩和ケア病棟で働いている自分が「なぜ特定の補完、代替療法をすすめないのか」の理由がヤドリギの話しから教えられました。それは単に科学的に検証できないと言った単純な理由ではないようです。外部から取り入れなくても、もともと自分の内面にある力を呼び起こすこと。そんな方法が自分が信用できる治療だということです。

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2011年1月22日 (土)

「からだでわかる」と「あたまでわかる」、医師と患者の超えられない言葉の壁

人間の「わかった」(理解)には、「からだでわかった」と「あたまでわかった」の2つがあると思う。「からだでわかった」言葉は異文化の人たちとも共有が可能である。でも「あたまでわかる」ことを、わかりやすく解説してもなかなか異文化、異業種、異専門分野の人たちには伝わらない。これはどうしてだろうか。

「からだでわかった」ことは理論よりも、個人的な体験から帰納されている。「おいしい」と言うことに個人の好みの差はあっても、「おいしい」という感覚はそれぞれの体験から共有される。お年寄りの知恵と英知が通用するのも個人的な体験、からだでわかった言葉、身体化した言葉だから。

人間の一生は短く、「からだでわかった」体験の量も一人の人間では少ない。それでも人間の知りたいという好奇心は「からだでわかる」以上の疑問、「からだでわからない」形而上的な疑問と果てがない。すると「あたまでわかる」言語と理路が登場する。しかしこれを他者と共有するのが難しい。

「からだでわからない」けど「あたまでわかった」こと。それは幻想なのか。人間が創り出した非自然のもので、概念に過ぎず正体は無なのか。阪大でのシンポジウムの帰り道にそんなことを考えていました。

例えば、医師がレントゲンをして「あなたには病気がある」と症状のない患者に話したとき。彼が自身の異変を「からだでわかる」ことができず「あたまでわかる」だけのとき。彼の恐怖と違和感を想像する。自分の身体が「からだでわかる」ことができないとき、自分自身すら自分の外部に移動する。だから、医師という経験から感じるのですが、自分=内部、世界=外部ということではなく、自分も世界も外部なんだとつくづく感じます。自分のことは自分が一番分からない。そうすると、この考えている自分という意識は内部なのか。少なくとも他者と同じくらい自己を外部と脳は認識しているのではないか。

医師と患者のコミュニケーションが取りざたして、「専門用語を使わず平易な言葉で」、「患者の気持ちに共感して」、「患者の理解度を確認して」、「患者の嗜好、意向をふまえて」とビジネス界から輸入した解説がよくされる。しかし、この患者が体験する「からだでわからない」ことを、どう「からだでわかる」かまでの道筋に思いを巡らすことがなければ本質的な問題は全て無視される。これは単なる言語の問題や、マナーの問題ではない。「からだでわからない」ことを理解するための言葉をまだ誰も知らないのかもしれない。

そして、患者が「からだでわかる」事とは何か。それは医師の感情だけではないか。「ああ、先生がそんなに一生懸命話しているのならその通りなのかもしれませんな」そんな風に説明の内容ではなく、人の情を「からだでわかる」のかもしれない。ここに、初めて「からだでわからない」ことを「からだでわかる」言語の壁を越える夢を見ることができる。

 



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2011年1月20日 (木)

バイオリニストの聴覚、時間のゆがみ

最近バイオリンの音をプレーヤーはどう感じているのかよく考える。聴覚には骨から伝わる骨導音と、空気、鼓膜を介して伝わる気導音がある。バイオリンは鎖骨と下顎骨で支える不思議な身体運用をする楽器。鎖骨を利用した道具は珍しい。とにかく骨、耳両方から脳の小さな蝸牛に届く。ベートーベンが聴力を失って棒をくわえてピアノを弾いたとか、難聴の人の電話機もこの骨導音を利用する。僕も鼻づまり、副鼻腔炎がおきると頭蓋骨の空洞がふさがれるため骨導音が変化する。つまりバイオリンの音が脳内で変わってしまう。
バイオリンのプレーヤーはこの耳の情報と骨の情報2つを同時に感じているはず。耳からピアノを聴き、骨から自らのバイオリンの音を感じる。なので自分の出している声やバイオリンの音が、自分の印象とちがうことは多い。録音すると如実にわかる。「えー!こんな音だったの?」

