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2010年1月14日 (木)

見える景色

いつも仕事をしながら思うのは、見える景色のこと。景色と言っても窓から見える景色や廊下、部屋の景色ではなく、それぞれの人たちが見ている景色、心の情景(映像)のこと。

ある患者さんにお会いした。
「くすりが変わってから自分の体はダメになってきた」「病院が変わってからうまくいかない」「お前(その奥さん)がいると、いらいらする」

その患者さんにとっては苦しみや心の葛藤はどんどんふくれあがってもうあふれている。自分にはどうすることも出来ない。どんどん視野は狭くなって周りの景色は狭く色を失ってくる。

はじめてその方にお会いした日、患者さんは少し興奮気味に一生懸命に自分の体験してきた治療と、その時々に感じたことを話して下さる。一生懸命に自分をわかってもらおう、知ってもらおうと話して下さる。そして、気がつく。

自分自身の変化に一番気がついていない。

科学的な指標は残酷で、血液検査もレントゲンもその患者さんの病状が刻々と悪化していることを伝えてくる。でも患者さんは、その検査の結果を「体験」できるわけではない。いくら医者や周りの家族が、科学的な指標に納得できたとしてもそれは、患者さんの体験を知ることにはならない。

患者さんの体験は、いつも自分から見える景色をお話しされる。それは僕自身から見える景色とは全く違う。

自分自身の変化に一番気がついていない。
そして、気づきたくない。
だから周りの景色が変わったと嘆いてしまう。

僕は患者さんに「あなた自身の病気が悪くなっているんですよ」という真実を伝えたいだけではない。その周りで一緒に苦しんでいる家族に「あなた方も患者さんの景色の一部です。みんなは変わらずいてください。そして変わっていく患者さんを理解してあげて下さい。」と言葉をかける。
「患者さんが皆さんに当たり散らしてもそれは、病気がさせること。自分が変わったことに気がつかなければ周りを責めると思います。」
「自分たちの事を責めないで」

そして最後に言葉をかける
「まだまだあなたは力を持ってますよ」「治療に一緒に取り組めば、また違う景色も見えてくると思います」

それでも、言葉や対話だけではこういう事態は丸くおさまらない。
人間夜にぐっすり眠らないと心がばらばらになってくる。
この患者さんが今晩はぐっすり眠れますように。

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