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2010年10月19日 (火)

ボクの禁煙 医者が禁煙するとき

ツイッターでぼやいた禁煙についてのこと、長らく思い出しませんでしたがまとまって言葉が出てきたのでここにも。

随分忘れていましたが、禁煙の時の思い出を。僕は16歳でタバコを覚えてしまい32歳で禁煙した。(もう時効?!)タバコを吸い始めたきっかけは「しゃべらなくてよい」から。気の利いたこと、人をくすっと笑わせることそういう会話が苦手で、タバコを吸っていると「どうだ!オレはタバコを吸っているから今はしゃべれんのだ。」と何だか自分の中で言い訳が出来るのを好んでいた。

それでもすぐにすぐに依存症となり、学校でもこそこそ隠れながらまた、一緒に隠れる仲間との時間や悪いことの共有がとっても楽しかった。成人になり堂々と吸えるようになり、大学に入り一人暮らしが始まるとどんどんすぱすぱと。

何のために吸っているのかもうわからず、食事をする、トイレへ行くそういう生活の一部にタバコを吸うことが同じになってしまった。そして医者になりそれでもすぱすぱ。「どうしてタバコをやめなあかん?」と開き直り。子供が生まれるとベランダですぱすぱ。いらいらするとすぱすぱ。

そしてある日曜日友人の結婚式に呼ばれた。そこで一緒のテーブルで大学時代「あ、あいついやだなあ・・・」という自慢話が好きな同級生。そいつもタバコをすぱすぱ。一緒にすぱすぱ。「たいたいよー、大学病院なんてストレス貯まるよなー」「タバコ吸う場所にも困るしよー。」と友人。

いやな友人に、いじわるな質問を思いつき「ほんで、タバコ吸うとストレスがへるんか?」と尋ねる。「いやそんなことないなあ」と友人。その時ハッと思った。(タバコ吸うオレはぐちぐち言いながら自慢話するコイツと同じレベルなんや)とつくづく。その帰りの新幹線で急にやめようと。「オレはあいつとはちがう!」変な動機だけど、生まれて初めての禁煙が始まった。そこここの本と同じ。急に「もう全部捨てる!」と捨ててしまう。ライター、タバコ、灰皿。未練なく。そしてそこから恐怖の依存症離脱の体験が始まるのである。

僕はホスピスで麻薬を扱う専門だったので、学問としても薬物依存については知っていた。まず最初に身体の影響について。
「便秘」するようになってしまった。これはニコチンが腸を動かすから。朝の快便はタバコのお陰だったと痛感。16歳から吸ったので未だに便秘気味。いやだねえ。
「咳、痰」が確実に減った。大量の煙によって発生するゴミの数々が減って楽になった。歩きながらどぶに痰を吐くのはあまりにもおぞましい。
「空腹感」がすごかった。ニコチンは食欲を抑える作用がある。なるほど、夕食が待ち遠しい帰り道は車でタバコを吸いまくっていた。あれは空腹をまぎらわしていたんだなあと思い出す。まるで高校生に戻り早弁していた気持ちを思い出す。新鮮な思い出に一時良い気分に。

問題は精神。依存症の患者の多くは数多くのウソと取引をする。自分もそうだった。どうしてそんなことを言い出すのかわからないけど、心に勝手に言葉が浮かぶ。家族に「禁煙でイライラいしているんだ!」と怒鳴る。そう、家族に「そんなにつらいなら禁煙やめたら」と言って欲しい。自分で禁煙を挫折したのではなく、家族が吸ってくれと言ってくれるから吸う。変な取引。ああ、依存症の患者はこうして意味不明な理論を展開するのかと本当に勉強になった。どこかに研究熱心な冷静な自分。

無性にタバコ仲間との別れが惜しくなる。いつもこそこそ自転車置き場の隅で職種を超えて集ってどうでもいい話しをしていたあの時間!変に貴重に思える。「ああ、仲間を失うくらいなら、タバコを吸っている歩がいいか」と変な取引。その頃には禁煙して3日も過ぎ強い、身体依存からの解放がなされたあとだった。自分の度胸試しにウーロン茶だけもって、かつてのタバコ仲間に混じる。でもそろそろ呪縛から解かれつつあった自分は、大の大人が集まって「おしゃぶり」を集団で吸っている滑稽さに笑えた。

身体依存も精神依存も脱却すると今度は、自分の発生させていた悪臭と、滑稽さに嫌気がさす。すると身体的にも精神的にもタバコの煙を憎むようになる。まずタバコの煙があるレストランへ行けなくなった。禁煙のバーがないのが今でもつらい。タバコの臭いが服に付くのがどうしても許せなくなる。飲み会の帰りにパンツまで他人のタバコの臭いが付くともう激怒。一気に帰ってから酔いが覚めてパンツを水洗いしてしまう。一度はセーターを帰り道にあまりの臭さに捨ててしまった。

でも今でもタバコを憎んでいても「タバコを吸う人」は憎めない。あれだけの依存症の呪縛から身体も精神も抜け出すには本当に苦労する。でも、タバコを吸う人たちに仕事で「ねえ、○○さん、どうしてタバコ吸うんです?何かの役に立ちます?」と話すと決まって僕と同じ体験が。「ちょっと息抜きに」「ちょっと仲間と語らえる」「ちょっと気分を変えるために」いちいちタバコ吸わなくてもそんなことできるじゃんと思えるようになってくる。そしていじわるな質問。「タバコを吸うとやっぱりアイデアがぱっとわくんですか?」それにYesと答える人はいない。

いずれにしろ身体と精神が自由になってから、タバコの効能がないこと薬理学的にも行動学的にも理解して僕の禁煙が終わった。その体験は今の研究、「医療用麻薬・オピオイドに関する、患者・家族の心理的反応」に活きている。世の中転んでもただでは起き上がらない!では皆さんも禁煙を!

ボクの禁煙は、その「自慢話ばかりする、いやな感じ大学の同級生」のお陰で成功した。今でもあいつは、大学病院の片隅で難しい顔しながら、タバコ吸っているのかなあ。

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