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2010年1月

2010年1月28日 (木)

天から降ってくる言葉 ー親孝行

時々、患者さんやそのご家族と話しているとどういうわけか、途中から話の流れに沿って自分の頭では考えて、事前に準備しているとは思えない言葉が出てくるときがある。きっと誰にでもある体験だろうとは思うが、あまりにもその言葉が「僕自身にとって」意味のある言葉であることが多くて、相手に投げかけているメッセージであるにも関わらず、自分自身に、自分が天から振ってきたメッセージを伝えているそんな錯覚に陥ることがある。

病人となった母は、自分の好きな事に没頭する余り、娘さんの幼少期には愛情を注ぐのを忘れてしまったようだった。娘さんは母親を振り向かせることが出来ないまま成長しそして、結婚し嫁ぐ。しばらく忘れていた幼少期の思い出。娘さんも自分の人生で一生懸命だった。

丁度そんなとき、母は病気になり、そして不治の病と分かる。「自分が今までやりたいことだけやってきたからこんな病気になってしまった。これは罰が当たったんだ。」
医者の僕が言葉をかける。「がんは決して自分で作るものではありませんよ。どこから来たのか分からないけどある日から自分の体の中に生まれてくるんです。今までの自分の生き方を責めない方がいいですよ。」

入院と退院を繰り返すようになり、娘さんも久しぶりに母娘の時間が増えてくる。毎日毎日自分の家庭をそっちのけに母親の看病に没頭する。病院の僕らから見れば献身的な娘さん。それでも、あれほど憎しみすら覚えていた母親とほとんど同じように、家庭を離れて没頭している。

「私が何を言っても母は聞いてくれないんです。申し訳ありません。いろいろと迷惑をかけて。」
老いては子に従えですよと、母である患者さんにも助言することも多かったが、昨日医療費の支払いで母娘がもめる。

「母親には私の貯金を切り崩してでも、陽の当たる部屋で過ごして欲しい」と娘。
「あの娘に、お金の負担をかければ娘の家庭は崩壊しかねない」と親。

それぞれの言い分はあるがお互いが思いやっての言葉。深い愛情を感じる。

そして娘さんとしばらく話した。そしたら天から言葉が降ってきた。
「親というのは越えてはいけないんですよ。」
どうしてそう思ったのか分からないけど、ふと浮かんだ。「親の先に回って転ばないように手を出してはダメなんです。転ばないように手を出せるのは自分の子供だけです。親は転んでから助けてあげた方がいいんです。」

そんな経験は自分にもある。同じ仕事をしている父親には、時代の変化と共に変わる医学を「今はこうするんだよ」と教えることで、父親に認めてもらいたい、父親の役に立ちたいとつくづく思っていた。でも親を越えることで、いや正確には「親を越えたという印象を親に感じさせる」事はよいことではないと、最近つくづく思う。

そして、娘さんは「私は母親に何もしてあげられない・・・」と自分を責め始める。するとまた言葉が降ってきた。「親の見ていないところで、こうして親が転ばないように先にいろいろしていることが親孝行なんだと思いますよ。親の見えないところでするのがね。」

自分でも全く用意していない言葉だったのでびっくりしたが、内心『ああ、そう言うことなのか』と自分に教えられたような気がした。

たくさん転んで、悩んで、そしてお別れして。
転ばないようにしすぎれば時間はあまりにも単調でスムーズに過ぎていく。
残り少ない時間を病院に閉じ込めて、安全で暖かいふとん、そして別れ。
また、ケガをしても、床を排泄物で汚しても、たくさん転んで、悩んで、そして最後は避難して、守られての別れ。(在宅療養をして入院して死別すること)

転んだ思い出があれば、「使いにくくなったカラダからやっと解放され、魂が自由になった」と心から思えるのではないだろうか。そして「魂が自由になった」ことを実感できることが、残された家族が新しい生活を始める決心をつける第一歩になるんじゃないだろうか。
そんなことまで話した。

守られた生活の中で、緩やかに亡くなれば、緩和ケアとしては成功でも、それは「亡くなること」を残された人は「魂が自由になった」と何か喜びにも似た感情を持つことは出来ないのかもしれないな。そんな気もした。

あまりにも大きな体の苦痛は、苦痛でゆがんだ顔しか残された人の心には残らない。そんな顔の記憶は決して「魂が自由になった」とは思えないだろう。

苦痛はなくなっても、不自由は残る。
苦痛はなくなっても、悩みは尽きない。
苦痛はなくなっても、生き抜く苦しみは満ちてくる。

そんな体験にも意味がある気がした。

自分が話しかける娘さんへの言葉の数々が、結局は自分に向けられた「天から降ってきたメッセージ」であることを強く強く感じて、思わず娘さんにお礼を言った。「今日ここで話が出来たこと、ありがとう」

