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2010年5月21日 (金)

正義は勝つ?

最近、そこここで医療用麻薬の使い方を指導している。以前は製薬メーカー、そして今は緩和ケア研修会で。製薬メーカーで「痛みと麻薬」をテーマに取り上げても、「もういいよその話しは」という人たちも多い。確かにこれは進歩で、いわゆるオピオイドに対するバリアの内、professional barrierが解決してきたという事なんだと思う。でも新たな問題に時々気がつく。

そしてその光景は以前自分が、一般内科医だったときの同僚や上司の姿と重なる。

確かに医療用麻薬は正しく使えば安全だし、痛みをとると言うよりも感じなくするのは、とても大事だと思う。そして医療者は正しく知識をつける必要もある。しかし、その「正しさ」をひたすら、患者さんに説明する医療者を見かけると、これもまた問題だと思う。こういうのを正義の押しつけと思える。

以前働いていた病院で、いつも、糖尿病の患者さんを何かと言っては叱り、一生懸命説明している上司がいた。患者さんを思って、愛情のある叱り方ではなく、何だか糖尿病はこうでなきゃならないっていうその上司の正義を貫くために叱っている様に思えた。そういうやり方は、患者さんを窮屈にして人格を否定するだけになる。
「オレの外来に来るならもっと痩せてこい!」
「ほらまた、HbA1cが上がった。」

禁煙指導もまた然り。医者のタバコに対する憎しみをぶつけるだけになる。患者さんはやっぱり他人。苦労しているのも他人。相手を思う気持ちは大切だけど、何で自分と同じ様に考えないんだ!って叱っても通じない。

とにかく麻薬をイヤだと思う気持ちもよく分かる。

世の中真理はいつもシンプルで、少ない言葉で多くの内容を語る。
でも、正義を振りかざす事も非常にシンプルな方法でかつ、普遍的だと思ってしまうからたちが悪い。「考えることに対して怠惰になった瞬間から、シンプルな理論にすがる。そして考えるのをやめて正義を振りかざす。」

毎回毎回ゼロから考えないとダメだと言うこと。それはいつも仕事を通じて感じる。心のどこかに「まあ、前と同じ感じでいいか。」とか「いつもやるやり方で今回もいこう」と余り考えずに始めることは大抵裏目に出る。そして、周りの人たちもその怠惰を感じ取る。

大変でも毎回毎回。

医学という科学は、ある一面個性を否定することで普遍性を得る。しかしそれは物事の本当に小さな一部分であって、それが全てだと信じて「叱り」続けてしまうと、小さな一部分をとりまく大きな宇宙に気がつかなくなる。

m3.comとか見ているといつも思うのは、医師にcynicismとfrustrationが蔓延していること。特に匿名性が高まるとその傾向が強くなり、そのcynicismはいつも攻撃的な発言を産み出す。そして執拗に医療システムを糾弾する。今のシステムは改善されるべきという意見は自分も同じ。しかし、一方でcynicismを増長していくのも、過労、バーンアウトが関連するということからも、やはりシステムを改善していく必要は大いにある。しかし問題は、cynicismに伴う、攻撃性と思う。これからも冷静に発信し続けたい。

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