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2010年11月 8日 (月)

お見舞い 「変わらない」努力。

病者とのお見舞い。特に病状が重くなってからのお見舞いはいつも人の心を悩ませます。僕の考えるお見舞いに着いての考えをつづります。

いつも患者さんに接していて思うのですが、「自分は変わっていく、死に向かっている」というのを理屈抜き、検査抜きで感じています。その本能的な悟りは言葉に出さなくても必ず感じていると確信しています。それに恐れている時期もあれば、不安を感じる時期もあれば、怒りを感じる時期もあると思います。とにかく本当に亡くなる過程にあれば感じます。

「自分が変わっていく」人たちにとって、周りの人間たちが「変わっていく」と本当に心がさまよってしまいます。自分は変わっていっても周りが変わらないことで、自我の鎖を感じ安心するのではないでしょうか。そして周りの人間たちが、亡くなりゆく人にとっての錨になることを望んでいるのではないでしょうか。

周りの人たちは、亡くなりゆく人との関係が「変わらない」努力を傾ける必要があると思います。目に入る相手の姿が元気なときと変わっていても、聞こえる声が元気なときより小さくても、不思議と一緒にいると変わらない何かを見つけることが出来ます。そのチャンネルを意識しながら、自分が相手にとって変わらない存在であることを無邪気に振る舞ってあげることこそが、亡くなりゆく人たちの心にとって本当の慰めと見舞いを与えることが出来るんじゃないかと思っています。

「今まで通りに」接する努力。「変わらない」努力。

僕は毎日の診療の中で、亡くなりゆく人たちと接するとき、またその家族と接するときいつも意識しています。
どうか笑って、以前と同じ冗談を言いながら、患者さんと話してください。昔話は最高の栄養です!

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