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2010年9月11日 (土)

「患者を選ぶな。」

2年前に一度お会いしたまだ中年のご夫婦。ご主人ががん。まだお子さんは中学校に入ったところだった。その時も出来るだけ家で過ごしたい、まだ化学療法をすると言われた。一通り緩和ケア病棟の話しをしてそのままお会いすることもなかった。

僕の勤務先は1週間に6-8人の新しい方とお会いする。そのうち半分が僕の担当。ほとんどの方は入院したりご縁が出来る。その方の通っている病院から昨日電話があり入院したいとのこと。部屋も空いており今日早速お会いした。

ご本人は随分と変わっており正直2年前の記憶が全くなかった。奥さんは何となく覚えがある。黄疸のかゆみ、昼間の眠気を困っている。奥さんとしばらく話す。まず、今までのこと話しを聞いた。治療のこと病状のこと。今までの担当医の説明では分からない所を僕が補う。

そして「どうしてこの病院に入院しようって思ったの?何が家にいて一番困ったの?」というと気丈な奥さんが泣き始める。しばし待っていると「ここに来るときに、前の病院の先生に言われました。あの病院へ行ったら退院するというのは普通出来ませんよ。この状態で家では無理です。」

「それでも私は主人を自宅で看取りたい。」と。違う病院ならお互いのやり方が分からないのかもしれませんねと僕。「ここでは、『閉じ込めない、追い出さない』の方針ですよ。ご主人の少なくなった力だけど、一番力が出てくるように、僕らで手当てしてみます。」と話す。

最近は退院する方も多く、また留まる方も多い。緩和ケア病棟の出入りを見立てるのは、患者さんと家族ですよと話す。「こういう患者を集めたい」というエリート化や、「医師の見立てで入院」では、何ともぎくしゃくする。何故なら患者に「死への覚悟」を強要するから。どうやら前の主治医も転院にあたって無理な予後告知を本人にしたとのことだった。

医科診療報酬点数には「緩和ケアを行うとともに、外来や在宅への円滑な移行も支援する病棟」とか堅苦しいことが書いてある。どうか医療者は分かる言葉で話しかけて欲しい。「閉じ込めない、追い出さない」
クオリティ・オブ・ライフなんて日本人には分からない。「よい生活、よい暮らし」「充実した暮らし」はどこか違和感。ケアも日本人には馴染まない。「手当」「世話」で十分。「緩和ケア」も「おせっかい」「親切」にでもしておく。とにかうもったいぶって業界用語を押しつけない。
医療用語は難しい、平易な言葉と良く言うが、そのフレーズには、「患者、家族のリテラシーは低い」という知的労働者の官僚的侮蔑が含まれている気がしてならない。平易な日本語を探し、自分たちの行動をその平易な言葉の持つ記号化された日本語本来の意味に沿わせていくと、自分が謙虚になって行く。

「患者、家族に専門用語を使わない」という作業は非常に医療者にとって、対話するときの集中力や創造力が要求される。専門用語を使い話す医療者が実は相手よりもリテラシーが低いのかもしれないと自分の言葉を疑う方がよい。だから「親切でお節介な病棟です」って言うようにしている。

「一度緩和ケア病棟へ入院したら退院できない。」「もうここではできることないから、緩和ケア病棟へ行ってください」って説明している紹介元の先生方。もうすこし一緒に僕らと話してみませんか?そしてお互いやっていることを話してみませんか?お互いの苦労を話してみませんか?
でも本当は悪い説明をしてくれてありがとうって思っているんです。だって、「ああ、前の病院ではこんなに悪いイメージを植えつけてくれているんだから、自分たちがきちんとすれば、ここで体験する悪いことも、よい体験に変えられるかもしれない。」と心底思いますから。

緩和ケア病棟では、みんな毎日満足して笑って過ごしているわけではないんです。泣いたり、悩んだり、それでも嬉しかったり笑ったり。だからこそ悪いイメージで入院されると、もう一生懸命親切にして、青天井にお節介をやき最初の3日で自分の事を気に入ってもらおうと僕も必死です。
「この患者は緩和ケア病棟の適応ではない。まだ状態が良い」と豪語するナースもいました。病棟の入院も退院も患者、家族に見立ててもらうと決めているので、入院したときの状態と思いで今後のケアと生活を一緒に創造するんです。同じ仕事を繰り返しては進歩がありません。

緩和ケア病棟の医療者が紹介元病院を非難する言葉をそこここで聞きます。「ちゃんと説明していない」「ちゃんと理解していない」と。僕はそれはおかしいと思っています。むしろ自分たちが慢心しているんです。時代と医療システムに踊らされ、難民を救う正義の味方のように。

僕は前から考えていたんです。自分と患者、家族との出会いは選べません。いつ、誰に、どんな状態で会うのか、家族の状態がどんな風か全て選べません。
さらにはどんな説明を受けているかも選べません。どんな主治医なのか、どんな治療経過なのかも選べません。
「選べない」という前提で自分たちの役割を考えないと、緩和ケアも緩和ケアチームも緩和ケア病棟も患者のための医療は提供できないでしょうね。

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