2024年4月12日 (金)

「他人の苦痛を、私は知ることはできるのか 後編」

前編 中編 後編 3. 鎮静の新たな解釈 2012年から現在まで 在宅療養中の患者に対する鎮静 10年の緩和ケア病棟での勤務を終えて、自分のプライベートなクリニックで、主に在宅療養をする患者の緩和ケアを続けた。当初は、緩和ケア病棟と違う自宅では、患者や家族はよりよい状態になっていると思っていた。自分の生活していた場に患者がいれば、奇跡的に症状は軽減し特にせん妄はかなり減り、それにつれて鎮静する必要...

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他人の苦痛を、私は知ることはできるのか 中編

前編 中編 後編 2. 緩和ケアを学び、そしてまた限界を知る 2002年から2011年まで 私は内科医としての専門分野を定める頃に、死の臨床研究会(2000年、広島)に参加して自分がさらに深めたい分野を、緩和ケアに決めた。当時手に入る本、テキストブックは限られていたが、貪欲に読んだ。院内の看護師とも自主的な勉強会を始めた。モルヒネを使うことで、きちんと痛みが緩和されることが書かれていた[6]。当時...

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他人の苦痛を、私は知ることはできるのか 前編

前編 中編 後編   人間は一人では生きていけない。だけど、死は、自分一人で引き受けるしかないと思われている。僕は違うと思います。死こそ、他者と共有されるべきじゃないか。生きている人は、死にゆく人を一人で死なせてはいけない。一緒に死を分かち合うべきです。(平野啓一郎 本心) 私たち人間は、だれも個人としての個人生活をいとなむだけでなく、意識するとしないとにかかわらず、その時代とその時代に生きる人々...

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2023年8月30日 (水)

新たなケアを探して

昨年から僕が民間のNPOの活動に参加するようになりました。 色々な知識による、特に最近の臨床心理学の影響が大きいです。自分が提供しているケアが専門職セクターによる特殊なケアであり、これだけでは世界、せめて自分の関わる人たちのケアもよくならないと分かったからです。 一般病院を辞めたときも緩和ケア病棟を辞めたときも同じことを感じました。専門的なケアを洗練していっても、世界は良くならない。それならと活...

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2023年4月 2日 (日)

お母さんらしく逝かないでほしい 後編

死に逝く母は一体何を求めていたのだろう。同じように死に逝く人たちに言葉を求めても、返事をする力もなくなっていることがほとんどだ。それに、死が近づく相手に、自分が人生において何を求めていたのかと問うには、あまりにも害が大きい。「あなたはどう生きたかったのですか」と問えば、時にはそれまでの相手の生き方をときには否定することにもなりかねない。それでも私は、何を求めているのか知りたいと思い、文学作品に答え...

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2023年4月 1日 (土)

お母さんらしく逝かないでほしい 前編

終末期医療の現場で見える景色は明らかに変わってきた。いや、景色よりも私がより変わってきたのだ。「お母さんらしく逝ってしまったね。」自宅で母を看病した娘が最期の日に言ったことだ。以前の私なら、言葉を素直に受けとめて「どんなお母さんでしたか。」とケアのために、話を続けたであろう。でも今の私は、「お母さんらしく」の「らしく」に妙に引っかかってしまうのだ。この方は、自分が亡くなるその日まで周りを気遣い、家...

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2022年8月 3日 (水)

「半分こ」したお好み焼き

僕の故郷には、お好み焼き屋が多い。2つ年上の従兄が暮らす町内にも、馴染みの店があった。従兄とその店へわずかな小銭を握りしめて行き、いつも一番安い豚玉を1枚、二人で食べるために注文していた。 焼けるのを待っている間、お店のおばちゃんは色々と話しかけてくる。「いくつになったんや」(8歳です)「あんたはどっからきたんや」(名古屋から時々来ます)「そうか、この子の弟のようなもんやな。悪い遊びを教えたらいけ...

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2022年5月18日 (水)

苦い苦いコーヒー

僕は広島に住んでいた祖母の苦い思い出を、今でも忘れることができません。 その思い出は、胃を悪くしていた祖母が好きだったコーヒーを飲ませないように孫として注意していたことです。「ばあちゃん、コーヒーは体に悪いから飲まないで」と言ったとき、祖母は「少しぐらいならええんよ」と苦笑いしながら飲んでいました。僕はまだ幼くその言葉にも力はなく、子どもが覚える原初的な感情であろう「ずるいこと」を祖母はしていると...

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2022年5月14日 (土)

消える原稿

今までに幾度となく人前で講演してきました。話すことを準備をし、予め調べてそして内容が固まってきたその時、ファイルが消えてどうにもならなかった事が何度かあります。2000年前後のMacは気まぐれにフリーズしその瞬間作っていた文書が全て消えるというのは、当たり前の事で、「保存」「保存」と一行書く毎にショートカットキーを押していました。今でも手が自然に物書きやプレゼンをしているときに、一呼吸おく度に「保...

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2022年5月 2日 (月)

自分の指を見張る。僕のポリコレ。

昨年、遠い親戚のある方を、僕が医者として最期を看取りました。親戚なので、僕も通夜に参列しました。その時、集まったその方の家族に、何故死に至ったのか、医者として誠実に説明しました。 その時、自分では全く気がついていませんでしたが、息子からこう言われたのです。 「人に説明するとき人を指さす癖は止めた方がいい」と。僕は驚きました。自分がそんなことをしているのに気がついていなかったんです。それ以来、自分の...

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«「体を重ねることって」