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2009年12月25日 (金)

毎日のこと

毎日の生活を通じて考えたこと、感動したこと。どこかに書いていかないと毎日の思いはどんどんシャボン玉のように消えていく。
仕事を通じて感じたことは、シャボン玉のように消えないように、どこかに残していかないと。

僕は緩和ケアを専門に毎日を多くのがんの病人と過ごしている。それぞれの人たちは、望まず病気になり、また病気の種類も病気になる時期も選ぶことができない。全く無念。
それでも半ば無理矢理がん患者になり、そして毎日を必死に過ごしていく。

緩和ケアが死の領域に関わる専門の分野ではないと、緩和ケアを広めようと論じてもやはり毎日病人は僕の目の前から去っていく。去っていくからまた次の出会いを受け入れることができる。

今日は、自分の人生の終わりを実感し、また妻への感謝をつづった方とお別れした。先々週までは自分自身の病気を恨み、失われる体の力を恨み、健康者である医療者やボランティアを疎み、毎日廊下を歩行器を使って歩く様子は、さながら何かと闘っているよう。口先だけの励ましは拒絶され、またありきたりな日常を語る言葉は虚しく地面に消える。
そんな彼が闘いの日々を終えるのは先週から。初めて医療スタッフとボランティアが催した音楽の会に参加してから。僕も一緒の時間を過ごせた。言葉よりも音楽の時間を共有することで急に彼との距離も近くなった。

残された時間が短いことは、その日からの過ごし方が変わることで、医療者としての僕の経験が彼の時間が短いことを悟らせた。もうろうとする意識。終末期せん妄と科学的にはラベルするが、さながら夕方の光が徐々に暗くなっていくよう。意識のグラデーションがはっきり分かる。彼も夢の中で自分の残った時間が短いことを教えられた様子。
急に「先生と第9が聴きたい。私の家にはステレオがたくさんあるから、その一つをこの部屋に残りを全部病棟に寄付します。」話すことの中身にはちぐはぐしたことはあるが、はっきりと先週の音楽の会で刺激された彼の思いが分かる。「是非一緒に聴きましょうね。」

約束は果たされなかった。亡くなる1日前に、病院の何の変哲もないカレンダーの裏に、妻への感謝と自分の残った時間が短いことを、墨で達筆にしたためる。孫の名前を必死に思い出そうと殴り書きしている。「我、生命 難し」

もうろうとする意識の中でも彼が、何かを残そうしていること、それが立派な半紙ではなくたまたま目に入ったカレンダーの裏。重いメッセージが軽い紙に書いてある。

妻もそれをみて喜んでいる。最後の日をはっきりとわかりながらの笑顔。伝えられるメッセージよりも、字を書くことが好きな彼が彼のままで居続けたことに喜んでいる気がした。

そして昨日の夕方旅立った。

今日お別れの前に残された妻と息子さん方に、僕は話した。そんな話しをしようと思っていないのに、どこからか言葉が降ってきた。
「彼はこの病棟で毎日闘っていましたよ。他人を寄せ付けないところもあったけど、その闘いは立派な姿。決して実を結ぶことはないと分かっていながらも毎日歩き続けていました。」
「彼と僕とは果たせぬ約束ですがベートーベンの第9を聴くはずでした。第9は有名な終楽章、合唱は様々ないきさつを経ながらも最後は希望に満ちた祝福で終わる。自分自身の人生を認め、歓喜する。」
「終楽章までに至る1-3楽章には闘いと葛藤が多く含まれていて、それを経て歓喜の終楽章で結末を迎える。きっとそれは彼の生きる姿そのままです。」
「第9の持つ意味と、彼の生きる姿、そして残された辞世の句、全ては尊敬に値するめったに他人がまねできない素晴らしいことだと思います。」

家族の目にも涙。彼自身の残した言葉や僕に投げかけた言葉が全て輪になってつながっている気がした。きっと今、使いにくかった肉体から解放されて、魂は自由になっているはずと悲しい別れよりも、歓喜の歌が似合う別れだったと思う。さようなら。

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