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2010年7月

2010年7月20日 (火)

大切な同僚の最期の言葉

この6月に、大切な同僚がこの世を去りました。がんでした。彼が真摯に向き合った緩和ケアと医療の思い、ここに残しておこうと思います。彼自身もそれを望んでいたと人づてに聞きました。誰かは分からないようにしますので、どうか先生お許しを。それでもその輝く言葉の数々に私もとてもとてもこころを洗われ、ただひたすらに感動の涙が止まりません。

先生、ありがとうございました。先生に会えて、本当に良かったです。さようなら。

以下は講演の言葉より抜粋。私の言葉ではありません。

平成22年4月
某病院での講演

緩和ケアというのは、医療技術とか看護技術の占める割合は全体の2-3割じゃないかなと思っている。
緩和ケアを始めると壁にぶち当たる。
こんな風でいいのかな、効率的に、うまくやろうと考えるようになる。
ケアを提供する「心のありよう」が、7-8割を占めている。
ケアやマネジメントに心をかけているかどうかが一番大事だと思います。

症状マネジメントは勉強する意欲を失わなければ、医療的なマネジメントはできる。どんどんふくらんでいく。身につく。
そこに心がかけてなくてもできる。
緩和ケアに重要なのは心のありよう。

どんな医療がしたいか
生まれてきてよかった
会えてよかった
医療者ではなく人間としてどうありたいのか

痛みは何とかなると思うんです
呼吸困難にはモルヒネが効きますよ
いざ自分が飲むとなると(モルヒネに)抵抗を感じる

緩和ケア医として
患者さんの力を信じてあげることです
医師として無力さと限界を認めること
死と戦っても勝てるわけがない
謙虚であること
「してあげる」ではなく「させていただく」
仕えるということ
弱きもの、小さきもの、病めるものの隣人になる
小さきもの 生産的な価値がない、誰だってそんな立場に立ちたくない
その人らしく
病者自身も自分らしくというのが何か分からない
こちらの思い込みでやらない
苦痛の先にあるものが何か考える視点が大事
症状をとってあげるというのが緩和ケアではない、何がその人にとって大事かを考えること、症状のために何ができなくなってしまったのか考えること、できなくなってしまったことに何か役立つことがあること、QOLを考えること、QOLに自分たちのケアが役立っているのか考えるのが緩和ケアの日常
医療者のための緩和ケアにならないで・・・
いつも自分の中で、「何のためにやっているんだろう」と考えてやっていかなくてはならない

患者として
慰めは欲しいが憐れみはいらないな
ある患者さんから「自分はみじめだ」と言われた

まだ生きているんですけど・・・
できないかもしれないけど、治療の希望を持っていたい
覚悟して入ってきたんでしょ?納得して入ってきたんでしょ?
患者さんが何を考えているか受け止めてあげないと

心を読んで欲しいのではありません。うれしいな、つらいなと言う感情をわかってほしいだけ(共感)
患者さんはつらがっているばかりではない、うれしいことだってある
共感的な態度をとらなくても医療は提供できる
緩和ケアをやるんだったらそういうこと(共感的な態度)を身につけてほしい

わかんないかな? (あなたならどうなの?)
わがままに対する対応をどうするか問題になることもあると思うんですよ
わがままにみえるところを自分におきかえて考えれば了解できる
自分だったらどうかな、何がこの人をそう言わせているのかな
2つのホスピスのナースに、ホスピスの患者さんはどういう人たちでしょうか?と聞くと「一般病棟ならわがままと思われるかもしれませんね」「大事にしたいことを尊重して最後までみたいと思います」と答えた
患者と接して腹が立ったら、詰め所に帰ってきてから腹が立ったと言えばいい
スタッフで分かち合うのが大事。自助グループを作らないと「腹が立った」「くやしかった」と言う気持ちを共有するスタッフ、チームを作ることが大事

好きに言わせてよ(評価しないで)
「死にたい」というと、すぐ希死念慮と対応するのはどうか
つらいことはつらいとすぐに言える安心した環境が大事、安心して患者さんが苦しみを言える環境、痛いときは痛い、死にたいときは死にたいと安心して言える雰囲気を作っていく

