二足のわらじははけない。
見逃していた、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀。肺移植で高名な。京大の伊達洋至先生の話しを観ました。自分の以前に感じていたことを思い出しました。
僕は30歳になるころ内視鏡に夢中だった。あちこちで必死に勉強して、教えてもらい。テレビ画面に映る消化管の映像に本当に心を奪われた。様々な病変を削り取り、様々な管を入れて。その技術は習得がとても難しく、また習得は難しいが故に人を魅了する。そして自分も医学の道に入り、テクニックの世界に魅了された。
ある日から急に怖くなった。相手に苦痛を与えていることに自分でもどうにもならない位の違和感を覚えてしまった。それまでは、自分の手技が患者さんの役に立つと信じて疑わなかったが、自分が相手を傷つけているその思いが心に占めてしまう。
丁度その頃、外来にも来れない患者さんの診察をするために、必要に迫られて農村地区の在宅医療に夢中になった頃。病院で内視鏡をする自分と、患者さんの家で、台所を覗いておかずの話しをしている自分が、毎日の診療に同時に入ってきた。
「生活」や「その人そのもの」への関心と興味がどんどん深くなる。それが自分にとって、内視鏡を手放し、緩和医療に向かう最初だった。どちらも医者として大事なアートと分かっていても、自分の興味が「内視鏡」「医学のテクニック」ではない。また今で言う「在宅医療」でもない、「患者さんそのもの」つまり「人間」へと興味の対象が向かっていった。
「在宅医療」「緩和医療」「先端医療から失った人間性の回復」「社会復帰のための医療」いろんな言葉が自分の脳をぐるぐる回り出したけど結局分かったのは、「人が好き」という至って単純な答えだった。「この人どんなひとだろう」「この人どんな人生なんだろう」そういう医療を続けようと思い、結局ホスピスに。結局「人が好き」なままの自分で今に至る。これからどちらに向かうやら。優秀な外科医の人に新たな力を吹き込む奇跡を観ていると、自分の今までをふり返る良いきっかけになった。
外科医が「病院を去ったあとの、患者さんの生活」に思いを馳せるように、ホスピスで働く僕は、「病院へ戻るまでの、患者さんの生活」に思いを馳せるようになった。
「いってらっしゃい、また会おう」の医療と、「おかえりなさい、どうしてました」の医療。今日もまた体調を悪くして入院する人たちがいる。
ホスピスで働くために、30歳の時大学医局を出るとき、当時お世話になった教授から「なんでわざわざ敗戦処理する医者になる、どうして出家するようなまねをする」と言われた。まだ当時はそういう思われて普通だったかもしれない。やっと最近になって30歳の自分が何を見ていたのかわかる。
病者の毎日に勝ちも負けもない。病気の治療にも勝ちも負けもない。成果主義的な発想を自分自身の医療や、技術の習得に。また医学部大学教育、医局運営に。患者さんや家族への価値観の束縛に向けてはならないと、若い自分はうっすらと感じていたんだと今になって気がつく。
苦悩の10代、傲慢の20代、挑戦の30代を終わる今、これから自分の目と心は何を見ていくんだろう。
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