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2010年11月22日 (月)

子供の遊びと、微弱な信号

昨日子供とレゴで遊んでいて思い出しました。よく小学校の頃に僕もレゴで遊んで、こういう部品が欲しいと持っても箱いっぱいのレゴの中からなかなか目的のレゴが見つけられない。赤の1×6のやつとか。青の2×4とか。

そして、心でそのレゴのパーツを強くイメージして手を動かしているとそのパーツが手に入ると勝手に信じ込んで何度も何度もそれをくりかえしてパーツを探し出した。そして何やらレゴで作るという遊びをしていた。

あの遊びが結局今の自分の根拠のない勘や微弱な何か信号を受け取ることの訓練になっていたと思う。

強く念じ、イメージすれば自分の未来の時間を変容することが出来る原体験。強くイメージするには、イメージを明瞭にしないと何も変わらない気がする。どうなりたいのか、どうしたいのか。赤の1×6とか青の2×4ぐらい強いイメージを。

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