逃げないでね(見捨てないでね)

説教は勘弁してね(聴いてから話してね)
家族との時間をしっかりと作らなければいけないんじゃない?子供にビデオのレターを作った方がいいんじゃない?
病状説明をしているつもりが、あなたはこうすべきという話しに変わってくる。
患者さんはこっちの話しを先に聞いてねと思っている

技がふるえないのはあなたのせいじゃないよ
日常の一部でなくなっていく・・・このことが、なんともいえずつらいんです
倒れるまで仕事したいって思っているのもこういう思いがあるからかもしれない

緩和ケアを実践する人に
マザーテレサも、病気を癒したわけではないよ。傍にいて、慰めてあげて、その人に微笑んでもらっただけだよ。
大好きな神父さんに言われたこと、患者さんに微笑んでもらうというのは、とっても大きいこと。患者さんはそのためにすごいエネルギーを使っていますから、苦しみの中でも、そういうものを感じる力をもっておられるから
患者さんに成長させてもらえる、患者さんからもらう大きなプレゼントです。緩和ケアにいる楽しさです。
緩和ケアにいると壁に当たると思う。今やっていることの意味がなんなんだろうと思ったり、今僕がしゃべっていることの意味がなんだろうと思う。今分からないから駄目なんじゃない。限られた時間を共に分かりあえながら過ごせる、それほど素晴らしいことはない。でもそれも難しいときもある。患者さんは難しそうにみえても、難しそうに考えていても、みんなが来るのを待っている。
患者さんと時には考え方が合わないときもあるかもあるかもしれない。でもいつか分かる日が来る。分かるときが来る。
患者さんの家族と患者さんとの間にもあること。
どこかにわかりたいっていう思いがある。
今は分からなくてもいつか分かる日が来る。

マザーテレサの働きにみる「ホスピス・ケアのこころ」
死んでいく人を可哀想に哀れに思って世話をしたの?
力あるものが、力ないものを可哀想に思って助けたの?
「まことに、あなた方に告げます。あなた方がこれらの私の兄弟たち、しかも最も小さいもの達のひとりにしたのは、私にしてくれたこと」
1対1、一人一人が特別扱い、一人一人が特別な存在、それぞれの患者さんに対して大事にしたいという思い

家族に
自分の命と引き換えに、後に残される妻と娘が幸福でありますように
自分が苦しいときには、こう思う。
娘に生きていくのに大切なことを伝えたい
そしてずっとずっと愛していることを伝えたい

ホスピス・緩和ケアの心って何ですか?
ホスピスの心はおもてなしの心
一流のホテルはプロ。結果的にできなかったとしても。ホスピスはそれとはちがう。
ホスピスの心とは、最も病んでいる人々、最も苦しんでいる人々、最も弱っている人々のひとりに仕える心
非生産的な状態な人たち、小さいものに仕える心
強いもの(ケアをするもの)が弱いもの(ケアを受けるもの)に仕えると言うこと
仕えるというのは、こびへつらうこととは違う
強いものが弱いものを支配するのではなく、強いものが弱いものに仕えることが真理
こうしたいなあ、こうやったらうれしいなという感情の世界ではない
自分自身をコントロールする必要がある、自分の中で、意志の力を持つこと、意志の力を持たないとできることではない
許すというのが代表的なこと、許さないというのは感情の世界のこと、感情での許しというのは、その人といさかいがあったり、感情的になったりすること、何を今さら、患者さんが和解を求めている、できるだけみんなと一緒にいたいんだと望んでいたとしても、家族の方は何をいまさらって最初はそういう思いになる。けど、その中でも家族を説得するわけでもないけど、家族もそう思った気持ちを聴いてほぐしていくことで、和解へ向かっていくこともある。許すということは難しい。
その人を許す前に、許さないって思っている自分自身を許さないと、その人を許せない。自分自身と和解しないと。意志の力をそこに働かせるというのは大変なこと。
「人の子が来たのは、仕えられるためでなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のためのつぐないの代価として、自分の命を与えるためである」マタイの福音

