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2010年1月21日 (木)

死期を悟るとき

ほとんど同じ日、お二人の方から言われた。いや正確にはそう言っていたことを聞いた。

お一人は、「もう明日死ぬ」って家族に言い残した。予兆はあったが僕にはまだ少し先のことのように思えた。それでも多くの患者さんは、医学やら医者やらが考えるような意識の中で死を悟ったりはしない。自分自身に起こっていることを自分ではどこか感じている。いつも変化を感じるのは自分が最初。他人である家族や医者は検査やら何やらを使ってその方の命の力を知ろうとする。そんなもの数字になって現れるわけでも、レントゲンに映るわけでも、複雑な計算式が占ってくれるわけでもないのに。

「もう明日死ぬ」と家族とのお別れをしたその直後に、そんなことがあったとは知らない僕が、家族に話す。「あと1週間以内だと思います。」最初からどんな話になるのか家族には分かっている。そして僕よりもずっと早く本人から話の内容を聞かされている。

「ご本人は何か言っていましたか?」と聞くと「もう明日死ぬ」って言ってましたと家族。

そんなはずないと心で思いながらも「ご本人がそういうのならきっと間違いないことなんでしょう。」と静かに答える。その数時間後に昏睡となり、次の日には亡くなることはなく、みんなの気持ちが別れる気持ちになるのを待っていたかのようにそれから3日してから去った。

もう一人は、ご家族に「あと1週間ぐらいだと思います」と伝えた後、どういう訳だか、ご本人に家族が「あと1週間だって」と伝えていた。こういうご家族もあるんだと本当にびっくりしてしまったが、とにかく本人にも伝わってしまった。それまでも死ぬことや生きることを心に想うまま話してきたが、それでも僕には戸惑った。「死」を語り合うことはあってもそれが「1週間」という言葉を付けたとたんに、何だか語り合ってきた「死」とは全く違うもののように感じる。とても無機質で冷酷で。

その方は一言、「まだ私死ぬ気がしないのよね。そう言われても。」僕は言葉を返す、「ご自身でそう思えないのなら、きっとまだ生きなきゃならないんでしょうね。」
実際にそれから1週間近くが経った。「まだ生きていなきゃならないの」とその方より言葉が投げられる。うつろな目で毎日の時間に意味や希望をすっかりとなくしてしまっている。「何か役目が残っていらっしゃるんですね。」と僕より返す。

よくこの領域で仕事をしていると「生きてきたように死ぬ」と語る医者や看護師に出会ってきた。
「死ぬときも生き様が現れる」という意味なのか「死に方は生きてきた全てが集約される」という意味なのか。僕にはこの言葉はどこか違うなとずっと思ってきた。
今になって急に気がついた。

「人は死ぬまで生きている。死ぬ直前までは死ぬ気がしないんじゃないかな」って。いつも今と明日のことを考えて生きている僕。亡くなる間際になるともう明日の事なんて考えられないほど、「今日」に余裕なく必死になって懸命になっていく姿を毎日のように見守っていると、「明日死ぬ」ことよりも「今日のこと」でもう一生懸命なんだなってつくづく思う。

だから「生きてきたように死ぬ」と言う言葉。どこか違うと思う。その人の長く生きていきた道のりが集約されたとしても、きっと医者には分からないって思う。一つはっきりしていることは、亡くなるまで、亡くなってからもきっとその人はその人のままなんだろうなってこと。

生きることと死ぬことの境目は悟ることができる。そしてそれは急に訪れる。

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