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2010年12月16日 (木)

緩和ケアのアイデンティティ。その迷い。

仕事のメーリングリストに投稿した内容を改変します。
緩和ケアに関する皆さんの努力により「緩和ケア」は日本語として人々の胸に記憶されたことと思います。日本語として登録された今だからこそ、「緩和ケア」って結局何?という根源的な問いに直面します。

メーリングリストではその概念に関しての議論がありました。

緩和ケア(palliative care)、支持療法 (supportive care)、終末期ケア (end of life care)、抗がん治療(手術、化学療法、放射線療法)また、best supportive careといった様々な言葉を含めた概念には、やはり「内輪のジャルゴン」と感じました。つまりこれらの概念をまとめ上げて図示してもには、この図を理解できる(かもしれない)身内を限定して排他的な概念を内包しています。それは図が複雑だという事だけではないと思います。
やはり自分も含めて希求されているのは、「宣言」のような未来志向のとにかく「ここで述べられているようなことを全然予期していない読者(医療者)たちにもわかるように」書かれているものでしょう。その点でWHOの疼痛ガイドラインや緩和ケアの定義やらは優れている。これらは、定義と名が付いていても絶えずまだ多くのまだ緩和ケアを理解していない医療者に対する未来のメッセージという強い意志が感じられます。そういう無垢な言語で表現された宣言の不可思議さと感動になかなか自分自身も出会えていません。

したがって、この緩和ケアの定義をアイデンティティの探求と重ね合わせれば、強い宣言が必要な時期なんだと思います。じゃあお前はどう考えているんだと言われればまだ多く壁があります。

リサーチのmethodセクションにどのように緩和ケアを(緩和ケアの提供を)定義するかにより明確にしたいというのであれば、NEJMの論文のappendixのように多岐にわたる活動を表記すれば良いと思います。

緩和ケアのアイデンティティを考える上で、いつも越えられない壁は「promoting or enhancing the quality of life」つまりQOLの向上が緩和ケアであるという概念です。一度アメリカ人の方が入院して受け持ちましたが、彼と彼の兄弟はQOLという言葉を普通に理解していました。でもQOLは人々の心に日本語としては登録されていないので、外来の説明では「暮らしをよくする」という動機を説明します。QOLということばの本質が理解できない。特にquality 質と言う言葉の本質がやはり日本語とは違う。この点はM先生が指摘されている通りだと思います。(あたりに相当する「言葉」がないような気もするのは(そういう現象や活動はあるでしょうが)、土着の概念ではないからか・・・)


そしてもう一つは「ケア」です。ケアという言葉の本質が理解しがたい。それは医師だからかもしれません。ある先生がご指摘のようにケアの二元対立がキュアであるとしてもその系譜の祖先は、ヒーラーとシャーマンと思います。ケアという行為そのものの本質が何であるのか、単なる苦痛の緩和、入浴の介助に留まらないケアの意味がまだ本当は腑に落ちていない。なのでこの提示された定義も腑に落ちず、そのキュアとケアの定義の中で緩和ケアの着地点は僕には見いだせませんでした。


このQOLとケアという、緩和ケアのセントラルドグマともいうべく言語の壁が日本人の自分にとっては高く、いつまでも本質が分からず多くの言葉に翻弄されてしまう。それでも自分の専門領域は、end of life careなんだと強く意識するようになりました。


(引用、参考 内田樹 無垢の言語とは http://bit.ly/fMj7XZ )

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