「えーオレってこんな声なの?」というのもそう。録音した自分の声に悲しくなった経験をお持ちの方もあるでしょう。バイオリンの職人さんとも、聴いている人の耳に空気をふるわせてバイオリンの音が伝わる。それは自分の頭蓋骨から伝わった音とはちがうでしょうねと雑談。職人さんが「これがいい音だよ」って言われた音が、(えーそうかな・・・)と思ったとき骨と耳の違いに気がついた。だから楽器の善し悪しや、弦の善し悪し、自分の気持ちいい音と、相手が気持ちいい音が違う。そして厄介なことに骨に伝わる音の方が耳に伝わる音よりも速く脳に伝わる。この音の伝導率の違いが時間の遅れ、ため、こぶしにも応用できる。しかし演奏者は、聴衆の時間よりも先をいっている。つまり出している音よりも心に浮かぶ音は既に先へ先へと時間のねじれが起きる。この時間を先取りする身体運用が練習によって磨かれプロたる由縁。

だからいつも良い演奏者は、その身体から音が鳴っているように見える。僕の師匠もお腹から音を出せ、呼吸をしろ、上半身で弾くなと盛んに指導された。ベルトを緩めて腹式呼吸をして。音を耳に伝えながらもお腹から音が出る。そんな身体運用をし時間を先取りしながら骨と耳の音を聴く。
人間の能力とは素晴らしいですね。この一つの身体と楽器が一体となった状態から、様々な科学的に分かっている経路をたどり、楽器と身体が共鳴する。その共鳴にさらに演奏者の蓄積した感情や情熱が加わる。

そんな奇跡を目の当たりにすると、「あの音が長い、ここは急いでいる」という音楽の指導の語りが虚しい。音楽を表現する言葉がもどかしい。よい師匠、よい指導者はこの言葉以外の何かを伝えてくれる。さあ、今日も帰ったら短い時間でも自分の身体を共鳴させてみよう!

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バイオリン職人

いつも東京に出張へ行くと決まってバイオリンを持っていき町田の工房へ持っていく。ここの職人さんがすばらしい。初めて紹介されお会いしたときも「どんな音がいいの?」と一言。どんな音って聴かれると改めてわからなかった。
指使い(運指)弓の使い方と言った演奏の技術は習うことができるが、今までの師匠は楽器の手入れ、弦の張り方、楽器に合う弦の選び方、自分の出したい音の言語的表現を教えてもらえてなかったことに気がつく。
「出したい音ってどんなことですか?」と聞いたら、「自分が気持ちいい音か、5m先の人が気持ちいい音か、30m先の人が気持ちのいい音か」とか全く想像しなかった言葉が並ぶ。そして、「やっぱりアマチュアなので自分が気持ちいいので」と伝えると、じゃあ、この弦がいいなと独り言。
今まで自分で普通に弦を張り替えていたが、「君が弦を変えるといまいちだなあ。」とその職人さんに言われた。確かにその人が張り替えると全くちがう。楽器の弾き方の師匠だけでなく、楽器の手入れ、性能を高める師匠に出会えました。
この弦がいいなと、最近張り替えたのはThomastikのInfeld(Peter)。それまで使っていたEvah Pirazziから張り替えた。肩当ても「これはどう」とか肩当てで音が変わることを説明される。どの弦はどういう性格かインターネットで検索してもわかりにくい。「ぎらぎらした」とかそういう表現程度でどの弦を張ればどんな音がするのか、予測がつかない。また多くの人に聞いても「なんでその弦使っているの」って聴いてもアマチュアだからか、あまり理由はない。
楽器を扱う職人に出会えて、またバイオリンの楽しさは深まりました。また自分の身体は自分の楽器のクセを本能的に記憶していて、出にくい音、トーンの違いを敏感に記憶している。その職人さんはそういう「本当はない方がよいクセ」も見抜き調整してくれる。いつもお世話になっております。

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2011年1月17日 (月)

お別れの演奏

2年間診察していた、患者さんとお別れしました。お別れにバイオリンを弾きました。葉加瀬太郎さんのエトピリカ、情熱大陸を。

彼女は家族の待つ別の街に行き、きっと二度と会えないと思います。さようなら。毎日悩みながら、励ましながら時間を過ごすことができました。家族の元を選ぶあなたに心からの応援を。そして愛と光を!

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(写真の掲載は個人が特定されない事を遵守する前提で、本人からの口頭での同意を得ました)

ホスピス病棟でバイオリンを弾くときにはいくつかの自分の決めごとがあります。以前からボランティアで活動していらっしゃる方々と一緒に演奏する。七夕、クリスマスといったみんなで楽しめる時にする、そしてどうしても弾いて欲しいと頼まれたときには休日にこっそり弾く!そして驚かす!