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2010年1月21日 (木)

死期を悟るとき

ほとんど同じ日、お二人の方から言われた。いや正確にはそう言っていたことを聞いた。

お一人は、「もう明日死ぬ」って家族に言い残した。予兆はあったが僕にはまだ少し先のことのように思えた。それでも多くの患者さんは、医学やら医者やらが考えるような意識の中で死を悟ったりはしない。自分自身に起こっていることを自分ではどこか感じている。いつも変化を感じるのは自分が最初。他人である家族や医者は検査やら何やらを使ってその方の命の力を知ろうとする。そんなもの数字になって現れるわけでも、レントゲンに映るわけでも、複雑な計算式が占ってくれるわけでもないのに。

「もう明日死ぬ」と家族とのお別れをしたその直後に、そんなことがあったとは知らない僕が、家族に話す。「あと1週間以内だと思います。」最初からどんな話になるのか家族には分かっている。そして僕よりもずっと早く本人から話の内容を聞かされている。

「ご本人は何か言っていましたか?」と聞くと「もう明日死ぬ」って言ってましたと家族。

そんなはずないと心で思いながらも「ご本人がそういうのならきっと間違いないことなんでしょう。」と静かに答える。その数時間後に昏睡となり、次の日には亡くなることはなく、みんなの気持ちが別れる気持ちになるのを待っていたかのようにそれから3日してから去った。

もう一人は、ご家族に「あと1週間ぐらいだと思います」と伝えた後、どういう訳だか、ご本人に家族が「あと1週間だって」と伝えていた。こういうご家族もあるんだと本当にびっくりしてしまったが、とにかく本人にも伝わってしまった。それまでも死ぬことや生きることを心に想うまま話してきたが、それでも僕には戸惑った。「死」を語り合うことはあってもそれが「1週間」という言葉を付けたとたんに、何だか語り合ってきた「死」とは全く違うもののように感じる。とても無機質で冷酷で。

その方は一言、「まだ私死ぬ気がしないのよね。そう言われても。」僕は言葉を返す、「ご自身でそう思えないのなら、きっとまだ生きなきゃならないんでしょうね。」
実際にそれから1週間近くが経った。「まだ生きていなきゃならないの」とその方より言葉が投げられる。うつろな目で毎日の時間に意味や希望をすっかりとなくしてしまっている。「何か役目が残っていらっしゃるんですね。」と僕より返す。

よくこの領域で仕事をしていると「生きてきたように死ぬ」と語る医者や看護師に出会ってきた。
「死ぬときも生き様が現れる」という意味なのか「死に方は生きてきた全てが集約される」という意味なのか。僕にはこの言葉はどこか違うなとずっと思ってきた。
今になって急に気がついた。

「人は死ぬまで生きている。死ぬ直前までは死ぬ気がしないんじゃないかな」って。いつも今と明日のことを考えて生きている僕。亡くなる間際になるともう明日の事なんて考えられないほど、「今日」に余裕なく必死になって懸命になっていく姿を毎日のように見守っていると、「明日死ぬ」ことよりも「今日のこと」でもう一生懸命なんだなってつくづく思う。

だから「生きてきたように死ぬ」と言う言葉。どこか違うと思う。その人の長く生きていきた道のりが集約されたとしても、きっと医者には分からないって思う。一つはっきりしていることは、亡くなるまで、亡くなってからもきっとその人はその人のままなんだろうなってこと。

生きることと死ぬことの境目は悟ることができる。そしてそれは急に訪れる。

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2010年1月14日 (木)

見える景色

いつも仕事をしながら思うのは、見える景色のこと。景色と言っても窓から見える景色や廊下、部屋の景色ではなく、それぞれの人たちが見ている景色、心の情景(映像)のこと。

ある患者さんにお会いした。
「くすりが変わってから自分の体はダメになってきた」「病院が変わってからうまくいかない」「お前(その奥さん)がいると、いらいらする」

その患者さんにとっては苦しみや心の葛藤はどんどんふくれあがってもうあふれている。自分にはどうすることも出来ない。どんどん視野は狭くなって周りの景色は狭く色を失ってくる。

はじめてその方にお会いした日、患者さんは少し興奮気味に一生懸命に自分の体験してきた治療と、その時々に感じたことを話して下さる。一生懸命に自分をわかってもらおう、知ってもらおうと話して下さる。そして、気がつく。

