患者さんを思う心 贈り物と呪い
いつもすかたんばかりするけれど患者家族から感謝される医師
と、(きっと)正しい緩和治療をしているのに、醸し出す雰囲気の
せいか、それほど感謝されない医師」 の対比について。
要するにメタメッセージなんだと思います。どれだけ技法としてのコミュニケーションを学んでも、「本当に医療者が心の中で念じていること」が自ずと相手に伝わる。その念じていることの差だけだと思います。
受け入れやすく好まれやすい言い方をすれば「相手のことを本当に心から思っているか」どうかの差だと思います。
気をつけていないと医療者が、自分の中の理路と整合性を保つために、対話をすれば患者さんは「ああ、これは私に向けられたメッセージではないな」と直観します。でもその医療者の言葉には全く齟齬はありません。応対も丁寧で、知識にあふれ、また時には自信にも満ちあふれているでしょう。
でも、例えば「こんな時期に化学療法なんてもうするものじゃない」「こんな手順では終末期の鎮静を倫理的に行うべきではない」という正しい意見を医療者が発信したとします。その医療者の正しさというのはその医療者自身の呪縛にも似た観念ですから、もしも医療者が患者さんや家族の事を真摯に考えずに観念を述べれば、ただ相手も同じ呪縛に巻き込むつまり「相手を呪う」事をしているのだと思います。
人間というのは、案外「自分に対してメッセージをくれている」と思うときは、勝手に思ってくれるものです。僕もMLの投稿を拝見して、全く自分とは関係のない議論を傍観していても「勝手に」僕が自分宛のメッセージと受け取ればこうして刺激され(無意味な)意見をついつい投稿してしまいます。
患者さんは「自分宛のメッセージ(贈り物)」と「自分に対する呪い」を見抜く力は相当強いのだと思います。
「いつもすかたんばかりするけれど患者家族から感謝される医師」は絶えず贈り物をしています。自分の能力と心を患者さんに贈与をしているのです。
「きっと)正しい緩和治療をしているのに、醸し出す雰囲気のせいか、それほど感謝されない医師」は絶えず相手を呪っています。それは自分の呪縛の整合性を守り続けるために患者さんを巻き込むからです。
最後に付け加えると、贈与は正しい行い、呪いは悪い行いとは限りません。僕も今朝子供に「ちゃんとごはんを食べないとサンタさんは来ないよ!」と呪いの言葉を吐きましたから。
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