« 自分自身の再構成 | トップページ | Presentation Zen »

2010年3月 3日 (水)

最後の祈りと執着

この数日で、速いペースで人が天に帰っていきます。僕にはあちらに逝く人達の本当の話しは直接聞く事ができないので、残される方々の、いわば執着が残らないように努めて取り組んでいる。

苦痛がないように、家族の心配不安が少なくなるように。

でも一番大切なのは、本人は苦しまずにあちらへ行くという事をはっきりしたメッセージを送る事だと思う。

昨日もある方が、天に帰っていった。多くの方がそうであるように、もう生きる事には執着も徐々になくなり、無念そうな顔は全くなかった。ガンという病気はゆっくりすすむせいか、少しずつ少しずつ執着がなくなるのかもしれない。初めて会った時には、初対面なのに、もう十分に生きて来ましたと、はっきりと話された。涙を浮かべながら、これからの事はよろしくお願いしますと。要するに安らかに亡くなる手伝いをして欲しいと言われた。

でも、早く死なせて欲しいとは一度も言われなかった。静かに自分の状況を受け止めている。検査の結果でも何でもない。自分のからだの事は自分で気がつくという事なんだとつくづく思う。

多くの家族と兄弟は、献身的に毎日毎日、からだと心をすり減らしながら愛情と別れ難い未練を、その方に注いでいた。そして、家族と兄弟はいつしか、言い争うようになった。それぞれの愛情の深さを、示しながら私はこんなに兄貴を想っている、私達家族も精一杯やっている、変な衝突。

こんな時はいつも、僕が間に入りそれぞれの話しを聴きながら司会のように話し合い、言い合いに参加する。一つの事は必ずぼやかさずにはっきりと話すようにしている。それは、必ず 「いつかは、その方と必ずお別れをする」ということ。そして、その道のりをみんながどうやって協力したらよいかを静かに助言する。

そして、何度も家族会議に参加し、それぞれの思いを聞きながら、最後に話す。「みんな、この方のことをとても大事に思っていて、そしてとても一生懸命やっているですねえ。」「何とかみんなの気持ちを一つにできないものでしょうか。それぞれの皆さんの気持ちを、毎日かわるがわる本人に届けて下さい。」

数週間でお別れの時が来ました。その日は午後から、自分もバイオリンを演奏しようと計画していた病棟のイベントがありました。残念ながら、その方は参加できない。ご家族も楽しみにしていました。
受け持ちの看護婦さんから頼まれ、その方が葬儀社の迎えに来たときに広い部屋で家族総勢20名近くを集めての、最後のコンサートをすることにしました。「どんな曲がよいですか。」と家族に聞くと、ハーモニカでいつも明るい曲を吹いていましたと話していました。

それでも、それまでの時間皆さんと過ごして、この方々が是非ともその方への心のつながりを(それを執着と呼ぶことにする。)うまく対応できないか、おbsessionからattachmentにかえる事はできないかとつくづく考えて、選んだ曲は「千の風になって」

そうです、肉体や墓にはその方の魂はもうない。執着を残さないことを伝えるメッセージがこの曲には含まれています。またこの曲の歌詞には、次の世代に何かを伝えていく、その方の人生の達成が、残される方々へつながるような祈りが含まれていると僕は理解しています。

うまいアレンジがしてありました。「千の風になって」とモーリスラベルの「亡き王女のためのパバーヌ」が混ぜてある演奏でした。「みなさんのために演奏します。」と声をかけてひとしきり演奏しました。

家族と看護婦さんたちのすすり泣きをみないように(みてしまうと僕も感極まって、演奏できなくなるので)そこらここらを漂う、その方の魂を感じ、目の前の肉体には既に何も宿っていないことを強く強く確信しました。演奏を終えて心に浮かんだ言葉は、「またいつかお会いしましょう。」

また明日から皆さんが生きていけますように。

もう少し仏教で言うところの執着を勉強しなきゃ・・・20100303_101516


|

« 自分自身の再構成 | トップページ | Presentation Zen »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 最後の祈りと執着:

« 自分自身の再構成 | トップページ | Presentation Zen »