自分自身の変化に一番気がついていない。

科学的な指標は残酷で、血液検査もレントゲンもその患者さんの病状が刻々と悪化していることを伝えてくる。でも患者さんは、その検査の結果を「体験」できるわけではない。いくら医者や周りの家族が、科学的な指標に納得できたとしてもそれは、患者さんの体験を知ることにはならない。

患者さんの体験は、いつも自分から見える景色をお話しされる。それは僕自身から見える景色とは全く違う。

自分自身の変化に一番気がついていない。
そして、気づきたくない。
だから周りの景色が変わったと嘆いてしまう。

僕は患者さんに「あなた自身の病気が悪くなっているんですよ」という真実を伝えたいだけではない。その周りで一緒に苦しんでいる家族に「あなた方も患者さんの景色の一部です。みんなは変わらずいてください。そして変わっていく患者さんを理解してあげて下さい。」と言葉をかける。
「患者さんが皆さんに当たり散らしてもそれは、病気がさせること。自分が変わったことに気がつかなければ周りを責めると思います。」
「自分たちの事を責めないで」

そして最後に言葉をかける
「まだまだあなたは力を持ってますよ」「治療に一緒に取り組めば、また違う景色も見えてくると思います」

それでも、言葉や対話だけではこういう事態は丸くおさまらない。
人間夜にぐっすり眠らないと心がばらばらになってくる。
この患者さんが今晩はぐっすり眠れますように。

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2010年1月 8日 (金)

忙しい

最近
「忙しいでしょ?」「忙しいのにゴメンね」「忙しいだろうから・・・」と自分に対してやたらと忙しいと言われています。極めつけがある患者さんに「先生も忙しそうね。ちゃんと休まなきゃねえ」

医者という仕事をし始めてからいつも思っていたのは、裏口からこっそりはいり自分のプライベートは客(=患者)には悟られず、ディズニーランドのクルーのように、プロの笑顔で接するでした。力を抜いて完全なプライベートな自分で相手に接するのは一件良さそうに見えてもやっぱり、プロじゃないよなあってつくづく。本当に忙しい状態でも平気な顔をして歩いたり。
それでも分かる人には分かっちゃうのね。

「先生も忙しそうね。」って言ってくれた患者さん、次の言葉は「私も忙しいから。」
全身の骨に転移して長い時間座っていると本当に疲れてしまうのに、毎日趣味という域を超えた絵に専念する毎日。いろんな頼まれ事、行事ごと、様々な手紙を書いては自分で自分の仕事を増やしていく。
「ひとつの事が終わっても、また新しく描かなきゃ行けない。」
その人は入院して、患者さんと呼ばれていても決して病人らしくしない。
本当に尊敬する。自分の好きなことに没頭できることではなく、病気になっても続けられる趣味があったことを好かったと思うでもなく、とにかく自分のできることで自分の時間を有意義に使うのに本当に尊敬する。意義がある活動を続けるのはヒトにとってとっても難しいこと。

その患者さんは「私は入院していてもつらくないのよ。だって他人に煩わされずにこんなに自由な時間ができたのは結婚して初めて。」

気持ちの向け方一つで人はどんな風にも生きられる。
教えてくださってありがとう。

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2010年1月 4日 (月)

新年最初の仕事

今朝、今年最初の仕事にと張り切って病棟へ行くと、年末まで心を砕いて対応していた方、二人が既にお亡くなりになっていた。以前は、病院で起こる患者さんの全ての事を自分は知っていなくてはならない、どんなときも、駆け付けて自分がまず患者さんに触ってあげなければならないと思い、特に若い頃には家族を顧みずに仕事に没頭していた。
また、それが患者さんや家族の信頼を勝ち得る大切なことだと思っていた。

最近、少々疲れ気味なのか、全てを追いかけるのはできないなあとつくづく思い、この数日は思い切ってきちんと休み家族との時間をちゃんと過ごし病棟に戻ってみた。

信頼できるスタッフがきちんとみんなそれぞれの時間を対応して、ちゃんと患者さん二人とその家族を道案内していることが分かりました。

それぞれの患者さんにお別れをするために部屋へ行く時はとてもなんだか、申し訳ないような、合わす顔がないようなそんな気分でしたが、ちゃんと僕を普通に迎入れてくれました。やはり患者さんと家族の別れには僕はあくまで他人の道案内役。そんなに気負って仕事をしてはいけないのかなと考える新年でした。

患者さんとその家族に起こること全てを知っておかなければならないというのは、熱意ある責任感あるほめられるべき態度なのかもしれませんが、どこか傲慢になり「自分が誰よりも知っている」という気持ちが大きくなりすぎます。やはりみんなで(チームで)働くと言うことはこういう事なのかもしれないなと考える新年の最初でした。

二人の患者さん、さようなら。

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