「この世において最も小さな存在に仕えてゆく心」
「この世で強いものが弱いもののところへそのまま行くと、その関係は「上下関係」=支配と従属」
やっぱり患者さんは従属的、根本的にそう思っている
「この世で強いものが弱いもののところまで意識的に降りていく=すなわち「仕える」
ケアの行為に働かせるのが重要
それが本当に理解できたときに、私もあなたも同じ死んでいく人間ですからということが、相手の心に言葉が響くかどうか
きっと「仕える」という言葉が、本当に心で分かってくれば「同じ限りある同じ人間」と私たちが実感することがわかってくる。

「弱さにおける平等=真の連帯」

ホスピスの心を象徴する行為

座ること、聴くこと
感情に焦点を当てて一生懸命聴く
傾聴+共感+受容ということばがその中に生まれてくる

座ること、聞くことは being
Not doing, but being
傍にいるというのはただいるという事ではない、一生懸命聴いてその時間を共有する、患者さんは例え話しをしなくても、その患者さんの存在に耳をすます
意識のない患者さんでも、同じ呼吸を患者さんとしてごらん、5分間一緒にいて呼吸に合わせてごらん。(研修医への助言)
聴くというのは声を聴くだけではない、その存在を聴くと言うことでもある。

ホスピス・緩和ケアの心 (hospice mind)
「世の中において最も小さな存在に(弱さに)仕えていく心」
私たちの兄弟たちのうち、最も小さい者のひとりにしてくれたこと、それはわたしにしてくれたこと マタイの福音 25-40
行って隣人になりなさい
心を持ってその人の隣人になろうとする、支配するのではなく、仕えさせて頂く

本当にそのことを体で感じることができるようになったら、患者さんから多くのものをもらえるようになる。
患者さんに感謝する
最後に「お世話させて頂いてありがとうございます。」と言ってしまう。

しっかりとした死生観を持つことは大切だけど、それを患者さんや家族に押しつけない柔らかさも必要だよね・・・

最後に
綺麗で、優しいだけの病棟に過ぎない緩和ケア病棟の一般病棟化
できあいの死をわたす看取りの工場 ・・・ なんてならないでね

どんなケアがしたいの?
どんな看取りがしたいの?

患者さんや家族の希望を尊重することは大事だけど、自分がどんなケアがしたいのか、どんな看取りがしたいのかいつも考えておかなければならない。押しつけるとかそう言うことではなくて、患者さんや家族の希望をかなえるための自分たちの考えを絶えず考えておく必要がある。

この先生、この看護師さんに看取ってほしい そう思えるような人に会いたいな

患者としては一番の思い。誰でも良いというわけではない。

天のお父様
どんな不幸を吸ったとしても
吐く息は感謝でありますように
全てはめぐみの呼吸ですから

アメリカのテレビドラマに出てきた言葉


さいごに

あと何ができるかなと思ったとき、自分が大切だと思っていることを伝える事
まだ役に立つことができる、それができなくなったらそれをひかなきゃいけないな

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2010年7月 3日 (土)

とある研修で。音楽家の苦悩とは。

前回ご紹介した方にも関することで、音楽家の苦悩についてです。

とある緩和ケア研修での一コマ。仮想症例には「コーラスグループができなくなり・・・」とあった。参加者は「こういう状態なら趣味は仕方ない」と。また他の参加者は「車椅子に乗ってでも参加する方法はないか」とか。

別の方は「趣味ができなくなることはつらいよね。また歌えるにはどうしたらよいか」とか。僕は経験から思った。『音楽をしている人は、楽器が弾けなくなったり、歌えなくなったとき無理にやらされると、かえってつらい。自分が喪失したものに向き合わされる。』って。

「音楽ができなくなったこと」のつらさよりも、ずっと「自分が元気だったときと同じパフォーマンスができないこと」のつらさの方がずっと上回る。それは複数の音楽家の患者さんから学んだ。医療者の想像を超えた思いを、病人は感じている。健康な頭で考えたアイデアにおぼれぬよう。

もちろんこの研修では、この症例はがん疼痛をどう評価しどう治療するかの内容だったので致し方ありませんが、自分にとっては疼痛よりもこちらが気になっていました。

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