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2010年2月

2010年2月21日 (日)

自分自身の再構成

この2日間、久しぶりに生まれ故郷の町に帰っていました。
それも中学、高校の同級生で医師をしている友人に「こういう機会でもないと本当に会えないからなあ」と言ってもらえました。

実は、中学高校は一貫校、大学は公立大学で、卒業後医師になってから、結婚、障害を持つ長男の出産、緩和医療を目指すまでの医師修行、そして緩和医療に専念し多くの看取りを繰り返すようになった自分を振り返り、どうしても自分自身の時間は連続していても、自分の中で自分自身がまとまっていない違和感を絶えず感じていました。

中学高校の自分、大学の自分、そして今の自分は全然違うと思って、そして昔の自分の傲慢さを恥じていました。そして長男の誕生が自分を大きく成長させ、謙虚さとそして、自分にとってつらいことや悪いことであっても、新しい意味を創り出す事の重要性を知りました。

その謙虚さはあるものの、やはり自分自身に光を集めたいという思いからこの数年は努力もしましたが、背伸びもしすぎました。また心のどこかが突っ張っていて疲れていました。

とある方からも「傲慢と言うより突っ張っていましたね。これからはもっと楽に自由になりますよ。」と言われました。

傲慢だった自分と今の自分が向き合えないことは、悪い方向に影響し、昔の友人と会うのを避けてしまっている自分にも気がついていました。仕事や家族に自分の心が忙しいことを理由に。

やっと、最近徐々に自分自身のばらばらだったところが徐々にまとまりつつありました。そして自然にこの2日間、高校や大学、そして「いつか連絡しなきゃ」と思っていた10年以上ご無沙汰していた友人にも連絡したりとやっと過去の自分と向き合う機会を得ました。

会ってみるとみんな「風貌も言っていることもちっとも変わらないねえ」と言われ、「あら、自分では随分変わった気がしていたけどそれは自分だけの思い込みか?」と思い色々と話してみると「あー、昔からそうだったよー」と明るく返事。
やっとばらばらだと「思い込んでいた」自分がまとまりつつあります。

勝手に色んな顔を作り、見せる顔を変えて毎日器用に暮らしていましたが、ある方の導きもあって、それも全てやめ、一つの顔で生活するようになりました。そして、過去、現在の自分をまとめることができつつあります。

今自分の心に浮かんでいる映像は「自由」です。

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2010年2月12日 (金)

長期休暇からの復帰・初日

毎年、2月に長期休暇といっても1週間だけですが休みます。
今年も無事休暇を取りました。

いつも職場に戻るときに道中は、「このままずっと休んでしまいたい!!」とつくづく思うのですが、職場に戻り、それぞれの患者さんは笑顔で待っていてくれたことを伝えてくれます。

ある寝たきりの方に、「私のために、先生は生活を犠牲にすることなんてないのよ。」その方はいつも、気持ちが落ち込み、うつ状態にある方です。「動けなくなってまで生きている意味はない。この部屋でもどうやったら自殺できるか、考えている。今の状態では自殺すら出来ない。本当につらいわ・・・」といつも話されます。また一方では、「少しでも動けるようにならないかと、リハビリを続けたい」とも。

ご主人、娘さん、小さなお孫さんがいて。
病院で働く医療者の目からは何が希望かちっとも見えてこない。生きる希望って何なのか。
「ご家族の愛」
「普遍的な自律」
「たとえ動けなくても、あなたはあなた」
「もっと大きな存在への畏敬に気づく」
"Dignity"
"Love"

様々な言葉は医療者の前を通り過ぎて行くけど、何かすっきりしない。
目に見えないもの手に取れないものがきっと大切なのは間違いないけれどもそれがどういう概念の事なのか。

見聞きして一瞬見えないものが手に入ったと思っても次の瞬間には指と指の間からこぼれ落ちていく。

本当の希望を探し続けるのは大変なこと。それでも、それを患者さんと一緒に探し続けることが自分にとっての生きる使命と気がついている。本当の希望を、文字や文章で表現できるのだろうか。

「そんな患者さんから、1週間話したいことがいっぱいあった。」
「自分のこともきちんとしなきゃね。」

そんな風に話しかけられると、ああ、自分と患者さんはいつも対等な関係なんだなとつくづく思い知らされる。

そんな対等で、平等な関係の中に何かしら探し続けていることのヒントがあるんじゃないのかなと思う。

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