« Presentation Zen | トップページ | 眠っているとき人はどこへ行く? »

2010年3月17日 (水)

物質的医学

患者さんからだけでなく、色んな所から来るメッセージが心の中で反響します。

医者になろうと思ったのは、高校3年になる頃。それまでは、ハンドボールとバンドに明け暮れて、オヤジに反発して(オヤジは開業医)絶対に、医者になんかなるものかとずーっと思っていた。昔からオヤジを見ていて医者ってこういうものなのかというイメージがよくなかった。
熱が出ると、注射か薬。
アレルギーが出れば、原因探し。

子供心に甘えていたんだろうなあと思うけど、熱が出たら、薬を考える前に「大丈夫か」と言って欲しかったんだと思う。そして、やさしくしてもらいたかったんだろうなあと思い返す。風邪をひいて小学校を休んだときに、理由は忘れたが、母親が不在で、オヤジと二人でうどん屋に行ったことを今でも思い出す。風邪をひいてつらかったはずなのに、今でもよくよく覚えている。去年息子を連れて帰省したときもそのうどん屋に行ったらちゃんとあった。
なぜこのときの記憶は妙に残っているんだろうと思うと、やはり薬ではないものを感じたからだと気づかされる。

オヤジに反発して、航空学科のある大学を受けてみようと思っていた矢先に、その頃自分もすっかり悩みきってしまい今思えば青臭いことばっかり考えてついに学校を休んでしまった。その時に出会った、心療内科のお医者さんが何の薬も出さず、ただひたすらに自分の話すことを聞き、一言「心に残った言葉をノートに書いて下さい」こういう治療を受けて随分と自分が内観することに協力してくれた。
多感な時期に、それまで物質的な世界だと思っていた医学の世界に違う一面を見いだして夢中になった。それからは学校をサボっての猛勉強。大変だったけど今こうして医者になれた。

オヤジは思い返しても何も悪くない。医学教育を受け、色んな医者と接していて今でもつくづく思う。人は物質的な世界には夢中になれるんだなあって。今緩和ケアをしていてもそういう場面にはいつも遭遇する。
「麻薬Aと麻薬Bなら、やっぱりAの方が優れている。」
「抗うつ剤Cは、やっぱり副作用が少ない分、Dよりよい。でもDはぐっすり眠れていいよね」

こういう物質的な議論は盛り上がり尽きない。自分も緩和ケアは好きな分野なので、海外のジャーナルを複数毎月ざーっと読んでいると大抵のことは何となく記憶できる。そしてその物質的な議論にエビデンスという刀を振りかざして挑んでいく。

最初は夢中になっていたけど、ちっとも楽しくない。そう、エビデンスの刀を振りかざす事で自分をただ大きく見せようとしていたんだと気がつく。そしてそういう物質的な事に全く関心がないことを痛感した。

ある方に言われた。「前世では、物質的な事に夢中になりすぎていた。だから、きっと今は違うんだと思いますよ。目に見えないものの方にむしろ興味がひかれていくはずです。もしも物質的な事に再び心を奪われたら、もう大変です!(要するに今世での学習が遅れるという意味)」ああ、なるほどなと腑に落ちた。幼少の頃から、オヤジを見ていて医者に違和感を覚えたこと、医学教育を受けていて虚しかったこと、卒業して脳外科で物質的な世界にひたり物質的な議論を繰り返して心底からいやになったこと、緩和ケアを目指してもある種嫌悪感を覚える講演や、文章に接してしまうこと。

でも「物質」の反対語は「精神」だそうで。その「精神」を扱う医学も気をつけないとすぐに薬を展開していく「物質」的な世界になっていく。それが悪いとは言わないが、自分には全く関心がない。自分の心に広がっている医学の世界をうまく表現できないか、エビデンスや物質的な議論との融合が出来ないか、きっとそこら辺りが自分にとってのライフワークなんだと思う。

「いやー、治る力がないんじゃないかなあ」こういう意見をカンファレンスで話しながら、なんとまあ根拠の欠けた他人にわかりにくい意見かと自分でもあきれていた。でもCTでは・・・、CRPが・・・とかそう言う世界は単純でわかりやすいが、最近ますます全く関心がなくなってしまった。。。やれやれ。

|

« Presentation Zen | トップページ | 眠っているとき人はどこへ行く? »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 物質的医学:

« Presentation Zen | トップページ | 眠っているとき人はどこへ行く? »