今までも、リクエストに応えて亡くなった方の枕もとで演奏したり(トロイメライ)マニアックなリクエストに応えたり(ラベルの亡き王女のためのパヴァーヌ)泣く泣く苦しいリクエストに応えたり(六甲おろし!僕はカープファン)楽しいですよね。
とにかくバイオリンは短音でソロで弾くと映えないので、伴奏のピアノの方と一緒に弾くか、伴奏の録音と一緒に弾かないと何だかぽかーんとしちゃいます。これが悩みどころです。

今でもよく思い出すのは、患者さんと一緒に弾いた思い出です。ピアノの彼女と一緒に弾いたかけがえのない時間は今でもよく思い出します。こちらへ。

 

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イライラを鎮めるために

今日は、16年目の神戸大震災の日です。
僕はまだ大学生でした。当時オウム真理教の不可思議な動向と共に、阪神大震災の報道に驚きました。大学生協には「神戸でボランティア活動をしたい人、今はむやみに神戸に行かないで!」のような張り紙を見かけました。正義感の強い医学生でしたが、あの時には自分は身体をつかった働きは何もできず、ただただ異常な状況がはやくおさまるように祈るばかりでした。

病棟では患者さんと「イライラ」についての話しをしました。

なぜイライラするとつい家族にあたってしまうんでしょうねって。話している間に気がついたことは、イライラしている人は本当に怒るために何か怒るための材料を探します。そして爆発する。街で歩いている怖そうなお兄ちゃんにぶつかったら思いっきり怒られると思います。そのお兄ちゃんは怒る理由にアンテナを張り巡らし何とか自分が怒るきっかけを探しています。(と思っています)
怒った後、しばらくは(普通は)自己嫌悪しそして心が鎮まります。心を鎮めるためにイライラを怒りにするのではないかって。そうなると上手にその方を怒らせてくれるご主人に感謝しなきゃねっていう話しになりました。
僕はホスピスで末期がんの方といつも語らっています。彼らにとって「イライラ」は必ず鎮めなくてはならない心の自然な動き。イライラの怒りで相手を傷つけてはいけませんが、イライラを受け止める側は、上手に怒らせて彼らを救ってあげられるとよいですね。

自分もイライラしてついつい子供や妻にあたってしまうことがたまにあります。そんなときは子供達に気が鎮まってから謝ってます。さっきはごめんなって。そして子供達の寝顔を見て、今日からは「上手に怒らせてくれてありがとう」と手を合わせましょう!

イライラというのは、喜怒哀楽の怒りの前ぶれ。怒らない人はいない。怒りたくない時もあります。でも怒らない人間はおかしい。どうせ怒らないと生きていけないのなら、気持ちのよいイライラ、感謝のあるイライラ、あとくされのない怒りにしたいものですね。

そしていつも思うのですが、毎日の患者さんとの語らいは、全て結局は自分へのメッセージにかわるんです。セラピストである自分が患者さんの鏡でありながら、その鏡にはいつも自分と患者さんの二人が映っています。自分と患者さんの関係はこんなとき本当に同じ目線だと感じます。

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2011年1月 4日 (火)

