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2009年12月

2009年12月31日 (木)

良いお年を

驚くほど大きな変化がある1年でした。
来年も良い年になります様に。
まだまだ知らない色んな展開が待っているのかと思うと、来年も楽しみです。まだまだdevelopingな気がしてなりません。

新しい道がひらけますように。

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2009年12月29日 (火)

本当の恐怖

今日の1日の終わりにとある患者さんから尋ねられました。
目には涙。いつもにない真剣なまなざし。
とても控えめな方なのに、いつもよりも饒舌だなとおもった瞬間のこと。

「死ぬ前には苦しんで、そしてどうにもならなくなるでしょうか。」

その瞬間、僕の頭の中は左脳と右脳の二つに分かれる。
左脳では、終末期のがん患者がどのくらい耐え難い苦しみに襲われ、そして薬物で鎮静(眠らせること)を必要とするのか。
どんな情報を述べればよいのか。
どんな言葉が一番「正しい」のであろうか。

右脳では、この方と僕は何を約束したらよいだろうか。
どんな言葉が心をなぐさめるのだろうか。

左のエビデンス好きな医師と、右の人が好きな医師が二人でしばらく論争。

「ほとんどのがんの患者さんは苦しみませんよ。そして眠る時間が長くなるんです。」
「でも、もしあなたが違う道を進んでしまい、苦しんでしまったら僕が手伝いましょう。」

これだけの言葉で十分心に届いた様子。そしてその日はそれ程遠くないことをはっきりとわかり合う目。
必ずこんな話になると患者さんは自ずと手をのばす。そして老若男女かまわず必ずその手を取る。

「約束しますから。」

自分に課せられる責任の重さも感じながらも、自分の言葉が相手に届く確かな実感。こういう会話を毎日のように交わしていても、毎回のように感動する。そして、いつもその患者さんを通して感じる何かしら大きな存在に(守護霊とかいうんでしょうかね)自分が「この人を手伝いなさい」と言われている気がする。

だから傲慢になる心のヒマも隙もない。

知っている知識(エビデンス)と、患者さんと大きな存在からの頼まれ事とが合わさるだけ。自分は天の道具のようなものだなっていつも思う。崇拝されたり、僕自身にすがられることは滅多にないのもそんな理由なのかもしれない。

好かれることはあってもすがられない存在でいたい。
別れのつらさよりも出会いの喜びを感じていたい。

そんなことを瞬間的に考えた仕事納めの今日。
年賀状刷らなきゃ・・・

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2009年12月27日 (日)

休日出勤

この仕事に就いてから、早10年以上。
ほとんどの休日は出勤してきた気がする。
出勤しないと、休日を落ち着いて過ごせず、また出勤することで、なんで自分は休みの日も働くんだろうと本当にいやな気分。

それでも休日の病院はいつもと違う落ち着いた雰囲気。
患者さんも家族もどこかしら休日の柔らかな日差しの中で落ち着いている。

今日も1人の方とお別れした。
がんは1ヶ月本当にあっと言う間。立ち止まって考える暇もないほど。
事前にあれこれ決めておかないと判断が出来ない。
本当に過酷な病気。いくら研究を重ねて、いくらコミュニケーションを洗練しても、きっとこの時間の早さには解決できないと思うほど。いくら最もらしい理屈をつけても難しい。

アドバンスドケアプランニング
在宅医療こそ本来の医療
病人は家で過ごすことで一番よい自分でいられる
ホスピスこそ生をまっとうできるところ

単純な教義に酔えるヒトがうらやましい。
どれだけの経験を重ねても、毎回体当たりで苦労する。その苦労の過程だけが、患者さんと家族の思いを動かす。これだけは教育できそうにない気がする。

心を配れば、心を失う。
心を亡くせば、忙しい。
忙しいと、遠慮され、同情される。

強さと感動を忘れないように生きていきたい。

今日天に帰った患者さん、さようなら。あなたにあえて良かった。

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2009年12月25日 (金)

