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2010年10月 7日 (木)

納得できる理由

昨日不思議なことがあった。ホスピスに入院した患者さんが、急に帰ると話しネクタイまでして朝待っていた。約10日間の入院。その間に彼の感じていた心の孤独を聞き、今まで自分の事が相談できなかった。ここへ来て良かった、先生に会って良かったと話していた。

ホスピスで働いていると意図するしないに関わらずとても心がつながる方がいらっしゃる。信頼はとても嬉しく、自分の自尊感情をくすぐる。「ありがとう」と言われるだけで、この方に自分の全身全霊を注いでお仕えしようと思う。そして言葉でも「求めて下さる限り、ずっとあなたのためにお手伝いします。」と握手。それでも、急に病院を出て家に帰る。そして別のクリニックから在宅療養を受けると話された。それなら相談してくれたら良かったのにと内心思いながらも、快く送り出す。

ご家族も「すぐに紹介状を、画像を」と話す。全くイヤな思いなくささっと用意する。以前の自分ならとても心にとげが刺さりそうな出来事なのに最近は全く気にならない。ご縁がなかったと本当に思える。なぜか。
「納得できる理由」を追い求めるのをやめたから。医療者に限らず、患者さんも人は「納得できる理由」を追い求めてしまう。「なぜ心つながった相手が急にいなくなるのか。自分たちに何か原因があるのか」もしも納得できる理由がないとき悪い疑念だけが後味悪く残ってしまう。

患者さんも家族もいつも「納得できる理由」を探す。「どうして病気になった」「どうして悪くなった」「どうして食べられなくなった」「どうして動けなくなった」「どうして・・・」そこに「納得できる理由」を探すために医療者は哲学的な講話や、検査で裏付けた科学的な吟味を述べる。

医療活動を通じても、検査、経過、そして緩和ケアなら言動、精神状態全ての事象に「納得できる理由」を追い求める。病状の悪化には何かしら「納得できる理由」が必要になる。カンファレンスも「納得できる理由」を複数人で探し続ける。

新聞、報道、メディアも世の中におこる事象に対して、「納得できる理由」を探す。医療訴訟も「納得できる理由」をそこに探そうとする。でも真実の面が多面的で、僕から彼の心の動きと真実が、彼からは僕の心の動きと真実が見えない以上、「納得できる理由」を追い求める本質が判然としてくる。

意味がないと言うこと。僕が彼の人生を肩代わりできないように、彼も僕の人生に良い影響を与える義理もない。「ようこそ」「いらっしゃい」「ありがとう」「さようなら」。全てに納得を求めるのはもうやめた方がいい。その患者さんと出会うことになる納得できる理由なんてない。

それと同じように、その患者さんと別れる納得できる理由もない。だから反省したり振り返ったりはしない。彼と心がつながった瞬間に共有した喜びは確かに僕にも彼にも残る。それで十分。とかく教義的なホスピスでは陥りやすい危険な一面があると思った。

それは在宅療養や在宅死に教義的な価値を主張する医療者にも通じる。「患者さんのために」と語るその根底に、「教義的な理念を遂行し完成させる事を患者、家族に強いる」という危険性である。

そんな教義的な医療者の主張は、どこまでが自分自身の主張でどこからコピーが繰り返され出典が分からない主張なのか分からない。またいつも主張は「納得できる理由」を語り、同時に「一滴の不快感」を僕は感じる。

「縁がなかったから彼は帰った」「きっと家に帰りたくなったんだよ」「ここの何が不満なのかなあ」色んな声はスタッフからも聞こえてきたが、一言「いいじゃない。ここで言い時間を過ごしたわけだし。また戻ってくる日があるかもしれないね」、「それじゃまた」で終わる。

医療者は、患者さん、家族の心理を解剖しそこに「納得できる理由」を探し、追い求める習性がある。それは、病気を捕らえる検査や解剖のように自分自身のリテラシーと、知識のレベルでの「納得できる理由」に過ぎない。狭い見識の中で「納得できる理由」を追い求めるとき、その時点で各人の精神的成長と、集団組織の進歩は停止する。狭い見識を広げて新しい考え方や、新しい言葉で目の前で起きている事象を語らない限り、僕はきっと彼の心には近づけない。

「納得できる理由」を探す医療者の心。自分の行為から反省をしたり、自分が進歩したりする過程に思える。しかし実は、自分や組織の心を「今分かる自分の考え」で縛り、自分の職場と組織を「現時点での自分の考え」という檻を作る危険があることを忘れずにいたい。複数人で「納得できる理由」を探したとしても、そこには「納得する」という目的がある以上、全員が檻の中に入っているかもしれない。

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