「緩和ケア」ということば

私は、毎週外来を担当しています。ここでは、これから緩和ケア病棟に入院したいという患者や家族のための相談に対応します。その時、「緩和ケアと聞いたときにどんな風に思いましたか」といつも尋ねるようにしています。多くの方は、「病院から見放された気がした」「もう治療がないと思った」「もう死ぬのだと思った」とその気持ち時の気持ちを話します。緩和ケア病棟で仕事を始めた頃は患者や家族の言葉通り、こんな風に言われたらきっと落ち込むのは当たり前だろうと紹介元の医療者に対して怒りを感じることもありました。しかし、最近はきっと実際には患者や家族の語りと、紹介元の医療者の話している実際の言葉、説明は違うだろうと思うようになってきました。
この数年の緩和ケアに関する啓発、教育活動の成果は医療者や市民に確かな成果をあげていると実感します。しかし、これは「緩和ケア」が市民の間に日本語として登録されたに過ぎず、その本来の意味はまだ社会的に規定されたとは言い難いと思っています。それは自分自身にも当てはります。「緩和ケア」とは何ですかと問われたときに、自分自身の定義が社会的に普遍であるか、まだ自信がもてないのです。それは、緩和ケアの活動そのものがまだ現時点で確定していないからだと思います。英語では緩和ケアは定義されていますが、なぜ日本語として、活動が理解できないのかと考えたときに二つの言葉が壁になっていることに気がつきました。
その一つは「ケア」です。ケアというのは日本語として市民がどのような行為、状況であるととらえるのか。これがまず定まっていないと感じます。もちろん、看護の観点からのケア、医学の観点からのケアの意味は定まっていると主張する方もおありでしょう。辞書を引けばきっとそこには日本語としての言語学的な観点からの中立で無色の言葉が並んでいることでしょう。しかし市民が身体化した言葉として理解できるケアの意味は、傷の手当てや、病気の手当ての「手当て」の事だと現時点では私は思っています。
次に「クオリティ・オブ・ライフ (quality of life)」です。英語を話す患者を担当したことがありますが、その方の家族はその会話の中で 'quality of life' と話していらっしゃいました。つまり身体化した言語として使っていらっしゃいました。クオリティ・オブ・ライフを「生活の質」と訳すことは可能でしょう。しかし「生活の質」が日本語の言語記号として存在することはできても、その言葉の本質的な意味は恐らく現時点では日本語として成立していないと感じるのです。つまり、日本語を使う市民には「生活の質」という言葉の意味が分からない。ですが、緩和ケアを理解する上で「クオリティ・オブ・ライフ」を患者、家族に伝える事はとても重要かつ根本的な事なので、試行錯誤の果てに現時点で私は、「暮らしぶり」とその意味をひとまずは説明するようにしています。
このように、「内科」「外科」という言葉に比べて「緩和ケア」はその内包する本質的な概念も意味も、市民にとってはまだ腑に落ちないと言わざるを得ません。こういう何だか良く分からない言葉に出会ったとき、人はその意味の解釈よりもメタメッセージの記憶が強くなります。メタメッセージとは、あるメッセージがもっている本来の意味をこえて、別の見方・立場からの意味を与えるメッセージのことです。話している言葉(メッセージ)そのものの言語的意味や、話し手の感情や思いといった言外のメッセージという意味ではなく、メッセージが伝えられた状況や文脈そのものがメッセージになるという観点です。医療者が「緩和ケア」という言葉を使った話しの文脈を患者や家族はメタメッセージとして記憶し、そして冒頭のネガティブな言葉に帰着するのです。
「緩和ケア」という言葉を考えたとき、その本質まで市民が理解するにはまだまだ時間がかかると思います。であるからこそ、医療者はケア、クオリティ・オブ・ライフといった言葉の外来語の本質的な意味を日本語で、吟味することが求められています。この吟味がないまま医療者が「緩和ケア」を患者や家族に説明をすれば、その説明の背後に隠れるメタメッセージが患者や家族の誤解を生み続けることでしょう。患者や家族が「緩和ケア」という言葉を知らないから、無知であるから、その本質が伝わらず誤解されるという事だけで語れる問題ではないと今の私は痛感しているのです。

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2011年1月 3日 (月)

せん妄や認知症の患者さんとの対話

ホスピス、緩和ケア病棟(以下ホスピス)ではどんな診療が毎日行われていると周りの医療者は考えているのか。ホスピスで毎日を過ごす患者は、ホスピス以外で過ごす患者と何がちがうと周りの医療者は考えているのか。
私もこの8年近くをホスピスで過ごしているといつの間にか、ちがいに気がつかなくなりました。幸いなことに当院では一般病棟で緩和ケアチームとして診療を行うこともあるため、ホスピスで過ごす患者と一般病棟で過ごす患者との違いが何であるのかある程度推測することができます。

まず患者はどこで療養していても起こっている状況にはそれ程変わらない事がよくわかりました。大きな違いは、患者に起こっていることを医療者がどう考えて、そして医療者が考えたことをどう患者や家族に伝えているのかと言うことです。患者に起きていることが変わらないと言うことは、症状や病期によって変化する毎日の様子が変わらないと言うことです。つまりホスピスの患者は特別痛みを予防できたり、せん妄を予防できたり、また自分の足で歩くことができる時間が、ホスピス以外で療養する患者と比べて長いわけではないと言うことです。

そして大きな違いとは、患者の毎日を詳細に診察することで、ほんの小さな変化が今後どのような事になるのか推測し、これからどんなことが起こりうるかを、医療者の間で共有し、すぐに患者や家族と共有することです。日常診療で一番長い時間をかけて丁寧に対応や説明をする事は、「認知機能の低下(せん妄)」と「看取り」に関することです。

せん妄や認知症といった、認知機能の低下した患者を診療、看護することはとても難しいことです。なぜなら、患者が感じている本当のことを言葉では分かりあえないこともあるからです。

そして、この認知機能の低下は身体の病気と共に悪化の一途をたどります。それはホスピスでもホスピス以外の病院でも全く変わりません。なぜなら、この認知機能の低下とは「自然な死への過程」そのものだからです。

患者へのケアや治療と共に、家族へのケアを重視することがホスピスで最も特徴的な対処の一つです。「治らない」せん妄、「治らない」認知症であっても、ありのままの患者の姿や状況をどのように周囲がどう考えるかは変えることが出来るかもしれません。ですから家族がどう考えを変えるか援助できる医療者の役割はとても大きいと思います。

そして、せん妄や認知症の患者と言葉ではない情を通い合わせる新しい会話を生み出すこと、これが家族と医療者ができる喪失の中の創造ではないでしょうか。

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