毎日のこと

毎日の生活を通じて考えたこと、感動したこと。どこかに書いていかないと毎日の思いはどんどんシャボン玉のように消えていく。
仕事を通じて感じたことは、シャボン玉のように消えないように、どこかに残していかないと。

僕は緩和ケアを専門に毎日を多くのがんの病人と過ごしている。それぞれの人たちは、望まず病気になり、また病気の種類も病気になる時期も選ぶことができない。全く無念。
それでも半ば無理矢理がん患者になり、そして毎日を必死に過ごしていく。

緩和ケアが死の領域に関わる専門の分野ではないと、緩和ケアを広めようと論じてもやはり毎日病人は僕の目の前から去っていく。去っていくからまた次の出会いを受け入れることができる。

今日は、自分の人生の終わりを実感し、また妻への感謝をつづった方とお別れした。先々週までは自分自身の病気を恨み、失われる体の力を恨み、健康者である医療者やボランティアを疎み、毎日廊下を歩行器を使って歩く様子は、さながら何かと闘っているよう。口先だけの励ましは拒絶され、またありきたりな日常を語る言葉は虚しく地面に消える。
そんな彼が闘いの日々を終えるのは先週から。初めて医療スタッフとボランティアが催した音楽の会に参加してから。僕も一緒の時間を過ごせた。言葉よりも音楽の時間を共有することで急に彼との距離も近くなった。

残された時間が短いことは、その日からの過ごし方が変わることで、医療者としての僕の経験が彼の時間が短いことを悟らせた。もうろうとする意識。終末期せん妄と科学的にはラベルするが、さながら夕方の光が徐々に暗くなっていくよう。意識のグラデーションがはっきり分かる。彼も夢の中で自分の残った時間が短いことを教えられた様子。
急に「先生と第9が聴きたい。私の家にはステレオがたくさんあるから、その一つをこの部屋に残りを全部病棟に寄付します。」話すことの中身にはちぐはぐしたことはあるが、はっきりと先週の音楽の会で刺激された彼の思いが分かる。「是非一緒に聴きましょうね。」

約束は果たされなかった。亡くなる1日前に、病院の何の変哲もないカレンダーの裏に、妻への感謝と自分の残った時間が短いことを、墨で達筆にしたためる。孫の名前を必死に思い出そうと殴り書きしている。「我、生命 難し」

もうろうとする意識の中でも彼が、何かを残そうしていること、それが立派な半紙ではなくたまたま目に入ったカレンダーの裏。重いメッセージが軽い紙に書いてある。

妻もそれをみて喜んでいる。最後の日をはっきりとわかりながらの笑顔。伝えられるメッセージよりも、字を書くことが好きな彼が彼のままで居続けたことに喜んでいる気がした。

そして昨日の夕方旅立った。

今日お別れの前に残された妻と息子さん方に、僕は話した。そんな話しをしようと思っていないのに、どこからか言葉が降ってきた。
「彼はこの病棟で毎日闘っていましたよ。他人を寄せ付けないところもあったけど、その闘いは立派な姿。決して実を結ぶことはないと分かっていながらも毎日歩き続けていました。」
「彼と僕とは果たせぬ約束ですがベートーベンの第9を聴くはずでした。第9は有名な終楽章、合唱は様々ないきさつを経ながらも最後は希望に満ちた祝福で終わる。自分自身の人生を認め、歓喜する。」
「終楽章までに至る1-3楽章には闘いと葛藤が多く含まれていて、それを経て歓喜の終楽章で結末を迎える。きっとそれは彼の生きる姿そのままです。」
「第9の持つ意味と、彼の生きる姿、そして残された辞世の句、全ては尊敬に値するめったに他人がまねできない素晴らしいことだと思います。」

家族の目にも涙。彼自身の残した言葉や僕に投げかけた言葉が全て輪になってつながっている気がした。きっと今、使いにくかった肉体から解放されて、魂は自由になっているはずと悲しい別れよりも、歓喜の歌が似合う別れだったと思う。さようなら。

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