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2010年9月 9日 (木)

相手のストーリーに自分も入り込むケア

自宅であと1週間の余命と言われて入院した、がんのお父さん。初日に診察すると確かにその通り。家族とは2週間前に一度僕と会って今後の事を話しあった。「家で無理させてしまった。がんばってきたけどそのせいでかえって苦しめてしまった」と泣きながら娘さん。

がん性リンパ管症は分かっていたので、多分回復は難しいだろうと考えながらもステロイドパルスをして、夜は鎮静剤できちんと睡眠がとれるように。「このままって言うことはないですよね。納得できないんです。」と息子さん。その日以降1週間、状態は安定してきた。プリンやヨーグルトは食べられるようになった。

お母さん、娘さん、息子さんみんなの顔も日を追う毎に優しくなってくる。あのまますぐ看取りだったら、それまでの在宅での家族のがんばりも強い悲しみの中で後悔に変わってしまうところだった。

「ここに入院して元気になりました。」と娘さん。「いえ、お父さんが、みんなが悲しんだままお別れするわけにはいかないとがんばっているんですよ」「寝たきりでも家長としてがんばっているんですね。すごい方ですね」と僕から。

病態への治療、経過の臨床的解釈は横に置いておいて、家族へのケアを重視した言葉が一番僕は好き。娘さんに「癌性リンパ管症とは・・・」「ステロイドが・・・」は、こんな時はいらない。臨床的な変化に文脈とストーリーを付加するのも大事な医療者のケアですね。

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